李 承乾(り しょうけん、618年 - 645年2月8日貞観19年1月5日))は、中国の太宗李世民の長男。は高明。皇太子に立てられたが、廃位された。

経歴編集

李世民と長孫皇后の間に生まれた。承乾殿に生まれたため、承乾と名づけられた。620年に恒山王に封ぜられ、624年に中山王に徙封された。626年、太宗が即位すると、皇太子に立てられた。

幼いころは聡明で、政務の裁決を任されても基本を外さず、太宗の行幸のおりには監国をつとめた。しかし成長すると、遊興を好んで素行は乱れた。太宗は孔穎達令狐徳棻于志寧・張玄素・趙弘智・王仁表・崔知機らを選んで承乾を教導させたが、承乾は改悛しようとしなかった。承乾は病のため足が悪く、素行も悪かったので、廃位されるのを恐れて、弟の魏王李泰を敵視した。

また称心という美男を寵愛していた。皇位継承者として相応しくないとして642年、李世民は称心を殺した。対して承乾は封師進・張師政・紇干承基らに命じて魏王李泰の謀殺をはかり、失敗した。そこで漢王李元昌侯君集・李安儼・趙節・杜荷らとともに兵をもって西宮に入ろうとしたが、紇干承基が斉王李祐の乱に連座して逮捕されると、計画は漏れた。643年、承乾は廃位されて庶人に落とされ、黔州に流され、645年に亡くなった。没後は国公の礼で葬られ、諡を愍といった。

子に李象・李厥がいた。李象は懐州別駕となり、李厥は鄂州別駕となった。

伝記資料編集

  • 旧唐書』巻76 列伝第26「恒山王承乾伝」
  • 新唐書』巻80 列伝第5「常山王承乾伝」