本田雄

日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、作画監督 (1968-)

本田 雄(ほんだ たけし、1968年3月12日 - )は、日本アニメーターキャラクターデザイナー[2]イラストレーター石川県出身。スタジオカラー[3]を経て、スタジオジブリ所属[1]ニックネームは「師匠」[3]

ほんだ たけし
本田 雄
プロフィール
生年月日 (1968-03-12) 1968年3月12日(56歳)
出身地 日本の旗 日本石川県
職業
所属 スタジオジブリ[1]
活動期間 1987年 -
ジャンル アニメーション
代表作 テレビアニメ

映画

OVA・Webアニメ
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来歴 編集

1987年に東京デザイナー学院(現・東京ネットウエイブ)中退後、北爪宏幸アトリエ戯雅に入社[4]。1987年のOVA『レリックアーマーLEGACIAM』で動画デビューを果たす[2]。しかし、アトリエ戯雅が倒産したため、すぐにフリーとなる。

その後、ガイナックスに入社[注 1]1990年、ガイナックスにおける最年少記録である22歳の若さでテレビアニメ『ふしぎの海のナディア』の作画監督を務める[2][5]

1994年、『メタルファイター♥MIKU』で初めてキャラクターデザインを手掛ける[5]

1995年、一大ブームとなったテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』でOP作画や重要な回の作画監督や原画を担当[注 2]。また同作の劇場版『Air』では、メカニック作画監督やEVA弐号機の再デザインとEVA量産機のデザインを担当[2]

『エヴァンゲリオン』以降はガイナックスを離れ、「リアル系」アニメーターとして今敏監督の『パーフェクトブルー』や沖浦啓之監督の『人狼 JIN-ROH』などの作品に参加[3]。劇場作品を活動の中心に置くようになる。

2002年、今敏監督の『千年女優』で劇場作品では初となるキャラクターデザインと作画監督を務める[2][注 3]。その後、同じく今監督の映画『東京ゴッドファーザーズ』とテレビアニメ『妄想代理人』にも原画で参加している。

2007年、磯光雄監督のテレビアニメ『電脳コイル』でキャラクターデザインと総作画監督などを務める[5][注 4]。しかし、磯と衝突して制作途中で降板した[3][注 5]。クレジット上では最終回まで総作画監督として表記された[注 6]

ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズへの参加を機に、スタジオカラーに入社して旧『エヴァンゲリオン』スタッフと合流。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007年)でメカニック作画監督、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)で作画監督、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年)では総作画監督を務めた[5]

2008年、スタジオジブリの『崖の上のポニョ』で宮崎駿監督作品に初めて参加し、宮崎から高い評価を受ける[6]。続く2013年公開の『風立ちぬ』では、宮崎の強い要望により原画として参加し、二郎と菜穂子の駅での再会シーンを担当した。本田は本作の完成後、「もし次に機会があればガッツリ組んでやってみたい」とコメントを残している[7]

2017年、引き続きカラーで映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の総作画監督を務めることが決まっていたが、引退宣言していた宮崎が現役復帰して再び映画を制作することになったため、スタジオジブリは作画の核となるアニメーターが必要となった。ジブリとカラーとの交渉の結果、本田はジブリへ貸与されることになった[8][9]

2023年現在、スタジオジブリ所属[1]。作画監督を務める宮崎駿監督の映画『君たちはどう生きるか』が2023年7月14日に公開された[9][10]。6年がかりとなった本作で特に苦労したカットに、夏子の産屋に眞人が向かうシーンと魚の解体シーンを挙げている。完成した映画を観た本田は「良い作品に巡り合えた」と述べている[11]

作風 編集

圧倒的な画力で知られ、同業者からも尊敬される"アニメーターズ・アニメーター"[4]。力強いアクションアニメーションと感情豊かな繊細なキャラクターの芝居の両方をマスターしている[4][5]。止め絵で見せるよりも出来るだけ動かしたいタイプ[2]

アニメファンからは、人物の動きと衣服のしわや生地の流れ方といった布の動きへのこだわりを評価されている[4]

「リアル系」アニメーターとして多くの作品に参加する一方、キャッチーな美少女キャラクターも得意としている[3][12]

作品に参加する際の選ぶ基準は、依頼主が自身の好む人かということと作品の絵の傾向[2]

人物 編集

新世紀エヴァンゲリオン』シリーズや『千年女優』『電脳コイル』『君たちはどう生きるか』のキャラクターデザイン・作画監督などで知られる日本を代表するアニメーター[13]

ルパン三世宇宙戦艦ヤマト機動戦士ガンダムなどのアニメーションの社会的ブームの洗礼を受けた世代。もともと絵を描くのが好きだったので、アニメーターになりたいと思うようになった[4]

ニックネームの「師匠」は、アニメーターの岸田隆宏が名付け、広めたもの[4][5][注 7]。その後、アニメ業界では、今敏押井守沖浦啓之前田真宏など、本田より年長の同業者たちもこのニックネームで彼を呼ぶようになった[14][15]

スタジオジブリの『崖の上のポニョ』に参加した際、宮崎駿から全てのキャラクターの個性が動きで表現されていると評され、「カリオストロの頃のような古典的で実に良い原画」と絶賛された[6]。また、同じくジブリの『君たちはどう生きるか』は宮崎が描いた絵コンテを作画監督として本田が具体化していくという形で作られているが、プロデューサーの鈴木敏夫は「本田の表現力があまりにも凄かったため、宮崎も絵コンテの内容をどんどん変えていった」と語っている[16]

参加作品 編集

テレビアニメ 編集

1990年
  • ふしぎの海のナディア( - 1991年) - 作画監督(30、35話)、原画(1、3、8、12、16、20、22話)、エピローグ作画(39話)
1993年
1994年
1995年
  • 新世紀エヴァンゲリオン( - 1996年) - OP作画、作画監督(2、8、19、22話、ビデオフォーマット版25話)、原画(1、19、25、26話)、設定補(15話)
2000年
2001年
2002年
2004年
2005年
2007年
  • 電脳コイル - アニメーションキャラクターデザイン総作画監督、OP作画監督、作画監督(1、2話)、原画(2、4、9、11話)
2009年
2013年
2014年
2018年

映画 編集

1991年
1992年
1994年
1995年
1997年
1998年
2000年
2002年
  • 千年女優 - キャラクターデザイン作画監督
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
2010年
2011年
2012年
2013年
2014年
2015年
2016年
2018年
2021年
2023年

OVA 編集

1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年
1998年
  • 青の6号( - 2000年) - アニメーションキャラクターデザイン[17](3、4話)、作画監督(3、4話)、原画(1、4話)
2013年

WEBアニメ 編集

2003年
2014年
2015年

ゲーム 編集

1992年
1993年
1999年
2003年
2005年

ミュージック・ビデオ 編集

1992年
  • COMPILER『コンパイラ Music clips in Trackdown』(「夜に目覚めて」) - 原画
2005年
2006年
2008年
2009年
2010年
2013年

パイロットフィルム 編集

2013年
  • 『The 2 Queens 二人の女王』 - 原画

CM 編集

1990年
  • アニメショップ「パロディ」『BATTLE MODE PV』 - 原画

その他 編集

1988年
1992年
  • ナディアおまけ劇場(その8)[注 10] - 原画
2012年
2016年
  • 株式会社カラー創業10年記念作品「よいこのれきしアニメ おおきなカブ(株)」 - 作画

偽講師被害 編集

2009年、「本田健(ほんだたけし)」なる人物が、本田雄の名を騙って大学の非常勤講師として勤務していたことが発覚した。大学や専門学校等で講師を務めたことがない本田にアニメーションの講義を受けたとする情報が流布していたため、所属先の株式会社カラーが調査を行ったところ、当該人物が本田雄の名前と経歴を自らのものと偽り、女子美術大学尚美学園大学東京工芸大学で10年近く働いていたことが判明した。その後、当該人物と女子美術大学が本田雄に謝罪を行っている[18]

関連項目 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ アニメ雑誌アニメージュの求人広告を見て履歴書を送り、面接を受けた[4]
  2. ^ 物議をかもしたテレビ版の25話・26話で多くの原画を描き、ビデオ版の作画修正も担当した。
  3. ^ 『パーフェクトブルー』に参加した際に今監督に気に入られ、声をかけられたとのこと。
  4. ^ そのため、同時期の同じくマッドハウス制作の今監督の映画『パプリカ』に参加できなかった。
  5. ^ 磯とはその後、和解。
  6. ^ 総作画監督の代役は、井上俊之板津匡覧が務めた。
  7. ^ 1991年のOVAバブルガムクライシス PART8』の制作時、作画監督だった岸田は、本田がもう一人の作画監督だった松原秀典のスタイルを無視して自身のやり方で描いているのを見て勇ましいと思い、そう呼ぶようになったという。
  8. ^ OPや1、2話でも一部が使われている。
  9. ^ 制作には不参加。
  10. ^ LD-BOX用に制作された短編アニメ。

出典 編集

  1. ^ a b c ご招待イベント<熱きコナンファンよ 集え!>参加者を募集します”. Museo d'Arte Ghibli. 株式会社スタジオジブリ. 2022年12月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 本田雄インタビュー 「千年女優」と今敏監督の思い出を語る (前編)”. アニメ!アニメ!. イード (2014年2月20日). 2021年8月9日閲覧。
  3. ^ a b c d e Matteo Watzky (2022年1月28日). “「電脳コイル」総作画監督 井上俊之インタビュー (日本語版)”. fullfrontal.moe. 2022年12月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g Andrew Osmond (2017年1月1日). “Interview: Takeshi Honda” (英語). All The Anime. https://blog.alltheanime.com/interview-takeshi-honda/ 2022年4月2日閲覧。 
  5. ^ a b c d e f “「ヱヴァ新劇場版:破」作画監督・本田雄の名を騙った非常勤講師が辞職へ”. GIGAZINE. (2009年5月2日). http://gigazine.net/news/20090502_honda_takeshi/ 2014年1月22日閲覧。 
  6. ^ a b アニメージュ編集部 編『崖の上のポニョ』徳間書店〈ロマンアルバム〉、2008年8月23日、[要ページ番号]頁。ISBN 4-19720-257-1 
  7. ^ アニメージュ編集部 編『風立ちぬ』徳間書店〈ロマンアルバムエクストラ〉、2013年10月11日、p200-202頁。ISBN 4-19720-374-8 
  8. ^ 宮崎駿、エヴァ新作から文春砲まで...現役監督が2017年のアニメ業界を総ざらい”. BuzzFeed Japan (2017年12月31日). 2022年12月15日閲覧。
  9. ^ a b 「野中くん発 ジブリだより」2019年2月号”. スタジオジブリ (2019年2月8日). 2021年8月9日閲覧。
  10. ^ 宮崎駿監督10年ぶり長編最新作『君たちはどう生きるか』来年7・14公開決定”. ORICON NEWS. オリコン (2022年12月13日). 2022年12月15日閲覧。
  11. ^ 『SWITCH Vol.41 No.9 特集 ジブリをめぐる冒険』「本田雄 [報われた6年間]」スイッチ・パブリッシング、2023年8月、p.57。
  12. ^ 【月刊アニメスタイル】本田雄さんの取材”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル (2011年6月2日). 2022年12月15日閲覧。
  13. ^ 前田真宏と本田雄がタッグ 日本アニメ(ーター)見本市第6弾が予告編も公開”. アニメ!アニメ!. イード (2014年12月11日). 2022年12月15日閲覧。
  14. ^ 『ももへの手紙』沖浦啓之監督インタビュー第5回 丸4年を費やした作画作業”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル (2012年5月11日). 2021年11月1日閲覧。
  15. ^ “日本アニメ(ーター)見本市 資料集発刊記念トーク&サイン会前半戦に本田雄と前田真宏が登場、「アニメ(ーター)海の家 @ 渋谷2.5D」企画語り編”. KADOKAWA. (2016年8月17日). https://webnewtype.com/report/article/84521/ 2021年11月1日閲覧。 
  16. ^ 宮崎駿、『君たちはどう生きるか』は最後の長編監督作品に? 今後のジブリの行方を占う”. リアルサウンド. 株式会社blueprint (2022年12月16日). 2022年12月21日閲覧。
  17. ^ 青の6号”. GONZO公式サイト. 2016年5月16日閲覧。
  18. ^ 株式会社カラー最新情報:弊社所属のアニメーター・本田雄に関しまして 2009年5月1日 2009年5月1日閲覧