李 庸燦(イ・ヨンチャン、韓国語:이용찬、1989年1月2日 - )は、大韓民国ソウル特別市出身のプロ野球選手(投手)。

李 庸燦(イ・ヨンチャン)
Lee Yong-Chan
NCダイノス #22
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
出身地 ソウル特別市
生年月日 (1989-01-02) 1989年1月2日(35歳)
身長
体重
185 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 1次ドラフト
初出場 2008年4月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 大韓民国の旗 大韓民国
WBC 2023年
プレミア12 2019年
獲得メダル
大韓民国の旗 韓国
WBSCプレミア12
2019 野球
イ・ヨンチャン
各種表記
ハングル 이 용찬
漢字 李 庸燦
発音: イ・ヨンチャン
日本語読み: り ようさん
英語表記: Lee Yong-Chan
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経歴 編集

アマチュア時代 編集

奨忠高校3年生当時、2006年AAA世界野球選手権大会の韓国代表に選出され、優勝に貢献した。

斗山時代 編集

同校卒業後、斗山ベアーズに1次ドラフトで入団した。

1年目の2007年は右ひじ手術で1軍出場はなかった[1]

2年目の2008年もひじ痛が完治せず8試合のみ1軍で登板したが、プロ初勝利をあげ韓国シリーズでも登板した。

2009年シーズン序盤から抑えとして起用されるようになり、26セーブを記録しジョン・アドキンスロッテ)とともにセーブ王のタイトルを分け合った。過去2年間の1軍登板数が少ないこともあり、同年プロ3年目ながら資格のあった新人王を受賞した。

2010年も斗山の抑えとして活躍していたが、後述の飲酒運転事故のためポストシーズンに出場する資格を失い年俸も現状維持となった。

また同年は5月19日のハンファ・イーグルス戦で8回裏にプロ入り後初めてとなる打者出場を果たした。結果は2アウト満塁から尹奎眞の前に見逃し三振だった。

2011年は5月17日のハンファ・イーグルス戦から先発に転向し、デビュー初先発勝利を収めた。最終的に6勝を記録した[2]

2012年も先発として出場し、自身初の2桁勝利をあげた。2013 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表にも選ばれたが、2013年2月、キャンプ中に肘痛を訴え宋勝準に交代となった。シーズンでは、その肘の負傷からわずか5試合に終わった。

2014年11月、尚武野球団に所属し軍へ入隊した。

2015年9月、他の尚武に所属している選手や大学生とともに第27回アジア野球選手権大会韓国代表として出場し、優勝に貢献した。

2016年9月、兵役を終えて除隊され斗山に復帰した。

2018年ジャカルタ・パレンバンアジア競技大会野球韓国代表に選ばれ、3連覇に貢献した。

2019年は先発に専念し優勝に貢献した。また韓国シリーズではリリーフで2勝1セーブを挙げる活躍を見せ、これが認められキウム・ヒーローズ韓賢熙と入れ替わりで2019 WBSCプレミア12 韓国代表に選出された。

プレミア12ではオープニングラウンドの対オーストラリア戦とスーパーラウンドの対アメリカ合衆国戦でいずれも同僚の李映河からの継投で登板し、いずれも1回を無失点に抑えた。しかしスーパーラウンドの対日本戦では鈴木誠也會澤翼らにタイムリーを浴び1回3失点炎上。その後味方は追いつけず痛い敗戦を喫した。この大会での登板は合計で3試合だった。

2020年も開幕から先発ローテに入っていたが、不振が続いた末に6月3日のKTウィズ戦終了後に右肘靭帯破裂の怪我を抱えてプレーしていたことが判明。結果的にトミー・ジョン手術を受けることになり長期離脱する。シーズン終了後にFA(フリーエージェント)となった。

漣川ミラクル時代 編集

2021年4月3日のKBOリーグ開幕時にKBOの球団と契約できなかったため、一時期独立リーグの漣川ミラクルに所属していた[3]

NC時代 編集

2021年5月20日、KBOリーグのNCダイノスと契約期間最長4年(4年目の2024年は双方合意の下での契約)で契約した[4]。NCではリリーフとして起用される。

トラブル 編集

2010年9月6日ソウル飲酒運転により事故を起こし[5]、現場から逃走したことで不起訴処分を受けた。このために球団から公式戦残り試合の出場停止、罰金500万ウォン2011年シーズンの年俸現状維持などの厳しい処分を受けた。球団側は同年のポストシーズンにプレーオフから出場させる予定だったが、世間の批難が大きく当初記載されていたプレーオフ出場選手登録名簿から外され、出場することはなかった。

2014年7月、ドーピング規定違反としてKBO(韓国野球委員会)から10試合の出場停止処分を受けた[6]。本人は実力の向上を目的として服用したのではなく皮膚関連疾患の治療を目的として病院の処方と診断書に基づいたものだと主張したが、治療目的のための薬物使用の場合でも事前にKBOに申請書を提出しなければならず、彼は球団にも知らせなかったため最終的には規定違反で出場停止処分を受けることになった。

プレースタイル・人物 編集

投手としての主な武器は直球とフォークボールで、スライダーとカーブも投げる。 ルーキーイヤーは時は平均球速が150kmを越えるほど剛速球投手だったが、2012年からは直球球速を140kmまで低くして緩急調節を重視するようになった。 2017の平均球速は直球約144km/h、フォークボールとスライダーは約127km/h、カーブは120km/h程度。 クローザー時代はストレートとフォークをよく使っていた。

内野守備にとても積極的で、「投手は球が手から離れた瞬間第5の内野手だ」が座右の銘。その実力もかなり上手で本人もこれを誇っている。 斗山のファンたちも張元準と共に投手守備はトップレベルだと認める。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集

年度 チーム 平均自責点 試合 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 打者 投球回 被安打 被本塁打 四球 四球 奪三振 失点 自責点
2008 斗山 1.23 8 0 0 1 0 0 0 1.000 51 14.2 7 1 2 0 12 2 2
2009 4.20 51 0 0 0 2 26 0 0.000 176 40.2 33 4 19 4 34 22 19
2010 3.24 47 0 0 2 1 25 0 0.667 166 41.2 34 7 10 1 28 16 15
2011 4.19 28 0 0 6 10 0 0 0.375 575 129 136 7 60 8 99 67 60
2012 3.00 26 3 1 10 11 0 0 0.476 679 162 154 5 63 6 113 58 54
2013 2.70 5 0 0 0 0 0 0 - 19 3.1 7 0 3 0 4 1 1
2014 4.24 48 0 0 5 5 17 0 0.500 221 51 56 3 16 3 47 28 24
2016 2.70 5 0 0 1 0 0 2 1.000 26 6.2 7 0 0 0 5 2 2
2017 4.40 68 0 0 5 5 22 2 0.500 324 71.2 83 5 27 4 57 38 35
2018 3.63 25 1 0 15 3 0 0 0.833 608 144 151 14 36 8 102 62 58
2019 4.07 26 0 0 7 10 0 0 0.412 651 148.1 168 15 45 6 102 75 67
2020 8.44 5 0 0 1 3 0 0 0.250 125 26.2 41 7 6 0 15 25 25
2021 NC 2.19 39 0 0 1 3 16 3 0.250 151 37 27 2 11 1 35 11 9
2022 2.08 59 0 0 3 3 22 0 0.500 253 60.2 56 3 13 3 61 16 14
2023 4.13 60 0 0 4 4 29 0 0.500 254 61 53 5 19 3 51 28 28
通算 15シーズン 3.72 500 4 1 61 60 157 7 0.504 4279 998.1 1013 78 330 47 765 451 413

背番号 編集

  • 11 (2007年 - 2008年)
  • 45 (2009年 - 2014年、2016年途中 - 2020年)
  • 27 (2021年 - 同年途中)
  • 22 (2021年途中 - )

タイトル・受賞経歴 編集

  • セーブ王(2009年)
  • 新人王(2009年)

脚注 編集

外部リンク 編集