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本多 政信(ほんだ まさのぶ、寛永11年(1634年) - 寛文2年4月20日1662年6月6日))は、江戸時代前期の大名大和国郡山新田藩初代藩主。政信系本多家初代。

播磨姫路藩主・本多政朝の次男。官位は従五位出雲守。

生涯編集

寛永15年(1638年)末に父・本多政朝が病死した後、播磨姫路藩主となった本多政勝の養子となる。承応2年(1653年)、一族の大和国郡山新田藩本多勝行の遺領大和国葛上・忍海・平群・十市・葛下・高市の6郡から1万石を分与されて相続した。寛文2年(1662年)に29歳で死去した。嗣子がなかったため、勝行の弟の政貞が養子となって跡を継いだ。