李 賢(り けん、生年不詳 - 1451年)は、明代の功臣の子孫。本貫濠州定遠県

生涯 編集

李彬の子として生まれた。1423年永楽21年)2月、豊城侯の爵位を嗣いだ。1428年宣徳3年)、宣徳帝の北巡に従い、帰還すると永寧隆慶の諸城を修築した。1433年(宣徳8年)5月、行在前府を管掌した。1437年正統2年)2月、征西前将軍・総兵官となり、大同に駐屯した[1]1441年(正統6年)10月、太監の劉寧とともに長江沿岸の堤防修築工事を監督した[2]1446年(正統11年)12月、南京中府を管轄した。1450年景泰元年)5月、南京を守備した。1451年(景泰2年)11月壬寅、死去した。1474年成化10年)3月、豊国公に追封された[3]は忠憲といった。

子の李勇が豊城侯の爵位を嗣いだ。

脚注 編集

  1. ^ 談遷国榷』巻23
  2. ^ 『国榷』巻25
  3. ^ 明史』功臣世表二

参考文献 編集

  • 明史』巻154 列伝第42