朽木紘綱
朽木 紘綱(くつき ひろつな)は、江戸時代後期の丹波国福知山藩の世嗣。官位は従五位下・河内守。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保6年(1835年)8月 |
死没 | 嘉永7年閏7月19日(1854年9月11日) |
官位 | 従五位下河内守 |
藩 | 丹波福知山藩世嗣 |
氏族 | 米倉氏、朽木氏 |
父母 |
米倉昌寿 朽木綱張 |
兄弟 |
紘綱、米倉昌言、池田頼誠、米倉昌慧、 安部信発、米倉正直、米倉昌邦、 本多助実継室、恒子 |
妻 | 朽木綱張養女 |
略歴
編集天保6年(1835年)8月、武蔵国金沢藩7代藩主・米倉昌寿(福知山藩8代藩主・朽木昌綱の三男)の五男として誕生。
弘化4年(1847年)1月26日、福知山藩12代藩主・朽木綱張の養子となり、朽木綱張の養女(10代藩主・朽木綱条の娘)を正室とする。嘉永4年(1851年)4月15日、12代将軍・徳川家慶に拝謁する。同年12月16日、従五位下・河内守に叙任する。
嘉永7年(1854年)、家督相続前に早世した。代わって、綱張の長男・為綱が世嗣となり、また為綱は紘綱の妹の恒子を娶った。