札幌市立創成小学校

北海道札幌市にあった小学校

札幌市立創成小学校(さっぽろしりつ そうせいしょうがっこう)は、かつて北海道札幌市中央区にあった公立小学校1871年に設置された資生館を起源とする「札幌で最も古い歴史をもつ学校[1]」であったが、2004年に廃校となった。本項では、直接の前身である札幌市立中央創成小学校、札幌市立西創成小学校、およびそれらの共通の前身校についても述べる。

札幌市立創成小学校
地図北緯43度03分19.7秒 東経141度20分54.1秒 / 北緯43.055472度 東経141.348361度 / 43.055472; 141.348361座標: 北緯43度03分19.7秒 東経141度20分54.1秒 / 北緯43.055472度 東経141.348361度 / 43.055472; 141.348361
過去の名称 資生館
札幌学校
雨竜学校
第一学校
公立第一小学校
公立創成学校
県立創成学校
公立創成小学校
創成尋常高等小学校
創成尋常小学校
中央創成尋常高等小学校
中央創成尋常小学校
中央創成国民学校
札幌市立中央創成小学校
創成高等小学校
創成尋常高等小学校
西創成尋常高等小学校
西創成尋常小学校
西創成国民学校
札幌市立西創成小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 札幌市
併合学校 札幌市立中央創成小学校
札幌市立西創成小学校
設立年月日 1871年(明治4年10月)
開校記念日 10月26日
創立者 開拓使
閉校年月日 2004年3月31日
所在地 060-0063
北海道札幌市中央区南3条西7丁目
外部リンク http://www.sosei-e.sapporo-c.ed.jp/
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沿革 編集

開校から2校分立まで(1871年-1896年) 編集

2校分立時代(1896年-1965年) 編集

創成尋常小学校から中央創成小学校まで 編集

  • 1896年(明治29年)11月 - 創成尋常高等小学校を創成尋常小学校に改称(北1条西2丁目)[21][注釈 21]

創成高等小学校から西創成小学校まで 編集

  • 1896年(明治29年)11月28日 - 創成高等小学校を開校(南3条西7丁目、旧藻岩学校跡)[31][注釈 30]
  • 1908年(明治41年)4月 - 尋常科を併置し、創成尋常高等小学校に改称[32][注釈 31]
  • 1910年(明治43年)4月1日 - 西創成尋常高等小学校に改称[33][34][注釈 32]
  • 1931年(昭和6年)4月1日 - 高等科を分離し、西創成尋常小学校に改称[26][注釈 25][注釈 33]
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行、西創成国民学校に改称[27][注釈 34]
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行、札幌市立西創成小学校に改称[28][注釈 35]
    • 1951年(昭和26年)8月 - 曙小学校開校に伴い、児童の一部を移動[36]
  • 1965年(昭和40年)3月 - 閉校式挙行[30]

再統合後(1965年-2004年) 編集

校歌 編集

中央創成小学校校歌 編集

作詞は石森和男(1860年 - 1916年[46]、元・北海道師範学校教師[47])、作曲は玉川瓶也(生年不詳 - 1920年[48]、当時北海道師範学校教師[49] [注釈 37])によるもので、創成尋常小学校時代の1909年(明治42年)3月出願[50]、同年4月8日認可された[51][注釈 38][注釈 39]。当初の歌詞は次のとおり[50][注釈 40]

 
  1. 御代の恵の露ふかく 学の柱つき立てし
    その年月をかぞふれば 明治 四年ヨトセ十月カミナヅキ
  2. 月のうちにも日をえらび 始めてこゝに開かれし
    愛と情の充ちわたる 教の庭のうれしさよ
  3. 昼はひねもす夜もすがら 流るゝ水のたえまなく
    ひらけゆく世におくれじと 勉めはげまであるべきか
  4. やまと心もつとめずば マコトの光そはざらん
    いともかしこき御勅語ミコトノリ 朝な夕なにアフぎつゝ
  5. 雪の徽章の我が校旗 高くさゝげて諸共に
    をゝしき心ふり起し 学の道を進むべし

一方、戦後の資料には、1番の「御代の恵の露ふかく」を「菊のかおりのいや高く」に改め、4番を削除し、元の5番を4番に繰り上げたものが見られる[52][注釈 41]「札幌市立中央創成小学校の跡」の碑に刻まれた歌詞も同様で、作詞者・作曲者の後に「飯田広太郎加筆」と記してある。戦後に飯田広太郎(1894年 - 1954年[53]、元・中央創成尋常小学校校長[54])が1番の冒頭を改作したとの証言がある[55][注釈 42]

西創成小学校校歌 編集

札幌市西創成尋常小学校校歌として、1938年(昭和13年)に作られ[56]、1939年(昭和14年)1月18日認可された[57][注釈 38][注釈 43]。詞は複数名の委員の手によるもの[56]で、監修した加勢蔵太郎(1884年[58] - 1951年[59]、当時札幌第一中学校校長[注釈 44])が名義上の作詞者となっている[56]。 作曲は創成小学校出身の梁田貞[56]。当初の歌詞は次のとおり[56][注釈 40][注釈 45]

 
  1. いしかりあらゑしいしずゑ
    まなびはじめにて
    ひらけゆくもとゐなり
    れきたふと西にしさうせい
    歴史尊き 西創成
  2. けがれなき ゆきしるしをかざしつゝ
    みことかしこすこやか
    ごとたゆまず まなぶなり
    ちからあふるゝ 西創成
    力溢るゝ 西創成
  3. せいうんみねあふぎて おほぞら
    びゆくにれの さながらに
    がうけんこゝろ きたふべし
    ばうたゝへし 西創成
    希望湛へし 西創成

戦後の「札幌市立西創成小学校校歌」では、2番の「勅畏み」が「教えまもりて」に書き換えられている[60]が、誰が改作したかは不明。

創成小学校校歌 編集

1965年(昭和40年)制定、宇野親美(1895年 - 1968年、元・北海道帝国大学予科長[61]、1907年度の一時期創成高等小学校に在籍[62] )作詞、渡部日出雄(生年不詳 - 1987年[63]、当時創成小学校校長)作曲[64]。同年10月26日の開校記念日に行われた新校舎落成記念式で披露された[65]。冒頭の部分は、西創成小学校校歌のメロディを踏襲した形になっている[注釈 46]。歌詞[66]

関係者 編集

出身者 編集

肩書の「元」は省略する。

教職員 編集

記念碑 編集

梁田貞音楽碑 編集

 
札幌市立資生館小学校敷地にある梁田貞音楽碑

この学校出身の作曲家・梁田貞を記念し、1968年、当時の創成小校庭内(東側正門のやや北側[132])に胸像(梁田の東京府立第五中学校での教え子である安田周三郎[133]が制作)と代表作「どんぐりころころ」の楽譜を刻んだ碑が建てられ、梁田の命日である5月9日に除幕式が行われた[134]。胸像の台座正面の銘板には小原國芳が揮毫した「楽聖梁田貞先生像」の題字[135]、梁田から見て右側面の銘板には、同じく小原國芳による頌詞、楽譜碑裏面の銘板には「梁田貞先生年譜」が記されている。後に、碑のそばにドングリ(アカナラ)の木が植えられた[136]。旧校舎から資生館小学校への改築に伴い移設され、現在は敷地の南西角(南4条西7丁目)にある[137]

「札幌市立中央創成小学校の跡」の碑 編集

 
札幌市役所敷地にある札幌市立中央創成小学校の跡の碑

旧中央創成小学校の跡地である札幌市役所敷地の南東角(大通西2丁目)に記念碑が建てられ、1972年4月21日に除幕された[138]坂坦道作品[139][140]。校章と児童の顔のレリーフを埋め込み、銘板に原田與作揮毫の「札幌市立中央創成小学校の跡」の題字と、校歌の歌詞が刻まれている。校歌の制定日を「明治12年4月20日」と記している。これは、「明治42年4月20日」[141][注釈 63]とすべきところを、レリーフ制作の際に誤って漢数字の「四」を落としたとの証言がある[55]。また、この碑のそばには同校の卒業生が植樹した2本のイタヤカエデ[142]と、「中央創成小学校 大十会[注釈 64] 昭和46年11月もみじ2本植樹」と書かれた石標がある[143]

クラブ活動 編集

合唱クラブのNコン2連覇 編集

1971年の開校百周年記念行事として、10月21日にはこの学校出身の歌手・奥田良三を迎えての音楽会[144][145]、10月26日には創建百年記念式典[144][41]が開かれたが、この2つの行事に前後を挟まれた10月24日、合唱クラブがNHK全国学校音楽コンクール小学校の部で最優秀校となった[146]。指導に当たっていた松坂哲夫教諭は「だれが仕組んだのかと疑うほどのタイミングだった[147]」と書いている。翌1972年も同コンクールで最優秀校となり、2連覇を果たした[148][149]

通学区域 編集

札幌市中央区[150]

  • 大通東1丁目、西1-7丁目
  • 南1条東1丁目、西1-7丁目
  • 南2条東1丁目、西1-8丁目
  • 南3条東1丁目、西1-10丁目(ただし西10丁目は南3条通以南)
  • 南4条東1丁目、西1-10丁目(ただし西1-4丁目は南4条通以北)
  • 南5条西5-10丁目
  • 南6条西5-10丁目
  • 南7条西6-10丁目
  • 北1条西1-7丁目
  • 北2条西1-7丁目
  • 北3条西1-7丁目
  • 北4条西1-7丁目
  • 北5条西1-7丁目

進学先中学校 編集

※閉校時

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 「本陣」とは、官設の旅館を意味する。開拓使官員や人夫のための宿泊施設が「開拓使本陣」であるが、当初、今の豊平3条1丁目付近にあった志村鐵一の通行屋(『新札幌市史 第1巻』824頁)の建物を南1条西1丁目に移して仮設の本陣とした(『札幌区史』318頁、『札幌教育史 上巻』18頁)。これが「開拓使仮本陣」である。
  2. ^ 対象とする生徒について、『札幌区史』389頁では「移民子弟の教育」、『札幌教育史 上巻』23‐24頁では「官員子弟に限定」、『新札幌市史 第2巻』378頁では「開拓使官員子弟等教育のため」とばらつきがある。
  3. ^ a b c 『札幌区史』387-388頁札幌市内の通りを参照。
  4. ^ 資生館開校の時期について、『創成百年』22-23頁では、明治36年における元生徒(正しくは『新札幌市史 第2巻』992頁にあるように「明治病院 院長 尾形碧」であるが、誤って「長尾明治病院々長」としている)の「明治4年10月、北1条東2丁目に移転」という発言が引用されているのみで、26日開校とする根拠は示されていない。 『札幌教育史 上巻』25頁には、(a) 明治4年9月14日設置認可、(b) 同年10月26日設置、(c) 同年11月3日開校とあるが、(b) を設置日とする根拠が示されていない。 『新札幌市史 第2巻』378頁は(旧暦)11月開校としているが、同書の年表『新札幌市史 第8巻2』45頁では(旧暦)10月26日開校としており、混乱が見られるうえに、後者が出典史料としている『札幌区史』389頁でも、「(明治)4年10月」に校舎を北1条東2丁目に移転して資生館と称した旨が書かれているだけで、「26日」というのは根拠不明である。 また、資生館の所在地について、上述のように『札幌区史』389頁、『創成百年』22-23頁などは「北1条東2丁目」としているが、『札幌教育史 上巻』24頁で引用する尾形碧の発言(「札幌区史々料」伊東正三編 函館図書館蔵)では、「明治4年10月北1条東1丁目(現今上星小間物店辺ノ角ニ当ル)二移転セリ」となっている。この発言は1903年(明治36年)におけるものだが、1910年(明治43年)の「札幌区商工新地図」を見ると、北1条東1丁目に「小間物雑貨 上・ 神田商店」(「上・」は「上」と「・」を上下に並べた屋号紋)が存在する。尾形碧の発言を信用し、上星小間物店がこの7年間で移転していないとすれば、資生館の所在地は雨竜通(東2丁目通)に面した北1条東1丁目の角、現在のアルファセンタービルの場所であったと考えられる。この場所は、1978年(昭和53年)に町の区域の変更により「北1条東2丁目」から「北1条東1丁目」に変わった(『広報さっぽろ』217号中央7頁)。 なお、『創成百年』23頁の大庭恭平館長の肩書、218頁年表に「開拓使立資生館」とあるが、「開拓使立」を冠するのが正式名称だったかどうかは不明。
  5. ^ この改称時期については、(a) 明治5年11月(1872年12月)とする史料(『開拓使事業報告 第4編』402頁)と、(b) 明治6年(1873年)6月17日とする史料(『開拓使事業報告 附録 布令類聚下編』26頁)がある(『札幌教育史 上巻』28頁、『新札幌市史 第2巻』380頁)。『新札幌市史 第2巻』380頁『新札幌市史 第8巻2』 51頁は(b)を採用している。 なお、『創成百年』25頁の上村行清校長の肩書に「開拓使立札幌学校」とあるが、「開拓使立」を冠するのが正式名称だったかどうかは不明。同頁掲載の明治8年6月28日付賞状の写真には、発行者名が単に「學校」と筆文字で書いてあり、校印は「札幌学校」となっている。
  6. ^ 開拓使東京仮学校が札幌に移転し、「札幌学校」という名で設立された(札幌農学校の前身)ので、同名を避けるための改称。校舎が「雨竜通」に面していたことによる。 『札幌教育史 上巻』27頁では「明治8年9月7日東京の開拓使仮学校を札幌に移し札幌学校と称したため」「雨龍(小)学校に改めた」と書いており、9月7日以降に雨竜学校に改称したように読める書き方をしている。 なお、『創成百年』26頁の森源三校長の肩書には「開拓使立雨竜学校」とあるが、「開拓使立」を冠するのが正式名称だったかどうかは不明。同書27頁掲載の賞状の写真には筆文字で「雨龍黌」とあり、学校印は「雨龍學校」となっている。
  7. ^ 学制に基づいて定められた、「小学教則」(明治5年9月8日文部省布達番外)。
  8. ^ この札幌学校所轄となった時期について、『創成百年』26頁では雨竜学校への改称と同時のように書いているが、『新札幌市史』によると、時期にずれがあったようである。
  9. ^ a b 『創成百年』27頁の上段年表欄では明治9年5月「第一学校と改称」に対して見出しでは「公立第一小学校と改称(明9・5)」となっていたり、28頁見出しでは「公立第一小学校の開業式(明9・5)」とするなど、「公立第一小学校」に改称した時期に関して混乱が見られ、校正ミスとも思われる。 『札幌区史』568頁によれば、「校舎を新築し、9年5月竣工、其月26日を以て開校式を挙げ、更に校名を公立第一小学校と改めたり」と書いて、「初め単に第一学校と称し、8月2日に至り第一小学校と改む」とあるから、併せて読めば、まず5月26日に「第一学校」となり、8月2日に「第一小学校」に改めたということのようだが、「第一学校」にも「公立」を冠したのかどうか、この記述からは判断しがたい。 『新札幌市史 第8巻2』59頁では、「6.21 雨竜学校を(略)第一学校と改称」、「8.2 第一学校を公立第一小学校と改称」としており、『新札幌市史 第2巻』381頁の記述と比べると、雨竜学校からの改称の日付も学校名も食い違っている。この年表の8月2日の項が典拠とする『西創成小学校 学校沿革誌(上)』(札幌市公文書館蔵)6頁では、「明治9年5月26日 (略)校名ヲ公立第一小学校ト改ム」「而シテ単ニ第一学校ト称セシヲ同9年8月2日公立第一小学校ト改称ス」となっている。
  10. ^ 『創成百年』26頁の森源三校長の肩書と、218頁年表には「札幌学校所轄第一学校」とある。また、『札幌教育史 上巻』67頁、巻末年表5頁では、「札幌学校所轄第一学校」となっている。これらが正式名称だったかどうかは不明。
  11. ^ 札幌学校から札幌農学校への改組に伴う(『創成百年』28頁、『札幌教育史 上巻』68頁)。ただしその所轄を離れた厳密な日付までは不明で、『札幌教育史 上巻』巻末年表5頁でも「明治9年8月」としか示されていない。
  12. ^ 『創成百年』26頁に掲載の賞状の写真では、汚れにより判読しにくいものの、発行日が「明治9年9月29日」、発行者は「開拓使札幌」と小書きにしてから改行し大きく「公立第一小学校」、校印は「第一學校」と読める。 また、『創成』4頁に掲載の卒業証書の写真では、発行日が「明治14年4月18日」、発行者はやや小書きで「開拓使札幌」、改行して大きく「第一小學校」とあり、「第一學校」の印が押されている。 両者の時期には4年半ほどの開きがあるが、いずれにしても、「第一小学校」の上に「開拓使札幌」や「公立」を冠するのが正式だったのかどうか、判定しがたい。
  13. ^ 『札幌区史』573頁などでは「藻巌学校」と表記している。『創成百年』では「藻巌学校」(33頁本文、39頁本文など)と「藻岩学校」(39頁上段年表、218頁年表など)が混在する。「岩学校」(33頁上段年表)は誤植。
  14. ^ 校名は「創業守成」の古語に由来し、札幌の教育の夜明けを「創」にこめ、その創業の精神を守り発展させる未来への願いを「成」にこめた(『創成百年』35頁)。 なお、同書218頁では明治14年7月「札幌区公立創成学校」となっているが、「札幌区」を冠するのが正式名称だったかどうかは不明。
  15. ^ 仮師範学校開設の時期について、『札幌区史』807頁は「明治15年中」、『創成百年』36頁、219頁は「明治15年9月」とする。
  16. ^ 『札幌区史』807頁では「県立札幌師範学校」、『創成百年』37頁では「県立師範学校」としている。
  17. ^ 『創成百年』36頁上段年表では明治16年5月に県立師範の「附属小学校となる」としているのに対し、37頁本文見出しでは「県立師範の附属となる。(明16・12)」としているが、後者は校正ミスであろう。
  18. ^ 『創成百年』37頁ではこの時期を附属小が新設されたのと同時の「明治17年2月」としている。 『札幌区史』807頁は「県立を廃し公立小学校たらしめ」、810-811頁は「16年12月25日創成学校県立を廃され、札幌区第一番学区引渡を受けて公立となし」と書いており、これを受けて『創成百年』37頁も「県立から公立へ移される」としているが、『札幌教育史 上巻』巻末年表9頁では「12・24 札幌県立創成学校は区立学校に改組する」、『新札幌市史 第8巻2』77頁では「12.25 創成学校が県立から区立となる」と表現を変えている。 また、日付については、『創成百年』は「12月」とだけ書いているが、『札幌教育史 上巻』は「12月24日」、『札幌区史』と『新札幌市史 第8巻2』は「12月25日」としている。 さらに、「創成学校」から「創成学校」となった時期についても不明な点がある。『創成百年』37頁掲載の明治17年8月14日付卒業証書の写真には「公立創成學校」とあることや、その他公文書、当時の他校名(藻岩学校、豊水学校など)の関連などから、改称時期はもっと遅かったとも考えられる(同書38頁)が、『札幌教育史 上巻』104頁は「創成学校は明治16年12月に創成小学校と改称」としているのに対し、『新札幌市史 第2巻』396頁では明治15年2月に「創成学校」、同じ頁で明治17年1月には「創成小学校」と表記しており、改称時期には触れていない。『新札幌市史 第8巻2』では明治19年6月まで「創成学校」と書き、明治21年8月31日に初めて「創成小学校」が現れる。 また、『創成百年』37頁掲載の卒業証書の写真で「公立創成學校」の前の行に「札幌縣」と記されているのは、単に所在地を記したものなのか、それも名称の一部なのか、判定しがたい。 同書39頁、41頁、42頁の歴代校長の肩書に「札幌区創成小学校」とあるが、これが正式名称だったかどうかも不明。
  19. ^ この時期について、『創成百年』37頁、219頁は「明治17年2月」とし、『札幌教育史 上巻』105頁と『新札幌市史 第8巻2』79頁は「明治17年1月22日」と日付を明記している。
  20. ^ 『創成百年』42頁の校長肩書に「札幌区創成尋常高等小学校」とあるが、これが正式名称だったかどうかは不明。
  21. ^ この改称の日付を『新札幌市史 第8巻2』109頁では11月28日と明記しており、創成高等小学校の開校日に合わせたものと見られる。 『創成百年』42頁の校長肩書には「札幌区創成尋常小学校」とあるが、同書58頁に掲載の「卒業生心得」には「札幌區公立創成尋常小學校」と印字されており、「札幌区」「公立」を冠するのが正式名称であったとも考えられる。
  22. ^ 『創成百年』46頁では「明30・6」となっているが、おそらく誤記。同書220頁、『新札幌市史 第2巻』820頁 では明治30年5月、『札幌教育史 上巻』161頁、巻末年表18頁、『新札幌市史 第8巻2』111頁では明治30年5月3日としている。
  23. ^ 『札幌区史』1025頁に「31年」とあるのは誤記。
  24. ^ この改称時期は、『札幌区史』1024頁『新札幌市史 第2巻』688頁は単に「43年」とし、『新札幌市史 第8巻2』153頁では「43年4月1日」としているのに対し、『創成百年』62頁は見出しで「高等科の併置と校名の改称(明43・8)」としながら、本文では「43年4月1日からは本校にも高等科が併置され校名も中央創成尋常高等小学校と改称された」とし、同220頁年表では「43・8 高等科を併置し、中央創成尋常(ママ)小学校と改称」とするなど、大混乱が見られる。正しくは、1910年3月2日「北海タイムス」掲載の「札幌区告示第14号」に「明治43年4月1日ヨリ創成尋常小学校及東尋常小学校ニ高等小学校ノ教科ヲ併設シ其ノ学校名ヲ左ノ通リ改称ス(中略)創成尋常小学校 改称 中央創成尋常高等小学校(後略)」とあるように、「明治43年4月1日」に高等科併置と同時に改称したと見られる。なお、『札幌市史 文化社会篇』126頁は、明治41年に「高等科を併置して中央創成尋常高等小学校」となったとしているが、上記告示に照らして間違いである。 また、『創成百年』54頁、64頁の歴代校長肩書では「札幌区中央創成尋常高等小学校」、72頁に掲載の「創立五十年記念帖」の写真では「札幌區中央創成尋常高等小學校」、66頁、75頁、79頁、83頁の歴代校長肩書では「札幌市中央創成尋常高等小学校」となっているのに対し、『新札幌市史 第2巻』688頁に掲載の写真-2では、門柱に「公立中央創成」の文字が見えることから、「公立」を冠するのが正式だったとも考えられ、キャプションも「公立中央創成尋常高等小学校」としている。門柱の写真は1911年(明治44年)、記念帖は1920年(大正9年)と時期のずれがあることは考慮すべきであるとしても、いずれが正式名称だったとも判定しがたい。 『創成百年』73頁に、1920年(大正9年)のものとされる「寄贈された校旗」の写真が掲載されており、「札幌市中央創成尋常小学校」という文字が読める。市制が施行されたのは1922年(大正11年)だし、再び高等科を分離して単置の尋常小学校となったのは1931年(昭和6年)なので、大正9年の写真とは考えられない。
  25. ^ a b 札幌市では、1930年から1931年にかけて3つの単置高等小学校(第一、第二、女子)を設置して高等科児童をここに収容することとし、従来の尋常高等小学校は、師範附属を除いてすべて尋常小学校になった(『札幌市史 文化社会篇』136-137頁)。
  26. ^ 『創成百年』73頁の校旗の写真、83頁、90頁の歴代校長肩書には「札幌市中央創成尋常小学校」とあるのに対し、86頁に掲載の校名の標札の写真では「公立中央創成尋常小學校」となっており、このうちいずれかが正式名称だったのか、判定しがたい。
  27. ^ 『創成百年』102頁の校長肩書には「札幌市中央創成国民学校」とあるが、これが正式名称だったかどうかは疑問。
  28. ^ 『創成百年』114頁本文に「札幌市立中央創成小学校と改名」とあり、同頁掲載の写真に写っている門標にも同じ表記があるので、昭和22年改称時点での正式名称が「札幌市立」を冠したものだったと考えられるが、113頁の鎌田校長肩書ではわざわざ「札幌市中央創成小学校」と「札幌市立中央創成小学校」を併記しているので疑問が残る。しかし、鎌田校長の着任が「昭和21・10」とあるので、着任当初は「札幌市中央創成国民学校」であったと書くつもりで、「札幌市中央創成小学校」と誤記したとも考えられる。なお、119頁に掲載の「招待券付学芸会」の写真(昭和25年)では、招待券に「札幌市中央創成小学校」と印刷されているなど混乱が見られる。
  29. ^ 『創成百年』132頁に「期間は38年3月末まで」とあるのは誤り。
  30. ^ 『創成百年』46頁には「11月22日開校」とあるが、『新札幌市史 第8巻2』109頁が典拠とする『北海道毎日新聞』(1896年(明治29年)11月26日)の記事では、11月28日開校式と報じられている。 『創成百年』46頁、48頁、50頁の歴代校長肩書には「札幌区創成高等小學校」とあるが、これが正式名称だったかどうかは不明。
  31. ^ 第三次小学校令明治40年改正による義務教育延長に伴い、尋常科4年・高等科4年から尋常科6年・高等科2年に改められたため、それまでの高等科の1年生~4年生が尋常科5年・6年、高等科1年・2年となり、新たに尋常科1年生を入学させた(『創成百年』59頁)。 また校名については、同書58頁の校長肩書に「札幌区創成尋常高等小学校」とあるが、これが正式名称だったかどうかは不明。 『新札幌市史 第8巻2』147頁は、改称日を4月1日としている。また同頁に明治41年7月11日「西創成尋常高等小学校が保護者会設立」とあるのは誤記。
  32. ^ 創成尋常小学校にも高等科が併置され、そのままでは創成尋常高等小学校が2校できることになるので、区別のため(『創成百年』62頁)。 『札幌区史』1024頁には明治43年に「創成高等小学校」から直接「西創成尋常高等小学校」に改称したように書いてあり、また『札幌市史 文化社会篇』126頁には明治41年に「創成高等小学校」が「西創成尋常高等小学校となった」と書いてあるが、1910年(明治43年)3月2日「北海タイムス」掲載の「札幌区告示第15号」に「明治43年4月1日ヨリ創成尋常高等小学校西創成尋常高等小学校ト改称ス」あることから、どちらも正しくない(『創成百年』59頁の注で否定されている)。 同書同頁、66頁の歴代校長肩書には「札幌区西創成尋常高等小学校」、66頁、83頁の歴代校長肩書には「札幌市西創成尋常高等小学校」とあるが、これらが正式名称だったかどうかは不明。
  33. ^ 『創成百年』73頁の「昭和9年ごろの校舎全景」の図には「札幌市立西創成尋常小學校」、100頁の校歌の写真では「札幌市西創成尋常小學校」、優良校表彰状の写真では「北海道廳札幌市」と小書きにしてから改行し「西創成尋常小學校」、83頁の校長肩書には「札幌市西創成尋常小学校」とあり、いずれが正式名称だったかは不明。
  34. ^ 『創成百年』83頁、107頁の歴代校長肩書に「札幌市西創成国民学校」、108頁の賞状の写真には「札幌市西創成國民學校」とあるが、これが正式名称だったかどうかは不明。
  35. ^ 『創成百年』114頁本文、表札の写真、115頁の校長肩書で「札幌市立西創成小学校」となっており、この改称時から「札幌市立」が冠されていたと考えられる。なお、112頁の若木勝蔵校長肩書に「札幌市西創成小学校」とあるのは、在任期間が昭和21・10から昭和22・4までとあることから見て、「札幌市西創成国民学校」の誤りであろう。
  36. ^ 『新札幌市史 第8巻2』407頁では開校日を3月31日としている。
  37. ^ 『創成百年』61頁には「本校教諭」とあるが、同書237‐241頁の歴代職員名簿には見当たらない。
  38. ^ a b 1894年、小学校唱歌用歌詞及楽譜採用方(明治27年文部省訓令第7号)により、小学校で校歌など独自の唱歌を採用するには文部大臣の認可を要した。この訓令は昭和6年文部省訓令第20号によって廃止されると同時に、昭和6年文部省令第21号によって改正された小学校令施行規則(明治33年文部省令第14号)第53条ノ2に同趣の規定が引き継がれた。小学校令施行規則は昭和16年文部省令第4号により改正されて国民学校令施行規則となったが、その第36条に同趣の規定が引き継がれ、1947年(昭和22年)に廃止されるまで効力を有した。
  39. ^ 『創成百年』61頁では「明治42年4月20日認可」としているが、これは学校に認可の通知が届いた日か。
  40. ^ a b 歌詞、曲ともに著作権の保護期間が満了している。
  41. ^ 『創成』冒頭で4番(元の5番)の歌詞中「諸共に」が「もろもろに」となっているのは誤記と見られる。
  42. ^ 改作が飯田広太郎によるものだとすれば、その改作部分についても、著作権の保護期間が満了している。
  43. ^ 『創成百年』100頁では「昭和14年2月13日認可」となっているが、これは学校に認可の通知が届いた日か。
  44. ^ 『創成百年』100頁では「札幌第二中学校(現西高)の加勢蔵太郎先生」となっているが、『百年史 北海道札幌南高等学校』207頁によると札幌第二中学校から1937年(昭和12年)4月に札幌第一中学校に移り、1942年(昭和17年)6月まで校長を務める。なお、『創成』冒頭の楽譜で「加蔵太郎 作詞」となっているの は誤記。
  45. ^ 『創成百年』100頁および『創成』冒頭に掲載の楽譜を参考にふりがなを補った。ただし2番の「勅畏み」については7文字ということから推定した。
  46. ^ 『創成』冒頭に掲載の楽譜を比較のこと。
  47. ^ 『創成』41頁に創成尋常小「明治33年4月~明治37年1月入学」として、72頁に創成高等小「明治39年度」の一人として載っている。しかし、本人が書いた記事(札幌南高校『六十年史』167頁)によると札幌中学に明治39年から44年まで在学したことになっているから、明治39年には高等小学校を出ていなければならない。『その微笑』366‐367頁では「明治33年3月 札幌区中央創成小学校に入学」「明治39年3月 札幌区西創成高等小学校卒業」となっており、学校名は不正確だが、中学在学時期と整合する。
  48. ^ 『創成』65頁に「明治36年度」として載っているが1904年(明治37年)卒業と解釈される。
  49. ^ 『創成』15頁に「札幌区創成小学校 札幌区創成尋常高等小学校 尋常科在籍 明治25年9月入学~明治28年7月入学」として載っている。
  50. ^ 『創成』93頁では尋常科・高等科の区別なく「明治44年度退学」となっているが、年齢から判断して尋常科退学である。『札幌人名事典』32頁には「創成小学校を卒業」とあるが、他の資料によると卒業はしていない。
  51. ^ 『創成』39頁に「明治33年4月~明治37年1月入学」として載っている。「私の履歴書」34頁では明治34年(1901年)に第2学年を終えたことになっている。しかし、その後、慶応義塾幼稚舎東京府立第一中学校を経て1年浪人し、第一高等学校に入学したとある(「私の履歴書」34‐44頁)から、そのまま行けば一高入学は明治44年(1911年)になるはずだが、実際には大正元年(1912年)である(「入学許可」官報1912年8月3日)。『北海道新聞』1959年7月5日朝刊13面掲載の植村のインタビュー記事「休日放談」で、「明治35年」まで札幌で過ごしたと述べていることからも、創成尋常小学校入学は明治33年で、明治35年に第2学年を修了したと判断される。
  52. ^ 『創成』229頁に旧姓(非公開)で載っている。
  53. ^ 九島勝太郎が書いた「そば」という文章の中に「畏友、坂本直行は私と小学校の同期生だが」という記述があり(『札幌事始』278頁)、『創成』110頁に九島、同書111頁に坂本の名が、「中央創成大正8年尋常科卒業」として載っている。
  54. ^ 『創成百年』209頁で「佐々木酉」となっているのは誤植。
  55. ^ 『創成』7頁に「尋常小学科在籍 明治20年5月入学~明治25年7月入学」として載っている。
  56. ^ 『われ、死すとも瞑目せず』203頁によると、平沢は1892年(明治25年)2月18日生まれで、「高等3年で庁立札幌中学に入りました」とあるが、通常通り満6歳(1898年)で就学し、尋常科に4年、高等科に3年通ったとすると、1905年(1904年度末)に修了したはずであり、明治38年度(1905年度)に高等小に在籍したとする『創成』の記録に合致しない。 『帝銀事件と平沢貞通氏』17-18頁には、「明治32年(1899年)、7歳のときに(略)創成小学校に入学」、明治38年(1905年)に「創成小学校高等2年」から「札幌第二中学」に入学したとあるが、これも『創成』の記録に合致しない。また、当時まだ札幌第二中学は存在しないから「札幌中学」の誤りであろう。 いずれにしても疑問が残る。
  57. ^ 『創成』12頁に「尋常科在籍 明治25年9月入学~明治28年7月入学」として載っている。
  58. ^ 『創成』90頁に中央創成明治43年度退学として「町村金」が載っているが誤植であろう。
  59. ^ 『創成』9頁に「尋常小学科在籍 明治20年5月入学~明治25年7月入学」として「町村貴」が載っているが、誤植であろう。また同書19頁に「高等科在籍 明治26年4月~30年3月」として載っている。この書き方だと明治30年(1897年3月)に高等科を卒業したようにも読めるが、『町村敬貴伝』64頁に明治22年4月創成小学校入学、明治28年同校を「卒業」、札幌尋常中学校に入学とあることから、実際には明治28年「高等科2年修了」と見られる。
  60. ^ 『創成』148頁に「明治44年度退学」として載っている。
  61. ^ 『創成』156頁に「村中孝」として載っているが誤植と見られる。
  62. ^ 『音楽の師 梁田貞』46頁では「(1899年)明治32年3月」高等科卒業、『札幌教育史 上巻』251頁では「(1897年)明治30年3月」高等科2年修了としている。『創成』では10頁に「尋常小学科在籍 明治20年5月入学~明治25年7月入学」、21頁に「高等科在籍 明治28年4月~明治32年3月」として載っている。
  63. ^ 上述のとおり、採用認可は明治42年4月8日。
  64. ^ 大正10年尋常科卒業生の同期会。

出典 編集

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参考文献 編集

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  • 山崎長吉『札幌教育史 上巻』第一法規出版、1986年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室 編『札幌の小学校』さっぽろ文庫46、札幌市、1988年。
  • 札幌市教育委員会 編『新札幌市史 第1巻 通史1』札幌市、1989年。
  • 札幌市教育委員会 編『新札幌市史 第2巻 通史2』札幌市、1991年。
  • 札幌市教育委員会 編『新札幌市史 第3巻 通史3』札幌市、1994年。
  • 北海道札幌南高等学校 創立百周年記念協賛会 百年史編集委員会 編 『百年史 北海道札幌南高等学校』北海道札幌南高等学校、1997年。
  • 札幌市教育委員会 編『新札幌市史 第4巻 通史4』札幌市、1997年。
  • 札幌市教育委員会 編『新札幌市史 第5巻 通史5下』札幌市、2005年。
  • 札幌市 編『新札幌市史 第8巻2 年表・索引編』札幌市、2008年。

個人の伝記・インタビュー 編集

  • 久保栄「掌のなかの自叙伝」『久保栄全集 第6巻』三一書房、1962年。(初出『月刊新協劇団』第37号、1938年。)
  • 植村甲午郎「私の履歴書」『私の履歴書 第32集』日本経済新聞社、1968年。(初出『日本経済新聞』1968年1月連載。)
  • 蝦名賢造『町村敬貴伝』町村敬貴記念事業の会、1971年。
  • 北海道放送社長室 編『その微笑 阿部謙夫追憶誌』北海道放送、1973年。
  • 岩崎呉夫『音楽の師 梁田貞』東京音楽社、1977年。
  • 北海タイムス社 編『町村金五伝』町村金五伝刊行会、1982年。
  • 北海タイムス社 編『素顔の社長』北海タイムス社、1983年。
  • 小笠原貞子『一粒の麦 政治に愛を』学習の友社、1983年。
  • 南部忠平「私の履歴書」日本経済新聞連載、1987年6月。
  • 遠藤誠 編著『帝銀事件と平沢貞通氏』三一書房、1987年。
  • 平沢武彦 編『われ、死すとも瞑目せず 平沢貞道獄中記』毎日新聞社、1988年。ISBN 978-4620306209

その他 編集

  • 金子信尚「札幌区商工新地図」1910年。
  • 鈴木源十郎・杉山指粋 共編『現代札幌人物史』札幌現代社、1931年。
  • 宇野親美 著・宇野芳子 編『宇野親美遺稿』宇野芳子、1970年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室 編『札幌事始』さっぽろ文庫7、札幌市、1979年。
  • 札幌の歴史を楽しむ会『さっぽろ 大通』新北海道教育新報社、1981年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室 編『札幌の彫刻』さっぽろ文庫21、札幌市、1982年。
  • 木原直彦『北海道文学散歩 Ⅱ 道央編』立風書房、1982年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室 編『札幌の碑』さっぽろ文庫45、札幌市、1988年。
  • 山崎長吉 著、市電の会 編『さっぽろ市電の旅』市電の会、1992年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室 編『札幌人名事典』さっぽろ文庫66、札幌市、1993年。
  • 札幌市教育委員会文化資料室 編『思い出の札幌』さっぽろ文庫69、札幌市、1994年。
  • 片岡秀郎 編著『札幌歴史散歩』ヒルハーフ総合研究所、2012年。ISBN 978-4990640002

関連項目 編集

外部リンク 編集