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本福寺 (大津市)

滋賀県大津市にある寺院

本福寺(ほんぷくじ)は、滋賀県大津市本堅田一丁目22番30号に所在する浄土真宗本願寺派の寺院。山号は夕陽山(せきようさん)。

本福寺
所在地 滋賀県大津市本堅田1丁目22番30号
位置 北緯35度6分40.32秒
東経135度55分9.7秒
座標: 北緯35度6分40.32秒 東経135度55分9.7秒
山号 夕陽山
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1461年寛正2年
公式HP 浄土真宗本願寺派 夕陽山 本福寺
法人番号 9160005000954
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目次

歴史編集

鎌倉時代後期の正和年間に野洲郡御上神社神職であった善道本願寺覚如の門人となり、開創したのが始まりとされている。後を継いだ二世覚念は浄土宗に転じたが、次の三世法住の代に浄土真宗に復帰、最初は佛光寺に属するものの、紆余曲折の末に巧如によって本願寺直末寺として認められた。蓮如が寛正の法難で大谷本願寺を破壊された際にこれを匿った。そのため、延暦寺と対立し、堅田の地元民と延暦寺との対立も絡んで1468年にはいわゆる「堅田大責」と呼ばれる延暦寺の攻撃で堅田の町と本福寺が焼き払われた。四世明顕と門人明宗は蓮如・実如の元で本願寺と浄土真宗の発展に尽くすと共に、堅田を中心とした近江国の浄土真宗門徒及び一向一揆の中核を担う存在となった。

ところが、実如の弟蓮淳(蓮如の六男・証如の外祖父)が近江顕証寺(後の近松別院)に入ると、勢力圏が重なる本福寺の存在に脅威を感じるとともに一門統制に対する力の行使のため、明顕の養子として後を継いで五世となった明宗を圧迫して1518年1527年1532年の3度にわたって破門が行われ(堅田本福寺破門事件)、本福寺は所領・門徒らをことごとく奪われて没落、明宗は憂悶のうちに死去する。この明宗が著した「本福寺明宗跡書」、その後継者である六世明誓が著した「本福寺由来記」「本福寺門徒記」は、後世「本福寺跡書(ほんぷくじあとがき)」と称せられた。堅田を中心とした近江浄土真宗興隆の歴史と蓮淳(一門衆)による統制と反対派への弾圧・粛清が生々しく描かれている。江戸時代前期に寺を再興した十一世明式松尾芭蕉の門人・千那(俳号)としても知られていた。

アクセス編集

JR西日本湖西線堅田駅より江若バス浜大津線堅田町内循環、堅田出町停留所、または浮御堂前停留所(土曜日、休日、1月2日~3日、8月14日~16日、12月29日~31日の堅田駅発10:00台~15:00台)下車

備考編集

社会福祉法人夕陽会 が本福寺こども園(境内)と第二本福寺こども園(本堅田六丁目)を運営。

参考文献編集

  • 千葉乗隆「本福寺」/金龍静「本福寺跡書」(『日本史大事典 6』(平凡社、1994年)ISBN 978-4-582-13106-2
  • 日本歴史地名大系 25 滋賀県の地名』(平凡社、1991年)ISBN 978-4-582-91011-7 P.229-231