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村上 元信(むらかみ もとのぶ)は、江戸時代初期の武将毛利氏の家臣、長州藩士、御船手組。父は村上景親、母は朝鮮両班の娘。正室は前田刑部の娘。継室は山田頼房の娘。子に村上就親

 
時代 江戸時代初期
生誕 慶長13年(1608年
死没 明暦4年4月8日1658年5月10日
改名 村上竹松(幼名)→村上元信
別名 通称:源八郎
墓所 正岩寺 村上家墓所(山口県大島郡周防大島町和田)
主君 毛利秀就綱広
氏族 能島村上氏
父母 父:村上景親
兄弟 八助元信村上元武宍戸景好
正室:前田刑部の娘
側室:山田頼房の娘
就親
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生涯編集

慶長13年(1608年)、村上景親の子として誕生。母は文禄・慶長の役の際に景親の捕虜となって朝鮮から日本へ連れて来られ、景親の側室になった朝鮮貴族(両班)の娘。

慶長15年(1610年)に父・景親が死去すると、兄・八助が家督を相続したが、八助は慶長18年(1613年)に早世したため元信が後を継いだ。同年5月21日毛利輝元加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「元信」と名乗る。

元和年間(1615年 - 1624年)に船手衆の編成が行われ、従兄(村上元吉の子)の元武と共に船手組となり、屋代島の所領はそのままで、三田尻に居館を構えた。

明暦4年(1658年4月8日に死去。享年51。嫡男の就親が後を継いだ。

参考文献編集