村松 利史(むらまつ としふみ、1956年8月5日 - )は、新潟県長岡市出身の俳優脚本家演出家構成作家。身長170cm、体重55kg。趣味は読書、散歩、喫茶店巡り。

むらまつ としふみ
村松 利史
生年月日 (1956-08-05) 1956年8月5日(67歳)
出生地 日本の旗 日本新潟県長岡市
身長 170cm
血液型 O型
職業 俳優脚本家演出家構成作家
ジャンル テレビドラマ映画舞台バラエティ
配偶者 独身
事務所 オフィス ワン・ツゥ・スリー
公式サイト プロフィール
主な作品
映画
刑務所の中
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人物・略歴 編集

新潟県立六日町高等学校卒業。学生時代から『MBSヤングタウン[1]オールナイトニッポン』などのラジオ番組でハガキ職人として活躍[2]

大学へ進学したものの舞台俳優を志して中退し、劇団東京ヴォードヴィルショーに入団(在籍中には『山口良一のオールナイトニッポン』に構成作家として参加しており、愛称は「ヘンリー」「モンリー(ニソクサンモンリー)」だった)。

笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』も担当し、鶴光とはMBSヤングタウン以来、DJとはがき職人としての縁があり、構成作家として参加する様になり「感慨無量です」と村松自身が話していて、鶴光からは「役者くずれの放送作家」と呼ばれていた。

テレビ番組では『笑っていいとも』『お笑いマンガ道場』『欽ドン!良い子悪い子普通の子』などを担当。『笑っていいとも』では、開始初期から火曜日レギュラーとしてコーナー司会者としても数年出演した。

東京ヴォードヴィルショーの仲間たちである、喰始佐藤正宏久本雅美柴田理恵らと共にWAHAHA本舗1984年に旗揚げする。

ドラマでは運転手役なども多いが、運転免許は所持していないと語っている。

WAHAHA本舗を離れ、オフィス「ワン・ツゥ・スリー」に所属し、独自プロデュース公演を中心に様々な分野で独特の存在感をしめしている。

WAHAHA本舗在籍時、佐藤と平成モンド兄弟というユニットを組んでおり、佐藤は「マクベス佐藤」、村松は「ハムレット村松」と名乗っていた。

テレビ・映画では飄々とした表情を生かして小市民役を得意とするが、舞台では幅の広い役をこなし続けている。出演作品のセリフを覚える場合には、相手役のセリフを吹き込んだボイスレコーダーを散歩中に聴きながら、自分のセリフを口に出しているという。

プライベートでは、長らく独身生活を続けてきた。しかし、55歳になった2012年5月からは、テレビ東京のバラエティ番組『家族になろう(よ)』で「村松利史の結婚プロジェクト」を開始。結婚相手を真剣に探すべく、番組で募集した女性との公開お見合いに臨んでいた。お見合いから交際には発展しなかったものの、同プロジェクトの実施直後からは、他局のバラエティ番組にもゲストとして出演している。

出演 編集

映画 編集

テレビドラマ 編集

バラエティ 編集

ミュージックビデオ 編集

演劇 編集

  • 村松利史プロデュース「人生の意味」シリーズ(1 - 4)(1988 - 1994年 作・演出・出演)
  • WAHAHA本舗公演(1984 - 1994 全作品)
  • 平成モンド兄弟(1988年)
  • ぬるぬる(1994年)
  • 狂っても大好き(1994年)
  • サイコの祈り(1996年)
  • きちゃった(1997年)
  • 皆殺し爆爆ハウス(1999年)
  • 村松利史<ヒトリ>プロデュース公演sシリーズ(1999年 - )
  • 齧られながら(2000年)
  • 村松利史プロデュース“午後の男優室”公演(2002年 - )
  • 葡萄と密会(2004年)

CM 編集

執筆 編集

脚注 編集

  1. ^ 『MBSヤングタウン』の公式本「ヤンタンブックVol.1」(1973年刊行)の内表題には、当時投稿したハガキが丸ごと採用された。
  2. ^ まだ当時はペンネームがあまり使われていない時代なので、本名で読まれ、「ネットをしていない地方<新潟県>のリスナー」ということから、各DJたちを爆笑の渦に巻き込み、記憶に残ることとなった。
  3. ^ 営業100万回 - 作品情報・映画レビュー -KINENOTE(キネノート)”. 2018年9月25日閲覧。

外部リンク 編集