村崎芙蓉子
略歴 編集
東京都立西高等学校を経て、東京女子医科大学を卒業後、同大学の附属研究機関である日本心臓血圧研究所にて循環器医学を学ぶ。 その後、新宿三井ビルクリニック副院長を経て、1992年に「女性成人病クリニック」を開設し、同クリニック院長となる。診療の傍ら執筆や講演活動を行なっていたが、著書「カイワレ族の偏差値日記(鎌倉書房)」がTVドラマ化され話題となり、「カイワレ族(土ではなく、ウレタンの苗床で完全管理の下に育てられるカイワレに例え、管理社会でしか生きられない成績が普通の中学生・高校生[1])」が流行語となるなどして広くその名を知られるようになった。第40回NHK紅白歌合戦には審査員として出場した。
家族・親族 編集
父は裁判官の村崎満(1906年6月9日生まれ、1930年東京帝国大学法学部卒業)。
夫は北里大学名誉教授の村崎光邦(1935年9月25日生まれ、1961年慶應義塾大学医学部卒業、北里大学東病院元院長、日本睡眠学会元理事長、専門は精神薬理学と電気生理学)。
エピソード 編集
2000年5月、料理研究家の小林カツ代が結成したチャリティー合唱団である、神楽坂女声合唱団(かぐらざかじょせいがっしょうだん)のメンバーでもある。
主な著書 編集
関連項目 編集
外部リンク・その他 編集
註 編集
- ^ “NHK放送史『土曜ドラマ カイワレ族の戦い』”. 日本放送協会. 2022年11月28日閲覧。