李 周一(イ・チュイル、이주일1918年11月14日-2002年1月28日)は大韓民国軍人政治家

李周一
이주일
Lee Joo-il, 1961-may-16.jpg
生誕 1918年11月14日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道鏡城郡
死没 (2002-01-28) 2002年1月28日(83歳没)
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織 満州国軍
韓国光復軍
大韓民国陸軍
軍歴 1943-1945(満州国軍)
1945-1946(光復軍)
1948-1963(韓国陸軍)
最終階級 中尉(満州国軍)
大将(韓国陸軍)
除隊後 監査院院長
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経歴編集

1918年11月、咸鏡北道に生まれる。光明中学校卒業。新京軍官学校予科卒業(第1期)、成績優秀のため朴林恒崔昌彦らと共に陸軍士官学校に留学(第56期相当)。卒業後は満州国軍将校となり終戦時は中尉。終戦後、申鉉俊朴正煕と共に北平に到り、ここで韓国光復軍に編入され第3支隊平津大隊第1中隊長となった[1]

1948年12月、陸軍士官学校卒業(特別第7期)、任大尉(軍番11638番)。

1949年、朴正煕の伝手で南朝鮮労働党党員になり、麗水・順天事件に関わった容疑で逮捕される[2]

1950年7月、第2軍団作戦部長。

1950年12月10日、第28連隊長(大領)[3]。1952年10月の白馬高地の戦いに参加。

1953年、陸軍大学卒業。

1954年、第12師団長。

1956年、国防大学院卒業。

1959年6月、第2軍参謀長[4]。副司令官が朴正熙少将であり1961年5月の5・16軍事クーデターの首謀者の1人になる。

クーデター後は軍事革命委員会委員、国家再建最高会議最高委員、国家再建最高会議人事小委員、不正貯蓄処理委員会委員長を務める。

1961年、国家再建最高会議の常任委員、財政委員長、副議長を歴任。

1962年1月、中将に昇進[5]。3月、オリンピック委員会委員長兼大韓体育会会長。

1963年5月、同志会副会長。12月、予備役編入。

1964年、監査院院長。

脚注編集

  1. ^ 김관후 (2015年12月17日). “共匪達と血縁関係を持ったせいで…” (朝鮮語). 제주의소리. http://www.jejusori.net/?mod=news&act=articleView&idxno=170476 2016年1月5日閲覧。 
  2. ^ 정운현 (2004년 8월 9일). “좌익혐의로 무기징역... 재심서 '구사일생' - [실록 '군인 박정희'-친일과 좌익의 기록 1] 1949년 군사재판”. 오마이뉴스. 2008년 2월 27일에 확인함.
  3. ^ 對非正規戰史(1945~1960) (PDF)”. 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 164. 2020年2月12日閲覧。
  4. ^ “將星級 15名 異動” (朝鮮語). 부산일보. (1959年6月2日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19590602000006 2020年2月12日閲覧。 
  5. ^ 金鍾五中將 大將에 昇進 李周一少將은 中將으로” (韓国語). 国史編纂委員会. 2016年1月5日閲覧。

参考文献編集

  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。