本朝世紀
平安時代末期に編纂された歴史書
『本朝世紀』(ほんちょうせいき)は、平安時代末期に編纂された歴史書。
『六国史』の後を継ぐ史書として、鳥羽上皇の命により、信西(藤原通憲)が久安6年(1150年)冬から編纂[1]。成立は1150年-1159年[2]。全20巻。
『日本三代実録』に続くもので[3]、宇多天皇の877年以降、近衛天皇(在位1141年-1155年)までを扱う。本文は、外記日記といった政府の公日記を土台としており、さらに外記官人の私日記などを補足的に使用していた[4]。信西が平治の乱(1159年)で死亡したため、未定稿に終わったうえ、多くが散逸している。内容は、朝廷の儀式や政務に関わるものが記載されている[3]。現存しているのは935年 - 1153年のうち一部であるが、同時代の歴史・世相風俗を伝える好史料である。さらに未完とはいえ『六国史』以後のまとまった史書として、かつ現在残り少ない宮府の記録の遺文として高い価値を持つ。
受容編集
完成していた部分は宇多天皇の時期の箇所であったとされる[1]。その他、十七代の天皇の国史は未定稿であった[1]。しかし完成部分は室町時代までで姿を消し、反対に未定稿箇所が転写されるなどによって世に流布することとなった[1]。江戸時代に入ると、霊元天皇は伏見宮家に伝わった本朝世紀を廷臣に命じて書写させ、さらに江戸幕府へ書写本を送ったりした[1]。以降、本朝世紀は再び世に知られるようになり、江戸中期以降は廷臣や学者によってさらに書写が行われ流布した[1]。
出典編集
参考文献編集
- 坂本太郎『日本の修史と史学 歴史書の歴史』講談社学術文庫、2020年、初出は1958年
- 橋本義彦「本朝世紀解題」『平安貴族社会の研究』吉川弘文館、1976年