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東久留米市

東京都の多摩地域に位置する市

東久留米市(ひがしくるめし)は、東京都多摩地域東部にある人口約11万6千人の

ひがしくるめし
東久留米市
Mt Fuji from Higashikurume St01.JPG
富士見テラスからの富士山とまろにえ富士見通り
Flag of Higashikurume, Tokyo.svg
東久留米市旗
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 東京都
市町村コード 13222-5
法人番号 3000020132225
面積 12.88km2
総人口 116,459[編集]
推計人口、2019年6月1日)
人口密度 9,042人/km2
隣接自治体 清瀬市東村山市小平市西東京市
埼玉県新座市
市の木 イチョウ
市の花 ツツジ
市の鳥 オナガ
東久留米市役所
市長 並木克巳
所在地 203-8555
東京都東久留米市本町三丁目3番1号
北緯35度45分28.8秒東経139度31分47.5秒
東久留米市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

東久留米市位置図

― 区 / ― 市 / ― 町・村

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地理編集

都心から約25キロ離れた武蔵野台地の中央部にある。市西端の小平霊園(さいかち窪)を水源とする黒目川と、市中心部を水源とする落合川が市内の中心部を流れ、市の東端で合流する。土地全体は西から東へかけゆるく傾斜しており、この傾斜断面から湧水が豊富に湧き出す。そのため一部湧水は水道水の原水になっている。北は野火止用水(別名:伊豆殿堀)で清瀬市埼玉県新座市と境を隔てる。ひばりが丘・東久留米・八幡・滝山・久留米西団地など大規模団地が多く、これらの地域では高齢化の進行が著しい地区が見られる。市全体では高齢化率は27.0%となっている(2016年3月1日住民基本台帳)。

平成22年国勢調査によれば、東京都特別区部への通勤率は33.2%である。

隣接している自治体編集

歴史編集

東久留米市の縄文時代以前の遺跡は、1936年(昭和11年)自由学園の運動場拡張工事中に縄文時代中期の遺跡が発見されるなど、戦前期から発見されていたが、1950年代後半以降の高度経済成長期から、とりわけ1970年代後半の急速な都市化の進展に伴う発掘調査の結果、多くの遺跡が確認され、縄文時代以前の東久留米の様子が明らかになってきた[1]

東久留米市が位置している武蔵野台地は、厚い関東ローム層に覆われていて水が乏しい。しかし台地中に勾配が急に緩やかになる場所があり、急勾配を流れてきた地中を流れる地下水の流れが、勾配の変化によって堰き止められる形となるため、湧水群が成立することになる。先史時代の東久留米において、人々が住むようになったのはそのような湧水群の周辺であった[2]

東久留米市の遺跡の特徴として、旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡が多く、弥生時代以降の遺跡が少ないという特徴がある、これは湧水群という水に恵まれた環境に加えて、武蔵野台地上に落葉広葉樹林、常緑広葉樹林が広がり、ドングリトチクルミや、それらを食べているシカやイノシシなどの生物資源に恵まれ、縄文時代以前の東久留米は、採取狩猟生活に適した環境であったことによる[3]

東久留米市内で確認されている中で最古の旧石器時代の遺跡は、約3万年前の下里本邑遺跡と神明山遺跡である、約1万8000年前になると10以上の遺跡が確認されており、また大規模な集落が営まれていたことが確認されている。東久留米市近隣でも新座市や朝霞市にも旧石器時代の遺跡は分布しているものの、東久留米市の遺跡数が最も多い。これは黒目川の最上流部にあたる東久留米は湧水量が豊富で、居住に適していたためと考えられている。しかし旧石器時代の再末期は遺跡が激減していることが確認されている[4]

縄文時代草創期、前時代に続いて遺跡数が少ない状態が続いていたが、早期以降、前期、中期と遺跡数が増加していく。特に関東地方から中部地方にかけて遺跡数が激増した縄文時代中期、遺跡数は激増し、遺跡の規模も大型化する。しかし気候の寒冷化による生活環境の悪化と、中期の急激な人口増に伴う人口圧の結果、後期から晩期にかけて著しい人口減少が発生して遺跡数も激減する [5]。特に縄文時代晩期の遺物は東久留米市内ではほとんど確認されていない[6]

弥生時代に入っても、東久留米市内では遺跡の分布が極めて薄く、しかも規模も小さい。これは湧水群が水場である武蔵野台地奥部の東久留米は、水田に適した低湿地が少なかったためであると考えられている[7]。そして古墳時代の遺跡はこれまで東久留米市内では確認されていない[8]。下里本邑遺跡では奈良時代の可能性がある竪穴住居跡が検出されていて、向山遺跡からは平安時代のものと考えられる竪穴住居跡が確認されている[9]。そして新山遺跡は平安時代末期から鎌倉時代のものと見られている[10]

東久留米市内の中世期で、注目されるのが板碑である。東久留米市内では破片を含めて107基の板碑が確認されており、最古のものは1279年弘安9年)のものである。板碑は移動させることが容易で、最初に建てられた場所と現状の建立地が異なっている可能性もあるが、中世期における東久留米の状況を示す貴重な資料である[11]

1444年文安元年)、曹洞宗の寺院、常牧院が創建されたと伝えられている。開基は八王子城主の安祝公、開山は崇芝性岱和尚とされている。常牧院は徳川家康の江戸入部以後の1590年(天正18年)、家康から朱印状が与えられている[12]

年表編集

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、門前・神山・落合・小山・南沢・前沢・下里・柳窪・柳窪新田・栗原新田の10村、田無町飛地を編入して神奈川県北多摩郡久留米村が誕生。
  • 1893年 - 三多摩が神奈川県から東京府に移管。
  • 1915年 - 4月15日、武蔵野鉄道(池袋飯能・現在の西武池袋線池袋〜吾野)開通・東久留米駅開設。
  • 1956年 - 8月1日、久留米町として町制施行。北多摩郡の中では最も遅い町制施行であった[13]
  • 昭和30年代後半から、東久留米、滝山ひばりが丘団地などの大型団地次々誕生、人口急増(1960年(昭和35年)からの10年間で4.1倍)。一時期人口78,000人の日本一人口の多い町となる。
  • 1970年10月1日 - 市制施行と同時に自治体名を改称し、東久留米市となる。
  • 1983年 - 防災行政無線が整備される。
  • 1984年4月1日 - 防災行政無線が開局される。

時系列地形図編集

市名の由来編集

「くるめ」と読み書く地名となった由来や説はいくつかある[14]

  1. 古代の車持部の住地という説[14]
  2. くるみの方言という説[14]
  3. 小さな平地を意味するという説[14]
  4. 市内を流れる黒目川の「クロメ」が転じて「クルメ」という地名になったという説[15]。元々は、黒目川は「クルメ」とも呼ばれており、後年の人々が当て字として久留米・久留目・来梅・黒目などの漢字表記を用いたのが広まり、「久留米」の名が認知された[16]

一般的には市内の北部を流れる現在の「黒目川」からついたといわれている。

市制施行時、既に福岡県久留米市が存在したため、行政的な混同を避け、また駅名の東久留米が住民に親しまれていたため「東久留米市」とした[17]

人口編集

 
東久留米市と全国の年齢別人口分布(2005年) 東久留米市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 東久留米市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
 

東久留米市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

昼夜間人口編集

2005年に夜間人口(居住者)は115,023人である。市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は90,315人で昼は夜の0.785倍の人口で、夜間に比べて昼の人口は2万5千人ほど減る。昼夜間人口比0.785は東京23区および東京都市部25市の中で狛江市、稲城市、西東京市に次いで4番目に小さい数字で、東久留米市がオフィスや工場・学校が少なく住宅の多い街であることが示されている。

通勤者・通学者で見ると市内から市外へ出る通勤者34,555人、市外から市内へ入る通勤者は13,680人と通勤者では市外へ出る通勤者のほうが多く、学生でも市内から市外に出る通学生は5,352人、市外から市内へ入る通学生は1,519人と学生でも昼は市外へ流出する人数のほうが多い[18]。なお、国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人おり、この項の昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に若干の誤差は生じる。

地域編集

町名編集

東久留米市では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。住居表示実施前の町名等欄で下線がある町名はその全部、それ以外はその一部である。

この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています

集合住宅編集

  • 都市再生機構ひばりが丘団地(住居表示も「ひばりが丘団地」) - 昭和34年 → 現:ひばりが丘パークヒルズ
  • 都市再生機構東久留米団地(上の原) - 昭和37年 → 現:グリーンヒルズ東久留米(平成23年建替)
  • 都市再生機構滝山団地(滝山) - 昭和43年
  • 国家公務員共済組合連合会東久留米第2団地 - 昭和43年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 東京都住宅供給公社久留米西団地(下里) - 昭和44年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 都市再生機構滝山第2団地 - 昭和45年 : 東村山都市計画事業(一団地の住宅施設)
  • 東京都住宅供給公社下里団地(下里) - 昭和48年

行政編集

市長編集

歴代市長
  • 藤井顕孝(1970年 - 1975年)[19]
  • 石塚政寿(1975年 - 1978年)[20]
  • 伊藤孝次郎(1978年 - 1982年)
  • 吉田三郎(1982年 - 1990年)
  • 稲葉三千男(1990年 - 2001年12月、3期途中で体調不良のため辞任。東大名誉教授)
  • 野崎重弥(2002年1月20日 - 2010年1月19日、2期。元市議)
  • 馬場一彦(2010年1月20日 - 2014年1月19日、1期。元市議)
  • 並木克巳(2014年1月20日 -、2期目。元市議)

財政編集

  • 2015年度予算における一般会計支出額は約390億円である。
  • 1990年代に、東久留米駅東口区画整理事業、新市庁舎、スポーツセンターなど建設事業が相次ぎ、地方債残高は2000年度末時点で300億円を突破。経常収支比率も2003年度決算で92%と深刻である。前市長の稲葉三千男時代に行われた事業が多く、稲葉が革新系だったことから、保守系からの革新市政の批判が未だ続いている。なお、稲葉の娘・間宮美季が現在同市議である。

警察編集

警視庁田無警察署の管轄である。同署は西東京市(旧・田無市)にあり、以前から東久留米市・旧田無市・旧保谷市(一部地域を除く)を管轄している。

  • 市内の駐在所・派出所
    • 上の原
    • 学園前
    • 下里
    • 滝山
    • 野火止
    • 東久留米駅前
    • 前沢
    • 南沢
    • 門前(旧門前交番、現門前地域安全センター)

消防・救急編集

2010年4月1日より東京消防庁に常備消防事務を委託。これに伴い東久留米市消防本部と新川出張所は東京消防庁に移管され、前沢出張所は廃止された。

広域行政編集

  • 多摩北部都市広域行政圏協議会
    多摩地域北東部の西東京、小平、東村山、清瀬、および本市の5市で施設の相互利用、イベントの共同開催などを行っている。通称「多摩六都」。「六都」とは合併前の田無、保谷を含めたものだが、名称は合併後も継承されている。西東京市内に多摩六都科学館を持つ。また、図書館利用カードの共通化を進めており、1枚のカードで東久留米、清瀬、西東京の図書館で利用できる。
  • 昭和病院組合
    清瀬小金井小平西東京東村山東大和武蔵村山および東久留米市により組織され、小平市にある公立昭和病院を運営している。

ゴミ処理編集

西東京市清瀬市と共同で、「柳泉園組合」を設立し、当市内(一部東村山市にまたがる)に清掃工場を設置する。可燃ごみは同清掃工場で、不燃ごみは多摩地域の他の自治体同様に、日の出町最終処分場に埋め立てる。

2017年10月をもってダストボックス式の回収を終了し、個別収集に変更された。2017年10月2日から家庭ごみ有料化が始まった[21]

不祥事編集

パワハラ自殺

2013年8月、職場の人間関係が原因で2011年より2年間うつ病で休職し、職場復帰に向け、2013年5月より短時間出勤を続けていた学校給食職員が、上司である学務課長からの暴言により自死した。この件で相談を受け、市役所に改善を求めていた保健師は、対応の鈍かった市役所に抗議のため同月末に辞職。遺族は東京地方裁判所に市役所を提訴した。2016年12月15日、市役所は遺族に1,500万円の解決金を支払い、復職プログラムを作ることを約束して和解した[22][23][24]

地域交流編集

  • 群馬県高崎市 旧榛名町地域
    • 1986年昭和61年)10月1日当時の群馬県榛名町と姉妹都市提携したが、2006年平成18年)10月榛名町が群馬県高崎市と合併したため、姉妹都市提携が解消された。ただし、旧榛名町地域とは地域間交流という形で交流事業は継続している。
    • 市役所の屋外ひろばに榛名町から贈られた梨と梅の木が植わっている。

議会編集

東久留米市議会編集

  • 定数:22人
  • 任期:2019年5月1日 - 2023年4月30日[25]
  • 議長:富田竜馬(改革市民派無所属)
  • 副議長:島﨑清二(自民クラブ)
会派名 議席数 議員名(◎は代表者または幹事長)
自民クラブ 5 ◎野島武夫、島崎孝、当麻一哉、篠宮正明、島﨑清二
公明党 5 ◎阿部利恵子、沢田孝康、三浦猛、関根光浩、髙橋和義
日本共産党 4 ◎村山順次郎、永田雅子、北村龍太、鴨志田芳美
未来政策フォーラム 2 ◎梶井琢太、佐藤一郎
市民自治フォーラム 2 ◎間宮美季、青木佑介
久留米ハートネット 1 宮川豊史
改革市民派無所属 1 富田竜馬
市民とともに歩む会 1 中野淳子
ニューウェーブ 1 引間太一
22

(2019年5月13日現在[26]

東京都議会編集

  • 選挙区:北多摩第四選挙区(清瀬市、東久留米市)
  • 定数:2人
  • 任期:2017年7月23日 - 2021年7月22日
  • 投票日:2017年7月2日
  • 当日有権者数:158,290人
  • 投票率: 51.66%
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数
細谷祥子 63 都民ファーストの会 26,031票
原紀子 51 日本共産党 19,674票
山下太郎 44 無所属 18,205票
野島善司 68 自由民主党 16,776票

衆議院編集

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
木原誠二 47 自由民主党 107,686票
比当 宮本徹 45 日本共産党 57,741票
鹿野晃 44 希望の党 50,439票

産業編集

かつてはヤクルト工場がコカ・コーラ工場向い(八幡町)に立地していた。豊富な地下水資源を利用して活況を示していた一例である。
  • 特産品
    • 柳久保小麦 - 江戸時代の嘉永4年(1851年)に現在の東久留米市柳窪の奥住又右衛門が、旅先から持ち帰った種により栽培が行われていた。香りや味がよくうどんの材料に適し、背の高い麦わらは屋根を葺く材料に向いていたが、収量の多い一般の小麦が出回った事で昭和17年頃に姿を消した。1988年に又右衛門の子孫が農林水産省生物資源研究所に保管されていた種を譲り受けて生産を復活し、うどんかりんとうなどの加工品として販売されるようになった[27][28][29]

教育編集

教育の歴史編集

 
1916年の久留米尋常高等小学校。手前は小金井街道。
 
2016年の東久留米市立神宝小学校
 
2018年の東久留米市立第三小学校

久留米町の小学校は明治時代から長らく久留米尋常小学校(現・第一小学校)の1校のみだった。なお、1930年(昭和5年)には目白の雑司が谷から久留米村南沢に学校法人自由学園が移転してきた[30]。生徒数が増加して旧キャンパスが手狭になったことや、「自然の中で学ばせたい」という創立者の願いなどが移転の理由である[31]。自由学園のセツルメントに併設された診療所は、終戦後まで久留米村の医療に多大な役割を果たしている[30]遠藤新が設計した久留米の校舎のうち、5軒が東京都の歴史的建造物に選定されている[30]

1959年(昭和34年)にはひばりが丘団地の、1962年(昭和37年)には東久留米団地の、1968年には滝山団地の入居を開始している[32]。これらの大規模団地の影響もあり、1955年(昭和30年)に10,319人だった久留米村の人口は、市制施行5年後の1975年(昭和50年)には100,821人となり、20年間で約10倍に急増している[33]

1960年(昭和35年)には久留米小学校落合分校が第二小学校として独立し、久留米小学校は第一小学校に改称した[34]。その後1970年代末までは開校が相次ぎ、1978年(昭和53年)には16校となった[34]。東久留米市の小学校の総児童数は、1979年(昭和54年)にピークの13,063人に達した[34]。また、東久留米市の中学校の総生徒数は、1986年(昭和61年)にピークの5,769人に達している[34]。東久留米市の小学校は16校の状態が長らく続いたが、大型団地の住民の高齢化が進み、地区によっては人口が減少。2003年(平成15年)には滝山小学校が閉校し、2009年(平成21年)には第八小学校が、2011年(平成23年)には第四小学校が閉校したことで、現在は13校となっている[34]

小学校編集

市立
  • 東久留米市立第一小学校 - 1903年(明治36年)創立。
  • 東久留米市立第二小学校 - 1960年(昭和35年)独立。
  • 東久留米市立第三小学校 - 1962年(昭和37年)独立。
  • 東久留米市立第五小学校 - 1964年(昭和39年)開校。
  • 東久留米市立第六小学校 - 1966年(昭和41年)開校。
  • 東久留米市立第七小学校 - 1968年(昭和43年)開校。
  • 東久留米市立第九小学校 - 1970年(昭和45年)開校。
  • 東久留米市立第十小学校 - 1972年(昭和47年)開校。
  • 東久留米市立小山小学校 - 1974年(昭和49年)開校。
  • 東久留米市立神宝小学校 - 1975年(昭和50年)開校。
  • 東久留米市立南町小学校 - 1975年(昭和50年)開校。
  • 東久留米市立本村小学校 - 1976年(昭和51年)開校。
  • 東久留米市立下里小学校 - 1978年(昭和53年)開校。

閉校となった小学校

  • 東久留米市立第四小学校 - 1963年(昭和38年)開校。2012年(平成24年)3月31日閉校。
  • 東久留米市立第八小学校 - 1971年(昭和46年)開校。2010年(平成22年)3月31日閉校。
  • 東久留米市立滝山小学校 - 1975年(昭和50年)開校。2004年(平成16年)3月31日閉校。
私立

中学校編集

市立
  • 東久留米市立久留米中学校 - 1947年(昭和22年)開校。
  • 東久留米市立西中学校 - 1968年(昭和43年)開校。
  • 東久留米市立東中学校 - 1963年(昭和39年)開校。
  • 東久留米市立南中学校 - 1972年(昭和47年)開校。
  • 東久留米市立大門中学校 - 1974年(昭和49年)開校。
  • 東久留米市立下里中学校 - 1978年(昭和53年)開校。
  • 東久留米市立中央中学校 - 1984年(昭和59年)開校。
私立

青少協編集

青少年健全育成協議会の略称 それまでの「青少年問題協議会」の名称が2005年(平成17年)度より「青少年健全育成協議会」に改正される。内容、市からの補助金等の変更はなく、略称も「青少協」と同じ。 東久留米市から年間280万円の補助金が組まれている。中学校区ごとに組織され、地域清掃活動、文化活動などを行う。

高等学校編集

その他の学校編集

図書館編集

交通編集

 
東久留米駅

鉄道編集

バス編集

道路編集

都市化に対し道路整備が遅れていたことから、平成期に建設・開通した都市計画道路も多い。

  • 東西方向
    現在、新宮前通りと野火止通り間の拡幅及び歩道設置工事を行っている。
    所沢街道のバイパスの役目を負うべく、同街道南側にほぼ平行して建設中。小金井街道の前沢南交差点より西側は市道として既に開通済みであるが、同交差点以東は東京都道4号として供用、さらに東側の西東京市との境界までは用地取得が完了し、建設が進められている。また、西東京市内も用地取得が開始された[36]。西側の市道区間の先、東村山市内の470mの区間が、都道として2012年6月28日に開通した[37]。さらに西側は、2011年9月に所沢入間バイパスまでの延伸が、都市計画決定された[38]
  • 南北方向
    現在、前沢交差点より北部分の道路拡幅用地を確保している。
    小金井街道「松山三丁目」交差点より分岐し小金井街道の西側に平行しており、清瀬市〜東久留米市〜小平市〜小金井市〜府中市へと至る。滝山団地の中央部を貫く区間は団地開設時に整備された。2006年3月、西武新宿線との立体交差事業が完了し全線が開通した主要道。
  • その他
    旧市役所の前を通ることから、市役所通りとも呼ばれていた。
    主要地方道の扱いだが市内〜新座市にまたがる区間には乗用車同士のすれ違いも困難な狭隘路がある。市内には一方通行区間もある。
    東村山市から滝山団地中央交差点までの区間。滝山中央通りとなっている区間を除き、生活道路なみの狭隘路が続く。
    東久留米駅西口からまっすぐ伸び、東京都道15号府中清瀬線(小金井街道)に合流して前沢4丁目へ至る都市計画道路。用地取得困難物件と無電柱化で難航していたが[39]、2016年3月30日に小金井街道との交差点(前沢北)までの区間が開通した。
    東久留米駅東口からまっすぐ伸びる都市計画道路。市内は東村山都市計画道路3・4・20号東久留米駅神山線(東3・4・20号線)として整備が進められてきており、金山町二丁目から神宝町二丁目(新座市境)までの約530メートルの区間が2018年10月25日に開通して全通した。新座市境より先の埼玉県区間については、新座都市計画道路3・4・8号東久留米志木線として新座市により事業中であり、最終的に東久留米駅東口から新座駅南口付近を経由し志木駅南口に至る一体の道路として整備される計画である。既に新座市石神一丁目~堀ノ内三丁目と本多一丁目の区間を除く大部分が開通済みであり、開通区間は平林寺大門通り、新座中央通りという通称で呼ばれている。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事編集

名所・旧跡編集

  • 落合川と南沢湧水群[2] - 平成20年に環境省から『平成の名水百選』に選定された。東京都内で百選に選定された名水は当所のみ。1日の湧水量は約1万トンであり、『東京の名湧水57選』にも選定されている。また、近年、市内を水源とする黒目川、落合川の河川域で、BOD(生物化学的酸素要求量)が減少し、水質が改善した[40]
2010年12月17日には、国土交通省、環境省などが後援で『湧水保全フォーラム全国大会 in ひがしくるめ』が開催され、秋篠宮文仁親王が臨席して「落合川と南沢湧水群」や立野川を視察した。

祭事・催事編集

  • 東京花祭り
  • 滝山・前沢みんなの夏祭り
  • 東久留米市市民みんなのまつり

公園編集

  • 竹林公園 - 昭和49年4月、都市公園法に基づく都市緑地として開設された。昭和57年に『新東京百景』として選定された竹林、平成15年に東京都環境局から『東京の名湧水57選』に選定された湧水源がある。面積は3600平方メートル。
  • 小山台遺跡公園
  • 六仙公園(暫定開放中、現在造成中)
  • 滝山公園
  • 白山公園

市内の主要商業施設編集

  • 電化製品
    • ヤマダ電機テックランド 東久留米野火止店(QURUNE内、東久留米前沢店を移転)
    • コジマ New東久留米店(2017年2月閉店)
    • ケーズデンキ東久留米店
    • ノジマ アクロスプラザ東久留米店
  • ホームセンター
  • 衣料品
    • ユニクロ 東久留米クルネ店(東久留米店を移転)
  • 温浴施設 

  ・スパジアムジャポン


東久留米を舞台とする作品編集

  • 河童のクゥと夏休み:2007年7月公開のアニメ映画。原作は東久留米市を舞台としているわけではないが、原作者木暮正夫が東久留米市に住んでいたことがきっかけとなり、アニメでの設定として東久留米市が舞台となった。映像の中では、実在する街並みがそのまま描写されているシーンも数多く見ることができる。また市内には、河童にまつわる伝説が多く残されており、今回のアニメ映画とともに街の活性化を狙っている。市ではもう一つの舞台で、同じく河童に縁のある遠野市との交流も行っている[46][47]
 
滝山団地
  • 滝山コミューン一九七四:2007年5月、講談社発行。明治学院大学教授の原武史が東久留米市立第七小学校時代に受けた集団主義の教育を、今日の観点から回想した。2008年度講談社ノンフィクション賞受賞。
  • 大きい1年生と小さな2年生:1970年、偕成社発行。2014年3月にアニメミライ出品作として劇場公開・アニメ化。主人公まさやが怖くて通れなかった「くらいさかみち」のモデルといわれているのが堂坂
  • 東のくるめと隣のめぐる:2015年、角川書店発行。我孫子祐の漫画。
  • 縁のある作品
    • めぞん一刻:作品の舞台「時計坂」として、東久留米駅北口駅舎や商店街、黒目川などの市内の様子をモデルにした風景が出てくる[48][49]。ただし、「一刻館」の所在地を東京都練馬区とする原作の描写も存在する(61話に一刻館の住所を書いた手紙が登場する)。
  • ジャンボコッコの伝記:小学館(1979年2月発売)、さねとう あきら【作】/福田 岩緒【絵】。東久留米市立第七小学校が舞台の実話をもとにした創作児童文学。

東久留米市の関連人物編集

出身人物編集

縁のある人物編集

  • 手塚治虫 - 漫画家。逝去時に本市在住。元々は埼玉県飯能市への移住を希望したが、家族の反対などで東久留米市に落ち着いたとされる。本市の成人式において講演を行ったことがある(1983年)。

また、2019年8月10日に放送された出没!アド街ック天国では手塚が住んでいたことが紹介され、手塚治虫の思い出として3位にランクインした。

脚注編集

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注釈

出典

  1. ^ 東久留米市教育委員会(1999)pp.20‐29
  2. ^ 東久留米市教育委員会(1999)pp.6‐7
  3. ^ 東久留米市教育委員会(1999)p.5、p.10
  4. ^ 東久留米市教育委員会(1999)pp.44‐45
  5. ^ 東久留米市教育委員会(1999)pp.78‐80、p.155
  6. ^ 東久留米市教育委員会(1999)p.158
  7. ^ 東久留米市教育委員会(1999)pp.162‐163
  8. ^ 東久留米市教育委員会(1999)p.761
  9. ^ 東久留米市教育委員会(1999)pp.176‐179
  10. ^ 東久留米市教育委員会(1999)p.181
  11. ^ 東久留米市(1979)pp.242‐245
  12. ^ 東久留米市(1979)p.250、東久留米市教育委員会(2005)p.67
  13. ^ 東久留米市 1979, p. 766.
  14. ^ a b c d 東久留米市史教育委員会 1983, p. 2.
  15. ^ 東久留米市教育委員会 2005, p. 30.
  16. ^ 東久留米市史教育委員会 1983, p. 3.
  17. ^ 東久留米の名前の由来 - 東久留米市ホームページ
  18. ^ 東京都 2008, pp. 152-153.
  19. ^ 東久留米市 1979, p. 741.
  20. ^ 東久留米市史教育委員会 2012, p. 151.
  21. ^ 「広報ひがしくるめ」2017年10月1日号、東久留米市、p.1
  22. ^ 【NHK】2016年12月15日付「うつ病の職員自殺 東久留米市と遺族が和解」
  23. ^ 【時事通信】2016年12月15日付[1]
  24. ^ 【BuzzFeed】2016年12月15日付「うつから復帰訓練中「お前の行くところはない」と言われ……東久留米市職員の自死裁判・市が1500万支払いで和解」
  25. ^ 任期満了日(定数)一覧 | 東京都選挙管理委員会”. 東京都選挙管理委員会. 2019年5月16日閲覧。
  26. ^ 会派別名簿”. 東久留米市役所 (2019年5月17日). 2019年5月17日閲覧。
  27. ^ 東久留米市 わが街いいトコ!!
  28. ^ 市民のページ 身近な農作物
  29. ^ 柳久保小麦とは - コトバンク
  30. ^ a b c 『東久留米の近代史』東久留米市教育委員会、2012年、p.124
  31. ^ 自由学園総合企画室『自由学園とは? 100問100答』自由学園広報室、2010年、p.20
  32. ^ 『東久留米の団地』東久留米市立図書館、2017年、pp.59-62
  33. ^ 『東久留米の団地』東久留米市立図書館、2017年、p.35
  34. ^ a b c d e 『平成29年度 学校教育要覧』東久留米市教育委員会、2017年、p.77
  35. ^ 市長説明会「任期中のコミュニティバスなどの実験運行が難しくなったことについて」 - 東久留米市ホームページ
  36. ^ 西東京3・4・9号保谷東村山線の事業に着手します。 2011年9月28日
  37. ^ 東村山3・4・11号線(一般都道226号~野火止通り)の車道部(約470メートル)を交通開放します! 2012年6月28日 正午 交通開放
  38. ^ 埼玉県議会定例会 2012年2月
  39. ^ 東3・4・19号線整備事業の期間延伸などについて説明会を実施します 2012年3月26日
  40. ^ 『かんきょう東久留米平成28年度版』東久留米市環境安全部環境政策課 2017年 p.13
  41. ^ ダイヤモンド富士 東久留米市
  42. ^ イオンモール東久留米
  43. ^ イオン東久留米店
  44. ^ 経産省/6月の大規模小売店舗、東久留米市にイオン2.8万㎡ - 流通ニュース 2012年8月7日。同10月23日閲覧
  45. ^ イオン東久留米ショッピングセンター 基本設計 - UD設計 2012年10月23日閲覧
  46. ^ 東久留米市HP「河童のクゥと夏休みガイドマップ(PDFファイル)
  47. ^ asahi.com 河童の「クゥ」で街おこし 東京・東久留米
  48. ^ 「めぞん一刻」の駅舎お別れ 取り壊しに住民「悲しい」朝日新聞、2008年11月14日付)
  49. ^ めぞん一刻住民会議「一刻館の思いで 或る愛の物語」1993年ワニブックス
  50. ^ 走攻会(SoCo)Profile - 2014年4月20日閲覧

参考文献編集

  • 『東久留米市史』、1979年。
  • 『東久留米の近代史』、2012年。
  • 『東久留米市文化財資料集(9)』、1983年。
  • 『東京都の昼間人口2005』東京都、2008年。
  • 『東久留米の江戸時代』東久留米市教育委員会、2005年。
  • 『東久留米のあけぼの』東久留米市教育委員会、1999年。

関連項目編集

外部リンク編集