村主 章枝(すぐり ふみえ、ラテン文字:Fumie Suguri、1980年12月31日[1] - )は、日本の元フィギュアスケート選手(女子シングル)。映画プロデューサー[2]

村主 章枝
Fumie SUGURI
フィギュアスケート選手
生誕 (1980-12-31) 1980年12月31日(43歳)
千葉県千葉市
出身地 神奈川県横浜市鶴見区
親族 村主千香
身長 157 cm[1]
出身校 清泉小学校清泉女学院中学校・高等学校早稲田大学
選手情報
代表国 日本の旗 日本
開始 1986
引退 2014年11月13日
ISUサイト バイオグラフィ
ISUパーソナルベストスコア
総合182.082003 GPファイナル
SP62.122006 世界選手権
FS120.062003 GPファイナル
大会成績
主要国際大会 1 2 3
世界選手権 0 1 2
四大陸選手権 3 0 0
グランプリファイナル 1 0 0
合計数 4 1 2
国内大会 1 2 3
全日本選手権 5 4 2
全日本ジュニア選手権 0 2 0
獲得メダル
フィギュアスケート
主要国際大会
世界選手権
2002 長野 女子シングル
2003 ワシントンD.C. 女子シングル
2006 カルガリー 女子シングル
四大陸選手権
2001 ソルトレイクシティ 女子シングル
2003 北京 女子シングル
2005 江陵 女子シングル
グランプリファイナル
2003 コロラドスプリングス 女子シングル

ソルトレイクシティオリンピック5位、トリノオリンピック4位。2003年GPファイナル優勝。2002年2003年世界選手権連続3位、2006年世界選手権2位。四大陸選手権優勝3回、全日本選手権優勝5回など。

人物

千葉県千葉市生まれ、神奈川県横浜市鶴見区育ち。清泉小学校清泉女学院中学校・高等学校早稲田大学教育学部卒業[3]。父は元日本航空国際線パイロット、母は元客室乗務員。妹は元プロスケーターの村主千香。3歳から5歳までをアメリカアラスカ州アンカレッジで過ごし、同地でスケートをはじめとするウィンタースポーツに親しんだことが競技生活の原点となった[4]。演技後のキス・アンド・クライでは妹の村主千香に向かって「Chika! I love you!」と呼びかける姿が見られる[5]

表情の豊かさから「氷上の女優(アクトレス)」と称えられる[6][7]。スケーティングは軽やかでスピード感にあふれており[8]アップライトスピンは世界一の回転速度と称えられた[9]ジャンプではルッツフリップといったトウ系のジャンプを得意とするが、ルッツは踏切時に誤ったエッジで踏み切る「フルッツ」である。ループサルコウのエッジ系ジャンプは苦手としていた[10]。体が硬く柔軟性が必要なビールマンスピンなどが出来ないため、スピンのレベル取りに苦慮していた。

1学年年下で長年のライバルでもあった荒川静香とは、かつて「遠征先で相部屋になっても口を聞かない」ほどの仲で、お互いに相手を理解しがたいと感じていたという。しかし、トリノオリンピック直前の日本代表合宿では、村主が苦手とするスピンについて荒川からアドバイスを受ける場面が見られ、メディアに「和解」が報じられた[11]。また、引退後の村主は荒川との関係について「彼女とは決して不仲ではなかった」[12]「現役中は彼女を目標に頑張ってきた。本来なら私のような能力の者が立ち向かう相手では無かったが、自分より能力の高い選手が近くに居た事で努力も勉強もさせて貰ったし、きつい練習も乗り越えられた」[13]と回顧している。

2014年11月28日放送のアウト×デラックスで男性との交際経験はあるものの「あんまりジェンダーにはこだわってなくて…。なんでみんな男女にこだわるのかな」 と同性も恋愛対象となることを打ち明けた[14]。また2016年6月2日放送の同番組ではレズビアンバーを訪問し、ボーイッシュな女性が好みであると明かした。2016年7月14日放送の同番組では3人の女性と公開見合いをし、レズビアンの女性DJ(DJ JURI)をパートナーとして選出した[15]

経歴

長野オリンピック前まで

6歳でスケートを始める。小学6年生で全日本ジュニア選手権に初出場、19位となる。1994年には中学1年生でガルデナスプリング杯で国際大会デビューし、7位となる。[16]
1995-1996シーズン、中学3年生で全日本ジュニア選手権4度目の出場にして2位となり初の表彰台に上がる。続く世界ジュニア選手権でも初出場ながら4位に入賞した。
翌1996-1997シーズンの両大会でも同成績。全日本選手権では、2度目の出場の高校1年生で全日本女王に輝いた。しかし自身初出場の世界選手権ではSPでのジャンプミスが響いて総合18位に終わり(横谷花絵は23位)、長野オリンピックの日本女子シングル代表枠は、最小の1名のみとなった。
1997-1998シーズン、ISUグランプリシリーズNHK杯では日本女子最高の5位に入る。しかし、全日本選手権ショートプログラム(SP)は首位発進だったが、フリースケーティングでの転倒失敗が響き、優勝した荒川静香に敗れて総合2位に終わり、長野オリンピック世界選手権の代表選出を逃した。全日本選手権の直前には左座骨を打撲していた[17]

ソルトレイクシティオリンピック5位入賞

1998-1999シーズンはNHK杯にて自身初の表彰台となる3位に入り、グランプリファイナルに初進出して総合5位。全日本選手権では再び荒川静香に敗れて二年連続の2位だったが、冬季アジア大会では3位入賞と健闘、四大陸選手権では日本女子最高の5位に入る。2年ぶりの世界選手権代表に選出されたものの、ジャンプが決まらず総合20位と惨敗に終わった。

1999年4月、早稲田大学教育学部社会科社会科学専修に進学し(自己推薦入学)、佐藤信夫に師事する[18]。1999-2000シーズンは全日本選手権で3位に入り、四大陸選手権では再び日本女子最高の4位となる。しかし世界選手権代表は、四大陸選手権で5位ながらもフリーの内容を評価された恩田美栄が選出された。

2000-2001シーズンの全日本選手権で3季ぶり2度目の優勝を果たす。四大陸選手権では初優勝を果たした[19]。2季ぶりに出場した世界選手権では自身初入賞となる総合7位に入り、ソルトレイクシティオリンピックの日本女子シングル代表枠は2名となった。

ソルトレークシティオリンピックが開催される2001-2002シーズン、日本の女子シングル代表枠は2つあった。うち1つは、日本人選手で唯一GPファイナルに進出した恩田美栄に内定。残り1枠をかけて荒川静香と争う形となった全日本選手権で優勝し、念願のオリンピック初出場を決めた。迎えたソルトレイクシティオリンピック本番、SPでは滑走順が早かったこともあり[20]7位とやや出遅れるが、フリーではループジャンプがダブルに、後半のトリプルルッツが両足着氷となった以外はほぼノーミスの演技で、最終的には5位入賞と健闘した。世界選手権では、出場4回目にして総合3位となり銅メダルを獲得、初めて表彰台に上がった(恩田美栄は5位に入り、翌2003年世界選手権の日本女子シングル枠は最大の3名となった)。

トリノオリンピック4位入賞

2002-2003シーズンは全日本選手権四大陸選手権で優勝したほか、出場した多くの競技会で表彰台に立ち、世界選手権では2大会連続で総合3位に入賞、2個目の銅メダルを獲得した。

2003-2004シーズン、NHK杯でGPシリーズ初優勝を遂げ、GPファイナルでは3度目の出場にして日本人選手初制覇の快挙を達成。さらにフリースケーティング・トータルスコアでも自己最高得点をマークした。しかし全日本選手権では2位、世界選手権でも総合7位入賞に留まった。

2004年4月にダイナシティと所属契約を結ぶ。5月からシカゴに練習拠点を移し、オレグ・ワシリエフをコーチに迎えたが、指導が充分に受けられなかったため、12月からは再び新横浜プリンスホテルスケートセンターで佐藤信夫の指導を受けることになった。2004-2005シーズン、四大陸選手権で3度目の優勝を果たした。世界選手権ではSPで転倒があり出遅れたが、フリーで追い上げて日本女子最高の総合5位に入り、トリノオリンピックの日本女子シングル代表枠を最大の3名獲得に貢献した。

2005-2006シーズン開幕前の2005年6月、ダイナシティが不祥事を起こしたため所属契約を解除し、同年10月にエイベックス・エンタテインメントへ移った。9月に以前から痛めていた右股関節の故障が悪化。スケートカナダではフリーでジャンプが全く跳べず、トリノオリンピック代表入りは絶望的と思われた。しかしNHK杯ではフリー1位、総合2位と復活の兆しを見せた。そして五輪最終選考会の全日本選手権ではミスのない演技でフリー1位となり、3年ぶり5度目の優勝を果たし、選考ポイント最下位から大逆転でトリノオリンピック出場を決めた。

トリノオリンピック日本選手団では副将に任命された。トリノ五輪本番ではSPでほぼ完璧な内容で4位発進、フリーではフリップジャンプからのコンボが2回転となる以外はノーミスの演技を披露したが、スピン、ステップ、スパイラルで高いレベルが取れず、総合で4位入賞となり念願の五輪メダル獲得はならなかった(優勝は荒川静香)。オリンピック後、「トリノで五輪の魔法にかけられた。この氷の魔法はバンクーバーでしか解けない」と現役続行の決意を述べた[7]世界選手権は、優勝したキミー・マイズナーには届かなかったが、SPで自己最高点を更新するなど総合2位・銀メダル獲得と、自身同大会で最高成績を収めた。

世界選手権通算9回出場

2006-2007シーズンは東京で開催される世界選手権を見据え、SPにボレロを使用。フリーは“一大プロジェクト”と銘うって、女性ヴォーカルを楽器の一つとして取り入れた曲を使用した。ジャッジがヴォーカルを歌詞と判断すれば規定により減点されるが、シーズンを通して減点されることはなかった。しかし全日本選手権では4位となり、世界選手権出場権を得られなかった。四大陸選手権ではSPのジャンプで転倒して臀部を強打し、首も鞭打ち状態となって棄権を余儀なくされた。

2007年7月に佐藤コーチの元を離れ、練習拠点をモスクワに移し、コーチをアレクサンドル・ズーリンに変更。イゴール・パシケビッチの指導の下、ジャンプのテクニックを変えて2007-2008シーズンに臨んだ。しかしGPシリーズでは表彰台に立てず、全日本選手権でも4位にとどまった。四大陸選手権でもジャンプミスが続いて10位となり、不振のままシーズンを終えた。

2008年7月にコーチをニコライ・モロゾフに変更し、練習拠点も強化拠点のあるアメリカのニュージャージー州に移した。GPシリーズで2戦続けて表彰台に上る復調を見せ、全日本選手権では、SPでは5位と出遅れるもフリーで首位に入り、3シーズン振りの表彰台となる総合2位となった。四大陸選手権ではシーズン最高得点をマークして6位に入賞した。3年振り通算9回目の出場となった世界選手権では練習中に負傷、痛み止めを飲んで出場し、総合8位に入った。

競技生活の続行と成績の低迷

2009年、モロゾフに「オリンピックのシーズンに日本人女子2人は難しい」と言われたためコーチの変更を決めた[21]。8月、自らの課題をジャンプと設定し、アレクセイ・ミーシンにコーチを変更[22]。練習拠点をロシアのサンクトペテルブルクに移したが、ミーシンコーチの多忙により10月にモスクワのイゴール・パシケビッチのもとに戻った[23]。肋骨骨折の影響で夏前まで本格的な練習が出来ず[24]、エントリーしていたネーベルホルン杯を欠場した。GPシリーズでは表彰台に立てず、全日本選手権では7位にとどまり、バンクーバーオリンピック世界選手権四大陸選手権のいずれの代表にも選出されなかった。

2010年3月に会見を開き、新たなスポンサーを見つけることを前提に現役続行を表明した[25]。4月、9年間マネジメント契約してきたエーケー・グローバル・エージェントを離れ、サニーサイドアップにスポーツマーケティング事業部の社員として入社した。所属を陽進堂に決定し、「ソチオリンピック出場を目標に頑張る」と表明した[26]。練習拠点を新横浜に戻し、佐藤紀子に師事することになった。しかし、GPシリーズでは8位と9位、全日本選手権では前年に続いて7位となり、世界選手権四大陸選手権のいずれの代表にも選出されなかった。 

2011-2012シーズンは、全日本選手権予選を兼ねた東日本選手権でトリプルジャンプを全く跳ぶことが出来ず、12位に終わって上位10人の予選通過を逃し、全日本の出場権を得られなかった[27]。2012年3月で陽進堂とのスポンサー契約は終了し、所属をサニーサイドアップに変えた。

2012-2013シーズンは、全日本選手権予選を兼ねた東日本選手権で11位に終わって上位10人の予選通過を逃し、2年連続で全日本の出場権を得られなかった[28]

2013-2014シーズンは、2013年6月にサニーサイドアップを退社しフェニックスに入社、7月に所属先をKappaに決定した。全日本選手権予選を兼ねた東日本選手権で11位に終わって上位5人の予選通過を逃し、3年連続で全日本の出場権を得られなかった。目標のソチオリンピックの出場権を逃したが、現役続行の意向を表明した[29]

2014-2015シーズンは、全日本選手権予選を兼ねた東日本選手権で8位に終わって上位5人の予選通過を逃し、4年連続で全日本の出場権を得られなかった[30][31]

2014年11月13日、引退会見を開き今後は振付師を目指すと発表した。 トリノオリンピック以降9年間、女子シングル選手としては異例の33歳まで選手生活を続けたが、バンクーバーオリンピック、ソチオリンピック共に代表にはなれず、目標としていた3度目のオリンピックに出場出来ないまま現役を終える事となった[32]

引退後

2016年4月25日発売の週刊ポスト[33]、2016年12月19日発売の週刊現代[34]、2017年1月27日発売の雑誌フライデー[35]に袋とじでヌードグラビアが掲載された。 2017年2月15日にヌード写真集「月光」が発売された。ヌード写真集発表の際には「脱ぐことに抵抗はない、スケートも衣装一枚なのであまり変わらない」と述べた[36]

最近は短編動画アプリのTikTokにハマっている様子で、音楽に合わせて口パクする動画などを投稿している。

2018年にトロントからラスベガスに移住[2]。アイスショーをやるために撮影チームを集めたもののコロナ禍で稼働できなかったため、そのチームで映画製作に進出[2]。映画制作会社「MonkeY Teer Entertainment」も設立し活動している[2]

主な戦績

2011年以後

大会/年 2011-12 2012-13 2013-14 2014-15
東日本選手権 12 11 11 8

2001年-2010年

大会/年 2001-02 2002-03 2003-04 2004-05 2005-06 2006-07 2007-08 2008-09 2009-10 2010-11
冬季オリンピック 5 4
世界選手権 3 3 7 5 2 8
四大陸選手権 1 1 棄権 10 6
全日本選手権 1 1 2 3 1 4 4 2 7 7
GPファイナル 6 1 4
GPスケートカナダ 4 2 4 8 2 2 9
GPエリック杯 4 8
GPスケートアメリカ 4
GP中国杯 3 4 7
GPロシア杯 5 3
GPNHK杯 7 4 1 2 2
GPボフロスト杯 2
冬季アジア大会 2 2
フィンランディア杯 7

2001年以前

大会/年 1992-93 1993-94 1994-95 1995-96 1996-97 1997-98 1998-99 1999-00 2000-01
世界選手権 18 20 7
四大陸選手権 5 4 1
全日本選手権 4 1 2 2 3 1
GPファイナル 5
GPNHK杯 6 5 3 8 5
GPスケートカナダ 2 3
GPエリック杯 7
GPロシア杯 7
冬季アジア大会 3 3
ネーベルホルン杯 4
世界Jr.選手権 4 4
全日本Jr.選手権 19 9 10 2 2
ガルデナスプリング杯 7 J

詳細

2010-2011 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2010年12月24日 - 27日 第79回全日本フィギュアスケート選手権長野 5
57.18
9
97.72
7
154.90
2010年11月26日 - 28日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ 5
50.76
8
87.42
8
138.18
2010年10月29日 - 31日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダキングストン 8
48.17
10
84.67
9
132.84
2009-2010 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年12月26日-27日 第78回全日本フィギュアスケート選手権大阪 6
58.70
9
102.59
7
161.29
2009年11月12日-15日 ISUグランプリシリーズ スケートアメリカレークプラシッド 4
56.04
5
92.95
4
148.99
2009年10月29日-11月1日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 6
55.46
8
90.53
7
145.99
2009年10月8日-11日 2009年フィンランディア杯ヴァンター 4
54.09
8
82.82
7
136.91


2008-2009 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2009年3月23日-29日 2009年世界フィギュアスケート選手権ロサンゼルス 9
58.40
9
106.18
8
164.58
2009年2月2日-8日 2009年四大陸フィギュアスケート選手権バンクーバー 4
60.18
6
107.56
6
167.74
2008年12月25日-27日 第77回全日本フィギュアスケート選手権長野 5
57.32
1
121.27
2
178.59
2008年11月20日-23日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 1
58.30
3
103.74
3
162.04
2008年10月30日-11月2日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダオタワ 2
57.92
3
105.94
2
163.86


2007-2008 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2008年2月11日-17日 2008年四大陸フィギュアスケート選手権高陽 9
50.24
9
94.82
10
145.06
2007年12月26日-28日 第76回全日本フィギュアスケート選手権大阪 3
63.50
6
98.29
4
161.79
2007年11月22日-25日 ISUグランプリシリーズ ロシア杯モスクワ 4
56.18
6
91.97
5
148.15
2007年11月8日-11日 ISUグランプリシリーズ 中国杯ハルビン 11
44.76
3
92.37
4
137.13


2006-2007 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2007年2月7日-10日 2007年四大陸フィギュアスケート選手権コロラドスプリングス 12
46.09
棄権 -
2007年1月28日-2月4日 第5回アジア冬季競技大会長春 1
58.50
3
103.55
2
162.05
2006年12月27日-29日 第75回全日本フィギュアスケート選手権名古屋 5
58.56
4
114.00
4
172.56
2006年12月14日-17日 2006/2007 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク 5
55.14
3
103.64
4
158.78
2006年11月30日-12月3日 ISUグランプリシリーズ NHK杯長野 2
61.92
2
117.39
2
179.31
2006年11月2日-5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダビクトリア 2
58.52
2
110.24
2
168.76


2005-2006 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2006年3月19日-26日 2006年世界フィギュアスケート選手権カルガリー 2
28.47
2
62.12
2
119.15
2
209.74
2006年2月10日-26日 トリノオリンピックトリノ - 4
61.75
4
113.48
4
175.23
2005年12月23日-25日 第74回全日本フィギュアスケート選手権東京 - 2
67.30
1
126.86
1
194.16
2005年12月1日-4日 ISUグランプリシリーズ NHK杯大阪 - 6
52.60
1
105.88
2
158.48
2005年10月27日-30日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダセントジョンズ - 2
52.12
9
79.88
8
132.00


2004-2005 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2005年3月14日-20日 2005年世界フィギュアスケート選手権モスクワ 2
27.19
10
56.28
5
112.54
5
196.01
2005年2月14日-20日 2005年四大陸フィギュアスケート選手権江陵 - 1
61.44
1
117.22
1
178.66
2004年12月24日-26日 第73回全日本フィギュアスケート選手権横浜 - 2
65.18
3
101.36
3
166.54
2004年11月19日-21日 ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯パリ - 3
51.40
5
79.90
4
131.30
2004年10月28日-31日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダハリファクス - 2
53.72
4
94.60
4
148.32


2003-2004 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2004年3月22日-28日 2004年世界フィギュアスケート選手権ドルトムント 8 7 5 7
2003年12月25日-26日 第72回全日本フィギュアスケート選手権長野 - 3 2 2
2003年12月12日-14日 2003/2004 ISUグランプリファイナルコロラドスプリングス - 1
62.02
1
120.06
1
182.08
2003年11月27日-30日 ISUグランプリシリーズ NHK杯旭川 - 2
57.94
1
107.58
1
165.52
2003年11月5日-9日 ISUグランプリシリーズ 中国杯北京 - 1
60.28
5
83.39
3
143.67


2002-2003 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2003年3月24日-30日 2003年世界フィギュアスケート選手権ワシントンD.C. 1 3 4 3
2003年2月28日-3月2日 2002/2003 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク - 5 6 6
6
2003年2月10日-16日 2003年四大陸フィギュアスケート選手権北京 - 1 1 1
2003年2月1日-8日 第4回アジア冬季競技大会青森 - 2 2 2
2002年12月19日-22日 第71回全日本フィギュアスケート選手権京都 - 3 1 1
2002年11月28日-12月1日 ISUグランプリシリーズ NHK杯京都 - 3 4 4
2002年11月7日-10日 ISUグランプリシリーズ ボフロスト杯ゲルゼンキルヒェン - 1 2 2
2002年10月31日-11月3日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダケベックシティ - 2 2 2


2001-2002 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2002年3月16日-24日 2002年世界フィギュアスケート選手権長野 3 2 3 3
2002年2月8日-24日 ソルトレイクシティオリンピックソルトレイクシティ - 7 5 5
2001年12月21日-23日 第70回全日本フィギュアスケート選手権大阪 - 1 1 1
2001年11月29日-12月2日 ISUグランプリシリーズ NHK杯熊本 - 6 7 7
2001年11月1日-4日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダサスカトゥーン - 3 4 4


2000-2001 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
2001年3月17日-25日 2001年世界フィギュアスケート選手権バンクーバー 5 7 7 7
2001年2月7日-10日 2001年四大陸フィギュアスケート選手権ソルトレイクシティ - 2 1 1
2000年12月8日-10日 第69回全日本フィギュアスケート選手権長野 - 1 1 1
2000年11月28日-12月3日 ISUグランプリシリーズ NHK杯旭川 - 3 5 5
2000年11月1日-5日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダミシサガ - 3 3 3


1999-2000 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
2000年2月21日-27日 2000年四大陸フィギュアスケート選手権大阪 4 5 4
1999年12月24日-26日 第68回全日本フィギュアスケート選手権福岡 1 4 3
1999年12月2日-5日 ISUグランプリシリーズ NHK杯名古屋 6 8 8
1999年11月18日-21日 ISUグランプリシリーズ ラリック杯パリ 5 8 7


1998-1999 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
1999年3月21日-28日 1999年世界フィギュアスケート選手権ヘルシンキ 6 19 21 20
1999年3月4日-7日 1998/1999 ISUグランプリファイナルサンクトペテルブルク - 6 5 5
1999年2月21日-28日 1999年四大陸フィギュアスケート選手権ハリファクス - 5 5 5
1999年1月30日-2月6日 第3回アジア冬季競技大会江原道 - 3 3 3
1999年1月15日-17日 第67回全日本フィギュアスケート選手権横浜 - 2 2 2
1998年12月2日-6日 ISUグランプリシリーズ NHK杯札幌 - 5 3 3
1998年11月5日-8日 ISUグランプリシリーズ スケートカナダカムループス - 1 2 2


1997-1998 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1997年12月12日-14日 第66回全日本フィギュアスケート選手権神戸 1 2 2
1997年11月27日-30日 ISUチャンピオンシリーズ NHK杯長野 7 5 5


1996-1997 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
1997年3月16日-23日 1997年世界フィギュアスケート選手権(ローザンヌ 10 24 16 18
1997年1月13日-15日 第65回全日本フィギュアスケート選手権長野 - 3 1 1
1996年12月12日-15日 ISUチャンピオンシリーズ ロシア杯サンクトペテルブルク - 4 7 7
1996年12月5日-8日 ISUチャンピオンシリーズ NHK杯大阪 - 5 6 6
1996年11月24日-12月1日 世界ジュニアフィギュアスケート選手権ソウル - 3 4 4
1996年11月3日 第65回全日本フィギュアスケートジュニア選手権横浜 - 4 2 2
1996年8月27日-30日 ネーベルホルン杯オーベルストドルフ - - - 4


1995-1996 シーズン
開催日 大会名 予選 SP FS 結果
1996年2月4日-11日 第2回アジア冬季競技大会ハルビン - - - 3
1996年1月12日-14日 第64回全日本フィギュアスケート選手権横浜 - 3 4 4
1995年11月24日-12月1日 世界ジュニアフィギュアスケート選手権ブリスベン 1 3 4 4
1995年11月3日 第64回全日本フィギュアスケートジュニア選手権京都 - 2 2 2
1995年10月 ブラオエン・シュベルター杯(ケムニッツ - - - 3


1992-1995 シーズン
開催日 大会名 SP FS 結果
1994年10月2日 第63回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(神戸 7 10 10
1994年3月 ガルデナスプリング杯オルティゼーイ - - 7
1993年11月 第62回全日本フィギュアスケートジュニア選手権広島 6 10 9
1992年11月 第61回全日本フィギュアスケートジュニア選手権前橋 19 19 19

プログラム

シーズン SP FS EX
2010-2011 アルビノーニのアダージョ
作曲:レモ・ジャゾット
振付:ローリー・ニコル
Song of Sheherazade
作曲:デヴィッド・アーカンストーン
映画『アレキサンダー』よりバゴアスの舞い
作曲:ヴァンゲリス
振付:バフタン・ムルバニゼ
-
2009-2010[21][37][38] G線上のアリア
トッカータとフーガ
作曲:ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
振付:バフタン・ムルバニゼ
スパルタクス
作曲:アラム・ハチャトゥリアン
振付:バフタン・ムルバニゼ
パダム・パダム
ボーカル:エディット・ピアフ
振付:ニコライ・モロゾフ
2008-2009[39][40][41] ファンファン 映画『恋人たちのアパルトマン』より
作曲:ニコラ・ジョレル
振付:ニコライ・モロゾフ
秋によせて
作曲:ラウル・ディ・ブラシオ
振付:ニコライ・モロゾフ
ウィンナーワルツ
作曲:アディエマス
振付:アレクサンドル・ズーリン
2007-2008[39][40][42] テイク・ファイヴ
作曲:デイヴ・ブルーベック
振付:アレクサンドル・ズーリン
オブリビオン
作曲:アストル・ピアソラ
振付:アレクサンドル・ズーリン
セル・ブロック・タンゴ ミュージカル『シカゴ』より
作曲:ジョン・カンダー
振付:アレクサンドル・ズーリン
月の光
作曲:クロード・ドビュッシー
2006-2007[39] ボレロ
作曲:モーリス・ラヴェル
振付:ローリー・ニコル
魂の歌
作曲:アディエマス
忍耐の湖
作曲:アディエマス
ファンタジア
作曲:カール・ジェンキンス
振付:アレクサンドル・ズーリン
カルメン
作曲:ジョルジュ・ビゼー
振付:佐藤紀子
映画『ナルニア国ものがたり』より
作曲:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
振付:アレクサンドル・ズーリン
イパネマの娘
作曲:アントニオ・カルロス・ジョビン
振付:アレクサンドル・ズーリン
2005-2006[43][1][39] 悲歌 & トカ・オリージャ アルバム『Nomad』より
演奏:ジェシー・クック
振付:ローリー・ニコル
ピアノ協奏曲第2番 第1楽章
作曲:セルゲイ・ラフマニノフ
振付:ローリー・ニコル
セイソーゾ
キダムより
振付:ローリー・ニコル
2004-2005[44] ピンク・パンサー(サウンドトラック)
作曲:ヘンリー・マンシーニ
振付:ローリー・ニコル
タンゴ・パラ・パーカッション
作曲:ラロ・シフリン
カルメン幻想曲
作曲:フランツ・ワックスマン
カルメン
作曲:ジョルジュ・ビゼー
振付:ローリー・ニコル
アルビノーニのアダージョ
作曲:トマゾ・アルビノーニ、ボーカル:ララ・ファビアン
振付:佐藤紀子
2003-2004[45][39][46] 黒くぬれ
作曲:ミック・ジャガー、演奏:アンジェル・デュボー&ラ・ピエタ
振付:ローリー・ニコル
交響曲第40番 第1楽章
ピアノ協奏曲第23番 第2楽章・第3楽章
アイネ・クライネ・ナハトムジーク
作曲:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
振付:ローリー・ニコル
浜辺の唄
作曲:成田為三
ボーカル:スーザン・オズボーン
振付:ローリー・ニコル
2002-2003[45][47] ピアノ協奏曲第2番 第2楽章
作曲:フレデリック・ショパン
振付:ローリー・ニコル
白鳥の湖」より
作曲:ピョートル・チャイコフスキー
振付:ローリー・ニコル
サンクトゥス(パッヘルベルのカノンによる)
ボーカル:リベラ
振付:ローリー・ニコル
2001-2002[45][9] アヴェ・マリア 「エレンの歌第3番」より
作曲:フランツ・シューベルト
振付:ローリー・ニコル
ピアノソナタ第14番「月光」 第1楽章・第3楽章
作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
振付:ローリー・ニコル
アルゼンチンよ泣かないで ミュージカル『エヴィータ』より
作曲:アンドルー・ロイド・ウェバー
振付:ローリー・ニコル
2000-2001[45] 春の囁き
作曲:クリスティアン・シンディング
振付:ローリー・ニコル
木星
作曲:グスターヴ・ホルスト
振付:ローリー・ニコル
[48]
-

表彰

2002年
  • 第19回 オリンピック冬季競技大会文部科学大臣賞
  • 日本ゆかた大賞
  • 第44回 小野梓記念賞スポーツ賞
2003年
2006年
  • ネイルクィーン2006 文化・スポーツ部門
  • 第55回 神奈川スポーツ賞・オリンピック賞
  • 第55回 横浜文化賞(史上最年少受賞)
  • 平成18年度財団法人横浜市体育協会横浜スポーツ表彰 優秀選手賞
2007年
  • 文部科学省・国際競技大会優秀者表彰

出演

テレビ番組

NHK

CM

写真集

ライブ

関連CD

  • MY FIGURE SKATE ALBUM(2006/3/15) - avex io
  • Fantasia ~My Figure Skate Album II~(2007/2/21) - avex io

脚注

  1. ^ a b c 『フィギュアスケート選手名鑑 2006』新書館、2005年12月、p.19
  2. ^ a b c d "村主章枝、映画プロデューサー転身で映画賞8部門受賞「湖の妖怪役で俳優デビューも(笑)」". FLASH. 光文社. 6 December 2023. 2023年12月6日閲覧
  3. ^ 『ファンブック2009』p.34
  4. ^ 『little wings』p.17
  5. ^ 山本夢子「日本のきょうだいスケーターたち」『フィギュアスケートDays vol.2』DAI-X出版、2007年3月、pp.12-13
  6. ^ 上坂美穂編『オール・アバウトフィギュアスケート』ぴあ(ぴあワンダーランドSpecial)、2005年11月、p.14
  7. ^ a b 斎藤貴子編『フィギュアスケート07』毎日新聞社、2007年4月、p.69
  8. ^ 「氷の上のヒロインたち 佐藤有香が語る9人のスケーター」『応援ブック』p.7
  9. ^ a b 『little wings』p.26
  10. ^ 『little wings』p.75
  11. ^ 「因縁の2人『和解』 24日メダルに挑戦」『読売新聞』夕刊、2006年2月22日、第1面
  12. ^ 費用、コーチ、ライバルetc. 村主章枝が語る「フィギュア事情」 FRaU 2017年3月号より一部抜粋 2017年2月19日付
  13. ^ 村主章枝が語る「引退後の生活」教え子への期待と荒川静香への感謝NEWSポストセブン スポーツ 2022年1月7日付
  14. ^ 「ジェンダーにこだわっていない」村主章枝、バラエティで衝撃発言!グラビアアイドル小間千代に熱視線!? メンズサイゾー 2014年11月28日付
  15. ^ "女性と肉体関係OK"の村主章枝、レズビアンDJとお見合い企画で結ばれる マイナビニュース 2016年7月14日付
  16. ^ 『フィギュアスケートの魔力』梅田香子、今川知子著 文春新書413 2004年11月 p.88
  17. ^ 『Stay Gold』p.34
  18. ^ 日本で最初についたコーチは福井信子。次いで染矢慎二に教わり、長野オリンピック後の1999年4月から佐藤信夫についた。佐藤信夫, 佐藤久美子著『君なら翔べる!』双葉社、2005年12月、p.247、『little wings 新世代の女子フィギュアスケーター8人の素顔』双葉社、2003年12月、p.23
  19. ^ ISUチャンピオンシップにおいては、日本人選手として佐藤有香以来7季ぶりのチャンピオン
  20. ^ 第1グループ2番目滑走。『Stay Gold』p.35
  21. ^ a b 『フィギュアスケートDays Plus 2009-2010女子シングル読本』ダイエックス出版、2009年9月、pp.11-15
  22. ^ 「[銀盤のプリマドンナ]村主章枝」『フィギュアスケートグランプリシリーズ2009 オフィシャルガイドブック』朝日新聞出版 2009.10、p.54、聞き手・青嶋ひろの
  23. ^ 多忙につき…村主章枝がコーチを変更(2009年11月15日、スポニチ)
  24. ^ フィギュア全日本選手権連載・氷の非情(2)村主章枝 逆境ほど力発揮する「銀盤の女優」(2009年12月11日、スポーツ報知)
  25. ^ 【フィギュア】村主、スポンサー探して現役続けたい だめなら引退”. 2010年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月18日閲覧。
  26. ^ 村主章枝、株式会社陽進堂に所属先決定(2010年4月6日、サニーサイドアップ)
  27. ^ 村主、全日本出場権逃す=フィギュア朝日新聞、2011年11月7日
  28. ^ 村主は11位、全日本出場逃す フィギュアの東日本選手権日本経済新聞、2012年11月4日
  29. ^ 32歳の村主章枝、ソチ五輪逃しても現役続行 フィギュア産経新聞、2013年11月9日
  30. ^ 村主、全日本出場逃し現役続行は不透明
  31. ^ 33歳・村主は全日本出場逃す、西野が優勝
  32. ^ フィギュア村主章枝が引退を発表(2014年11月13日 朝日新聞デジタル)
  33. ^ 週刊ポスト2016年5/6・13号 p.21「フィギュア女王村主章枝 決意の全裸ヌード」
  34. ^ 週刊現代2017年1/7号 p.256「村主章枝、正真正銘のフルヌード!」
  35. ^ フライデー2017年2/10号 p.69「フィギュアの女王 袋とじ8p 全裸ヌード」
  36. ^ 村主章枝、写真集の反響に驚き 脱ぐことに抵抗なし「スケートの衣装と変わらない」ORICON NEWS 2017年2月13日
  37. ^ 『フィギュアスケートDays Plus 2009-2010女子シングル読本』p.30
  38. ^ 「[特集]氷上を彩る華麗なステージ アイスショー2009: ドリーム・オン・アイス」『フィギュアスケートDays vol.10』ダイエックス出版、2009年10月、pp.50-53
  39. ^ a b c d e 『フィギュアスケートDays Plus 2008-2009女子シングル読本』ダイエックス出版出版、2008年9月、p.29
  40. ^ a b 『日本女子フィギュアスケートキャラクターブック 2008-2009』マガジンハウス、2008年10月、pp.23-25
  41. ^ 『ファンブック2009』p.90
  42. ^ 『ファンブック2009』p.33
  43. ^ 『日本女子フィギュアスケート オフィシャル応援ブック2006』実業之日本社、2005年10月、p.90
  44. ^ 『応援ブック』p.91
  45. ^ a b c d 『little wings』pp.128-129
  46. ^ 『君なら翔べる!』p.247, p.152
  47. ^ 『little wings』p.20
  48. ^ 『ファンブック2009』p.84

関連項目

外部リンク

  1. ^ 2020/2021 ISUグランプリシリーズは非公認大会。新型コロナウイルスの影響で変則開催の為、ISUの公認記録に反映されない。また世界ランキングのポイントも付与されない 各大会の出場者を地元選手や開催国に拠点を置く選手らに制限しており、公平性を保つため。国際スケート連盟(ISU)2020年10月26日
  2. ^ フィギュア、今季GPは得点非公認 変則開催で」『日本経済新聞』2020年10月27日。2021年9月6日閲覧