村上 勝重(むらかみ かつしげ)は、戦国時代武将

 
村上勝重
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文8年(1539年
死没 天正19年1月23日1591年2月16日
別名 弥右衛門
戒名 善良
墓所 龍阜寺(群馬県館林市
主君 織田信長徳川家康
氏族 清和源氏頼清村上氏
父母 村上義勝
兄弟 勝重、弥次郎
吉春、四郎兵衛、吉勝
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生涯編集

信濃国の有力国人である村上義清の孫であるという。父義勝の代から織田信長に仕えたが、勝重は後に浪人となった。

天正元年(1573年徳川氏の家臣である川井小兵衛加藤辰之助武田氏に内通した際、従弟の安松宗光の依頼で川井小兵衛を討ち取り、その功から小兵衛の旧領300石でもって徳川家康に召し抱えられた。天正3年(1575年長篠の戦いでは一隊を指揮し、その後の小山城の戦いでは撤退戦で武功を上げる。その後も高天神城の戦い小牧・長久手の戦いでも軍功を上げる。天正13年(1585年上田合戦の際には使者として上田へ参陣し、攻めあぐねる徳川諸士に撤退を促した。その後は榊原康政の配下となる。天正18年(1590年)徳川氏の関東移封後は上野国平塚に1000石を与えられた。翌年死去。

長男の吉春榊原氏の家臣となり、三男の吉勝が徳川直参となった。なお弟や次男もまた榊原氏の家臣となっている。

出典編集