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李 炯錫(イ・ヒョンソク、이형석1909年 - 1991年)は大日本帝国陸軍大韓民国陸軍の軍人。創氏改名による日本名若松勇作

李炯錫
이형석
李炯錫.jpg
李炯錫(1967年)
生誕 1909年
死没 1991年
所属組織

大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍

Flag of the Republic of Korea Army.svg 大韓民国陸軍
最終階級 少佐(日本陸軍)
少将(韓国陸軍)
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経歴編集

1909年、平安北道宣川郡に生まれる。新義州高等普通学校卒業。四年生の時に米国陸軍士官学校の映画を見たことで陸軍士官学校を志望するようになる[1]。平壌の歩兵第77連隊で受験に行き合格した[1]。一般公募による最初の陸士合格者であった[2]

1928年、陸軍士官学校に入学。1933年、歩兵科卒業(第45期)、同年10月20日、任陸軍歩兵少尉、歩兵第41連隊[3]。1935年10月10日、任陸軍歩兵中尉[4]。同年、第8独立歩兵大隊附。1938年、国境守備第7中隊長、任大尉。1942年、第8混成旅団参謀、任少佐。終戦時は南方軍第2野戦鉄道司令部附[5]。シンガポールに行き、そこで日本船員が運行していたLSTに乗って台湾を経由して仁川に入港した[6]。台湾では新聞で洪思翊中将が処刑されたことを知ったという[6]

帰国後は警察に入り、1947年に監察補・運輸管区警察学校校長。1948年、済州警察庁副長。同年12月、韓国陸軍に入隊、任大領(軍番12312番)[7]。1949年3月、護国軍朝鮮語版局長、護国軍参謀長。

1949年5月25日、第16連隊長[8]。1949年8月、甕津地区戦闘司令官[9]。1949年10月27日、第7師団参謀長[10]

1950年、慶尚南道地区青年防衛司令官。同年5月、陸軍歩兵学校教務官。

朝鮮戦争が勃発して7月に第5師団長として全羅南道湖南の防衛に参加。同年9月、陸軍綜合学校戦術課長[11]

1951年8月、陸軍本部戦史監。

1952年2月、第2軍団参謀長。同年4月、第8師団長、任准将。

1953年6月18日、第27師団長(初代)[12]

1954年8月、連合参謀本部第1局長、任少将。

1956年6月、陸軍大学卒業、国防部政訓局長。

1956年1月、金昌龍暗殺事件調査員。

1958年3月、第3管区司令官。

1959年4月、予備役編入。

予備役後は大韓石炭公社顧問、在郷軍人会副会長、仁川重工業副社長、ボーイスカウト副総裁、国防部戦史編纂委員会委員長。1991年糖尿病により死去。

出典編集

  1. ^ a b “남기고 싶은 이야기들(83) 창군전후(2)-이경석” (朝鮮語). 中央日報. (1971年2月16日). http://news.joins.com/article/1278396 2016年11月26日閲覧。 
  2. ^ 白善燁『若き将軍の朝鮮戦争』草思社〈草思社文庫〉、2013年、482頁。
  3. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.昭和9年9月1日調350コマ
  4. ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿.昭和11年9月1日調312コマ
  5. ^ 松原慶治 編『終戦時帝国陸軍全現役将校職務名鑑』戦誌刊行会、1985年、1423頁。
  6. ^ a b “(84)<제6화>창군전후(3)-이경석(제자는 필자)” (朝鮮語). 中央日報. (1971年2月17日). http://news.joins.com/article/1278792 2016年11月26日閲覧。 
  7. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、204頁。
  8. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、207頁。
  9. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、380頁。
  10. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、214頁。
  11. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 下巻』、306頁。
  12. ^ 白善燁. 군과 나. pp. 312. 

参考文献編集

  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。