本田技術研究所
株式会社本田技術研究所(ほんだぎじゅつけんきゅうしょ、英語表記:Honda R&D Co.,Ltd.)は、本田技研工業の研究開発部門を分社化した企業である。本社は埼玉県和光市にあり、朝霞市、栃木県芳賀郡芳賀町などに研究所を持っている。
和光研究所(本社所在地) | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒351-0113 埼玉県和光市中央1-4-1 |
設立 | 1960年7月 |
法人番号 | 8030001046841 |
事業内容 | 輸送用機械器具の研究開発 |
代表者 | 代表取締役社長 松本宜之 |
関係する人物 | 本田宗一郎、藤沢武夫、斎藤馨 |
外部リンク | https://www.honda.co.jp/RandD/ |
伝統的に本田宗一郎以降の本田技研工業の社長は、研究所出身者から選ばれている。8代目社長の八郷隆弘を除いては、いずれも研究所の社長を経験している[1][リンク切れ]。
概要
編集本田技術研究所は1960年設立。元々は藤沢武夫(当時本田技研工業専務)が「研究所を本社から分離することで、目先の業績に左右されない自由な研究環境が実現できるだけでなく、一般的な企業のピラミッド型組織と異なるフラットな組織の実現も容易に行え、研究員に対する待遇も改善できる」と考えたことがきっかけである[1][2]。ただ設立準備段階では、当時の本田技研工業の業績が安定せず、しばしば工場において労働争議が発生していたことなどから、「労働組合の分断工作である」として社員から大きな反発を受けたものの、藤沢は社内のコンセンサスを得られないまま強引に押し切ったという[2][3]。
また、本田技研工業から研究所に対して、売上高に応じた委託研究費が支払われるという点もユニークである。ちなみにその割合は、設立当初は売上高の2.5%となっていたが、2012年現在は5%をベースに積み増した額(約5,000億円程度)が支払われていると見られている[3]。
階層が増えピラミッド型組織に近づきつつあることを危惧し、フラットな文鎮型組織を目指し、2006年4月に、事業軸別に5つの開発センター体制に移行するとともに内部でも大きな組織変更が実行された。現場への大幅な権限委譲が図られた。
2019年2月に再び大幅な体制変更が発表され、同年4月1日付でリサーチ機能を集約した「先進技術研究所」の設置、デジタル技術の研究を集約した「デジタルソリューションセンター」の新設などが行われることになった。特に二輪の開発については、従来の二輪R&Dセンターを廃止し本田技研工業の二輪事業本部に機能を統合するため、従来の「商品開発は研究所、製造・販売は本社」という機能区分を一部ながら崩す形となっている[4]。さらに2020年2月には、自動車の開発についても研究所のオートモービルセンターを廃止し四輪事業本部に機能を統合することが発表され、研究所はデザインなど一部を除き商品開発から離れることとなった[5]。2022年には、従来ホンダF1のパワーユニットやSUPER GT用車両等の開発を担ってきた「HRD Sakura」がホンダ・レーシング(HRC)に移管され[6][7]、研究所単体としての規模は縮小の一途をたどっている。
沿革
編集本田技術研究所 沿革を参照。
研究開発施設(日本国内)
編集2020年4月以降
編集- 先進技術研究所(埼玉県和光市中央1丁目4番1号)
- 先進パワーユニット・エネルギー研究所(同)
- デザインセンター(同)
- ライフクリエーションセンター(埼玉県朝霞市泉水3丁目15番1号)
- HRD Sakura(栃木県さくら市下河戸1220番地32号)
2019年4月以降
編集2019年4月1日に研究所の大規模な組織改編を下記の通り行った。
- 先進技術研究所
- オートモービルセンター(旧四輪R&Dセンター)
- デジタルソリューションセンター
- ライフクリエーションセンター
- エアロエンジンセンター(旧航空機エンジンR&Dセンター)
- HRD Sakura
2019年3月まで
編集施設 | 設立日 | 所在地 | 開発分野 |
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二輪R&Dセンター | 1973年11月 | 埼玉県朝霞市 | 二輪製品全般(競技車両含む)の開発を行う。 |
四輪R&Dセンター(和光) | 1960年7月 | 埼玉県和光市 | 四輪製品のデザインを行う。 |
四輪R&Dセンター(栃木) | 1979年4月 | 栃木県芳賀郡 | 四輪製品全般の開発を行う。競技車両の開発については2014年に下記のHRD sakuraに分離された。 |
HRD sakura | 2014年1月 | 栃木県さくら市 | F1を始めとする四輪モータースポーツ向け開発を行う。 |
汎用R&Dセンター | 1975年9月 | 埼玉県朝霞市 | 汎用エンジン、発電機、耕運機、芝刈り機などの開発を行う。 |
航空機エンジンR&Dセンター | 2004年7月 | 埼玉県和光市 | 航空機用レシプロエンジン、航空機用ガスタービンエンジンの開発を行う。 |
基礎技術研究センター | 1991年1月 | 埼玉県和光市 | エレクトロニクス、バイオテクノロジー、新素材、コンピューター科学、燃料電池システム 小型ジェット機の機体や人間型ロボットの研究を行う。 |
PG管理室(栃木プルービンググラウンド) | 1979年4月 | 栃木県芳賀郡 | 二輪車・四輪車、汎用製品をテストできる、総合テストコース。 |
PG管理室(鷹栖プルービンググラウンド) | 1996年5月 | 北海道上川郡 | 寒冷地テストのために作られた総合テストコース。 |
脚注
編集- ^ a b ホンダ、異例の社長交代の真相 - 日経ビジネスONLINE・2015年2月24日
- ^ a b 『ホンダ神話 教祖のなき後で』(佐藤正明著、文春文庫、2000年)pp.143 - 147
- ^ a b 【企業特集】ホンダ 二輪の成功モデルを四輪でも展開 国内生産を懸けた“聖域”の開発改革 - 週刊ダイヤモンド・2012年4月27日
- ^ 組織運営体制の変更について - 本田技研工業・2019年2月19日
- ^ 事業運営体制の変更について(4月1日付) - 本田技研工業・2020年2月18日
- ^ ホンダ、2022年以降のレッドブル・グループとの協力関係を合意。PUに関する知的財産権使用を許諾 - オートスポーツ・2021年10月7日
- ^ “新生HRCの体制が発表。「2023年以降のF1支援内容については協議中」”. autosport web. 2022年4月23日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集座標: 北緯35度46分52.4秒 東経139度36分54.6秒 / 北緯35.781222度 東経139.615167度