杉原景盛(すぎはら かげもり、生年不詳 - (1584年8月))は、安土桃山時代武将毛利氏の家臣、杉原盛重の次男で、兄は杉原元盛、弟に景保、河口刑部小輔久氏妻、吉田肥前守妻、末次元康正室。又次郎。官位は兵廛頭、左近進。

天正10年(1582年)10月26日に、景盛は、羽柴氏と繋がっていることを名分に兄の元盛を二子ともども謀殺[1]するが、天正12年8月、吉川元長に羽柴氏と繋がっていることを理由に佐陀城を攻められ、自刃[1]

脚注編集

  1. ^ a b 森本繁「備後神辺城主 杉原重盛」(『 山城志』 第8集、1985年8月11日)