李秉チョル
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李 秉喆(イ・ビョンチョル、1910年2月12日 - 1987年11月19日)は、韓国の実業家。サムスングループを創業した企業家である。号は湖巌(ホアム、호암)である。大韓帝国慶尚南道宜寧郡正谷面出身。
イ・ビョンチョル 李秉喆 | |||||||||||||||||
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生誕 |
1910年2月12日 大韓帝国慶尚南道宜寧郡正谷面 | ||||||||||||||||
死没 | 1987年11月19日(77歳没) | ||||||||||||||||
出身校 | 早稲田大学(中退) | ||||||||||||||||
職業 | 実業家 | ||||||||||||||||
団体 | サムスングループ | ||||||||||||||||
子供 | #子息を参照 | ||||||||||||||||
親 | 李纉雨(父) | ||||||||||||||||
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秉喆が早稲田大学中退後、馬山にて友人2人と1万円ずつ出資し設立した協同精米所の事業失敗後、1938年3月1日に大邱で設立した三星商会が今日のサムスングループの始まりである。
1966年に次男の李昌熙が韓国肥料株式会社を通じて日本からサッカリンなどを密輸していた事件で一時辞任に追い込まれ、長男の李猛熙がサムスングループ会長職を受け継ぐも、朴正煕政権に情報を垂れ込んだと看做して李猛熙を後継者から経営復帰後に外し[1]、秉喆の死後は三男の李健熙がその地位を受け継いだ。
孫(健熙の長男)の李在鎔はサムスングループ副会長、孫(健熙の長女)の李富真はホテル新羅社長、サムスンエバーランド社長、サムスン物産商事部門顧問、孫(健熙の次女)の次女の李敍顕はサムスンエバーランドファッション部門の社長である。
目次
略歴編集
子息編集
脚注編集
- ^ “長男イ・メンヒが弟イ・ゴンヒに押された理由は…”. ハンギョレ (2012年2月15日). 2018年1月16日閲覧。