東京モノレール

日本のモノレール
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東京モノレール株式会社(とうきょうモノレール、: TOKYO MONORAIL CO., LTD.)は、東京都内で東京国際空港(羽田空港)アクセスモノレール路線「東京モノレール羽田空港線」を経営する鉄道会社である。東日本旅客鉄道(JR東日本)の経営傘下にあり、JR東日本グループの一員である[4]

東京モノレール株式会社
TOKYO MONORAIL CO., LTD.
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モノレール浜松町駅(本社所在地) 下はJR浜松町駅
モノレール浜松町駅(本社所在地)
下はJR浜松町駅
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
105-0013
東京都港区浜松町二丁目4番12号[1]
北緯35度39分20.08秒 東経139度45分24.45秒 / 北緯35.6555778度 東経139.7567917度 / 35.6555778; 139.7567917座標: 北緯35度39分20.08秒 東経139度45分24.45秒 / 北緯35.6555778度 東経139.7567917度 / 35.6555778; 139.7567917
設立 1981年(昭和56年)4月13日
(創業 1959年(昭和34年)8月7日[1]
業種 陸運業
法人番号 4010401020947 ウィキデータを編集
事業内容 鉄道事業、旅行斡旋業、駐車場事業
代表者 代表取締役社長 照井英之
資本金 30億円(2022年3月31日現在)[2]
売上高 64億4300万円(2022年3月期)[2]
営業利益 △17億3700万円(2022年3月期)[2]
経常利益 △12億8900万円(2022年3月期)[2]
純利益 △15億6700万円(2022年3月期)[2]
純資産 △425億6200万円
(2022年3月31日現在)[2]
総資産 159億0900万円
(2022年3月31日現在)[2]
従業員数 325人(2022年4月1日現在)
決算期 3月31日
主要株主 東日本旅客鉄道 79.00%
日立製作所 12.00%
ANAホールディングス 9.00%
(2019年3月31日現在[3]
主要子会社 株式会社モノレール・エージェンシー
モノレールエンジニアリング株式会社
外部リンク https://www.tokyo-monorail.co.jp/
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概要編集

東京モノレール株式会社は1964年昭和39年)9月17日に開業した東京モノレール羽田空港線の運営のほか、駐車場事業などもおこなっている。

以前は日立グループの会社であったが、2002年平成14年)にそれまで日立物流が保有していた株式の70%がJR東日本に、30%が日立製作所に譲渡され、それ以降はJR東日本が同社の親会社となっている[5]。2019年3月31日現在の株式所有率は、JR東日本が79%、日立製作所が12%、ANAホールディングス が9%となっている)[3]

Suica発行事業者であり、東京モノレール羽田空港線全線でSuicaおよびPASMOなどSuicaと相互利用可能なICカードが使用できる。同社発行のSuicaカードは「モノレールSuica」という名称を持ち、2009年から発行されているカード券面には緑色でモノレールが描かれている[6][7]

沿革編集

  • 1959年(昭和34年)8月7日 - 大和観光株式会社設立[8]
  • 1960年(昭和35年)
  • 1963年(昭和38年)5月1日 - 浜松町 - 羽田間の工事着工[10]
  • 1964年(昭和39年)
    • 5月28日 - (初代)東京モノレール株式会社に商号変更[10]
    • 9月17日 - モノレール浜松町駅 - (旧)羽田駅間開業[10]
  • 1965年(昭和40年)12月 - 名古屋鉄道が東京モノレールの経営から撤退する(同社から89名の社員が出向していたが1965年度末を以て打ち切り[9])。
  • 1967年(昭和42年)11月1日 - (初代)日立運輸株式会社、(初代)東京モノレール株式会社、西部日立運輸株式会社の3社が合併(存続会社は東京モノレール株式会社)し、日立運輸東京モノレール株式会社に商号変更[11]。日立製作所が株式の81%を取得し、同社の子会社となる[11]
  • 1981年(昭和56年)
    • 4月13日 - 子会社として(2代目)東京モノレール株式会社設立[12]
    • 5月1日 - (2代目)東京モノレール株式会社にモノレール事業を譲渡し、物流部門は(2代目)日立運輸株式会社(のちに株式会社日立物流)に商号変更[12]
  • 1993年(平成5年)9月27日 - 整備場駅 - 羽田空港駅間開業[13]。整備場駅 - (旧)羽田駅廃止。
  • 2002年(平成14年)
  • 2004年(平成16年)12月1日 - 羽田空港駅 - 羽田空港第2ビル駅間開業[15]。羽田空港駅は羽田空港第1ビル駅へと改称[15]
  • 2007年(平成19年)3月18日 - 3月10日に完成した昭和島駅待避線で追い抜きを行うダイヤ改正を実施し[15]、『空港快速』と『区間快速』の運行を開始[15]
  • 2010年(平成22年)10月21日 - 羽田空港国際線ビル駅開業[16]
  • 2014年(平成26年)8月19日 - 国土交通省交通政策審議会の小委員会で、東京駅までの路線延伸計画を説明[17]
  • 2018年(平成30年)7月 - 新シンボルマーク使用開始[18]
     
    2018年7月まで使用された東京モノレールのシンボルマーク

路線編集

都心東京国際空港(羽田空港)を結ぶ公共交通機関として、1964年(昭和39年)10月10日の東京オリンピック開会23日前の9月17日に開業した。当時はモノレール浜松町 - 羽田間の途中駅はなく15分で終点に到着した。

京浜急行電鉄空港線京浜急行バス東京空港交通の乗合バスなどと激しい競合関係にある。

車両編集

東京モノレールはかつて日立グループの一員だったという歴史的経緯から、すべての車両はJR東日本グループ入りした後も主要株主となっている日立製作所製である。

現有車両編集

過去の車両編集

運賃編集

大人旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満切り捨て、切符購入の場合は10円未満切り上げ)。2019年10月1日改定[19]

キロ程 普通運賃(円) 定期運賃1か月 2019年9月までの
定期運賃1か月
IC利用 切符購入 通勤 通学 通勤 通学
1区 0.1 - 1.5km 157 160 4770 2160 4770 2330
2区 1.6 - 4.5 199 200 5900 2640 5990 2940
3区 4.6 - 7.5 272 280 8200 3610 8220 3960
4区 7.6 - 10.5 346 350 10300 4410 10460 5080
5区 10.6 - 13.5 419 420 10800 5170 12690 6090
6区 13.6 - 17.8 492 500 11280 6000 14920 7210
  • 2019年10月より定期運賃を値下げした。特に通勤の5区と6区の割引率がそれぞれ約15%、約24%と大幅割引、通学で約10-15%割引となった。

羽田便が発着する日本各地の空港(新千歳伊丹関西福岡那覇空港など17空港)や北海道旅客鉄道の一部駅(札幌駅など)でも羽田空港第2ターミナル駅・羽田空港第1ターミナル駅を発駅とする東京モノレール線乗車券を取り扱っており[20]、航空便で東京へ向かう前に購入できるようにしている。これは京急線も同様であり、羽田空港の地上交通旅客争奪戦は出発前から始まっている。

1964年(昭和39年)開業時における「モノレール浜松町 - 羽田」間13.1kmの大人片道運賃は250円で、所要時間は約15分だった。この運賃は当時の日本国有鉄道(国鉄)の11 - 14kmの区間の大人2等運賃(40円)[21][注 1]と比較しても6倍以上も高く、初乗り運賃(10円)の25倍もする高額さであった。参考までに浜松町駅から当時の国鉄2等運賃250円で行ける駅は90キロ圏で、同駅からモノレールと同じ方向に延びる国鉄線では東海道本線根府川駅 (87.4km) までだった。

このため人数が4名以上の場合はモノレールを使うよりタクシーを使ったほうが安かった。これほど運賃が高額になった理由は、建設にあたり国から一切の融資を受けられなかったことによる。通常、このような鉄道建設を民間が行う場合は国から長期低金利の政府資金融資が受けられることが多いが、東京モノレールは国からそのような融資を受けることができなかったので、建設費用のすべてを民間の金融機関から借り入れることとなった。そのため、高度経済成長当時の民間金融機関は金利がきわめて高く、しかも政府融資がない(言うなれば100%自己資金で建設した)などの事情を考慮した運輸省(現・国土交通省)は東京モノレール側から申請された「運賃・大人250円」の案を認めざるを得なくなり、このようなきわめて高額な運賃が採用された[22] 。その一方、銀座から羽田空港まで100円で直通バスが運行されていた。以上のことから、モノレールの割高運賃が敬遠され、乗客数は期待を下回るものであった。数年後に150円に値下げされ、道路交通の混雑もあって競争力をつけ、乗客数は増えていった。

企画乗車券編集

いずれも小児半額

モノレール羽割往復きっぷ
800円。発売日から10日間有効。通常、全線往復は1000円かかるが、このきっぷを使用すると200円引となる。以前は駅の自動券売機でも購入できたが、2015年4月より地方空港に設置している自動券売機のみでの販売となっている。
モノレール&山手線内割引きっぷ
羽田空港各駅から浜松町乗り換えでJR東京山手線内の各駅まで500円で利用でき、最大で270円引となる。発売日当日限り有効。発売期間および利用日は、土休日やゴールデンウィーク・夏休み・年末年始などに限定されている。
東京モノレール沿線お散歩1dayパス
東京モノレール線1日乗車券。700円と安いため、全線を往復するだけでも元をとることができる。利用期間は土休日・正月三が日に限定されている。

マスコットキャラクター編集

MONOKO[23]
2008年に使用停止[23]
モノルン
青い鳥の男の子。2012年7月から9月にかけて名称を公募し、10月10日に「モノルン」と発表された[24]

CMキャラクター編集

HKT48
2014年3月から、指原莉乃はじめメンバー7名がCMキャラクターを務める。同月7日から「HKT48モノレール派宣言!」と題する特設ウェブサイトを開設しているほか、モノレール浜松町駅、羽田空港第1ビル駅、羽田空港第2ビル駅の各駅に東京モノレール社員の制服姿のメンバーの等身大パネルを設置している。同年4月15日から5月31日までの間に、一部の列車において指原による沿線案内放送を実施したほか[25]、同年7月18日には、4名が羽田空港第2ビル駅の一日駅長に就任、同駅にて、同日より営業運行を開始した10000形電車の出発式に参加した[26]

日本高架電鉄時代の路線構想編集

日本高架電鉄時代(1960 - 1964年)には、会社案内のパンフレットやマスコミ取材への回答、運輸省への鉄道敷設免許申請などにより、羽田空港線以外にも次の路線構想があることを明かしていた。

  • 横浜線:羽田空港 - 横浜[27]。17.4km[28]。1962年9月に敷設免許申請[29]。1968年に申請取り下げ[30]
  • 熱海線:横浜 - 茅ヶ崎 - 小田原 - 熱海。1960年の時点では元箱根を終点とする「箱根線」であった[27]。1961年に終点を熱海に変更[31]。詳しい経路は横浜まで開通させてから検討するとしていた[32]
  • 晴海埠頭線:新橋 - 晴海埠頭[31][33]。後述の「千葉線」の先行区間。1960年の時点では晴海埠頭を経由する構想でなかったが[27]1964年東京オリンピックに合わせて晴海船客待合所(晴海客船ターミナルの前身)の建設が決定したため、1961年に晴海埠頭経由に変更された。
  • 千葉線:晴海埠頭 - 千葉 - 五井工業都市。市原市五井地区が暫定的な終点だったが[27]、最終的には新国際空港(のちの成田空港。当時はまだ建設場所が決定していなかった)まで建設する構想であった[33]
  • 蒲田線:羽田空港 - 蒲田。4.1km[28]。1961年5月頃に蒲田の組合が日本高架電鉄に建設を要望したもの[34][35]。1962年3月に敷設免許申請[29]。1968年に申請取り下げ[36]

その他編集

  • 営業運転開始前日の1964年(昭和39年)9月16日に浜松町駅にて開業記念式典が開催され、関係者約300名とマスコミ多数を集め河野一郎オリンピック担当大臣、松浦周太郎運輸大臣、犬丸徹三社長らがテープカットをおこなった。
  • 開通当初は浜松町駅 - 羽田駅(現・天空橋駅)間13.1kmを最高速度100km/hでノンストップで走った[37]
  • 当初は始発・朝6時20分から終電・夜10時50分まで上りと下りを合わせて合計206本が約7分間隔で運行された。
  • 建設当時は海岸線や海上、運河沿いなど地形が複雑で地盤も軟弱で工事は難航し、特殊な工法で建設され開業した。
  • 日立運輸東京モノレール時代には、日立グループの一員として、「日立の樹CMにもロールで流れていた(第1代:1973年 - 第5代:1984年、第7代:1989年 - 2001年頃)[38]
  • 運転士の養成(動力車操縦者免許取得)は、研修所を持つJR東日本に委託している[39]。ただし、学科講習のみであり、技能講習は東京モノレールで行っている[39]
  • フランスのタイヤメーカーであるミシュランは東京モノレールの車両向けゴムタイヤを納入したことがきっかけで日本に本格進出を果たした。
  • 開業前、軌道に詳しい技術者である高橋憲雄は国鉄の研究所から依頼を受け、横浜市磯子区にある自身の土地に実験棟とレールを設置し、ゴムタイヤの摩擦軽減や騒音解消に関する研究を行なっていた。2016年現在、実験棟は骨組を活用する形でログハウスに改修され、コンクリート製枕木も敷地の塀として再利用されているほか、当時のタイヤや鉄製の部品も良好な状態で敷地内に残っている[40]
  • 日本高架電鉄時代の本社所在地は、東京都千代田区平河町1-2であった[41]。当時は中政連ビルが建っており、中政連(日本中小企業政治連盟)の総裁、鮎川義介は日本高架電鉄の相談役だった。

ギャラリー編集

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 当時の国鉄運賃は等級制で、1等車(現在のグリーン車にあたる)に乗るには1等運賃、2等車(現在の普通車)に乗るには2等運賃が必要であった。

出典編集

  1. ^ a b 50年史、p.213。
  2. ^ a b c d e f g 第41期決算公告、2022年(令和4年)6月24日付『官報』(号外第136号)214頁。
  3. ^ a b 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』令和元年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会
  4. ^ 会社概要 東京モノレール株式会社のウェブサイト、平成24年6月29日閲覧
  5. ^ a b c 50年史、p.73。
  6. ^ 新モノレールSuica発売開始について (PDF)”. 東京モノレール (2009年4月6日). 2009年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月23日閲覧。新モノレールSuica発売開始について (PDF)
  7. ^ モノレールSuicaとは”. 東京モノレール. 2022年3月23日閲覧。
  8. ^ a b c 50年史、p.247。
  9. ^ a b 50年史、p.10。
  10. ^ a b c 50年史、p.248。
  11. ^ a b 50年史、p.11。
  12. ^ a b 50年史、pp.19-21。
  13. ^ 50年史、p.257。
  14. ^ a b c d 50年史、p.260。
  15. ^ a b c d 50年史、p.262。
  16. ^ 50年史、p.264。
  17. ^ “モノレール、東京駅まで延伸構想 羽田まで6分短縮”. 東京新聞. (2014年8月20日). オリジナルの2014年8月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140821151717/http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014082001001722.html 2014年8月20日閲覧。 
  18. ^ “東京モノレールのシンボルマークが生まれ変わります!” (PDF) (プレスリリース), 東京モノレール, (2018年4月16日), http://www.tokyo-monorail.co.jp/news/pdf/press_20180416.pdf 2019年8月3日閲覧。 
  19. ^ 2019年10月1日消費税率引上げに伴う運賃・料金改定について (PDF) - 東京モノレール、2019年9月5日(2019年10月6日閲覧)
  20. ^ 京浜急行・東京モノレール券売機
  21. ^ 『時刻表 完全復刻版 1964年10月号』JTBパブリッシング、2019年、p.537
  22. ^ 朝日新聞昭和39年9月21日記事
  23. ^ a b 東京モノレールが新しいゆるキャラ 「モノルン」20日デビュー - MSN産経ニュース
  24. ^ 東京モノレールのキャラクターを「モノルン」に決定! (PDF) - 東京モノレール、2012年10月10日
  25. ^ HKT48モノレール派宣言! 指原莉乃さんによる沿線案内放送を実施します (PDF) - 東京モノレール、2014年4月14日
  26. ^ “HKT48が一日駅長、東京モノレール新型車出発式”. RBB Today (IID, Inc.). (2014年7月18日). http://www.rbbtoday.com/article/2014/07/18/121801.html 2015年2月28日閲覧。 
  27. ^ a b c d 「AIR RAIL SYSTEM」、日本高架電鉄、1960年
  28. ^ a b 「明日の鉄道・モノレール 」妹尾隆之、『交通技術』 第18巻第1号(通算216号)、交通協力会、1963年1月
  29. ^ a b 第55回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第5号 昭和42年4月24日 増川遼三委員の発言「申請が出ましたのが、昭和三十七年の九月に横浜-羽田空港間について出ております。それからその前に、昭和三十七年三月に蒲田-羽田空港間、この申請が出ております。」
  30. ^ 「日立運輸東京モノレール(株)申請の横浜、羽田空港間地方鉄道(跨産式)敷設免許申請書返付について」運輸省、1968年9月19日
  31. ^ a b 「実用化するモノレール」芳賀、『富士タイムズ』1961年6月号、富士総合研究所編、富士銀行
  32. ^ 「ホテルと共に七十年」犬丸徹三、1964年、展望社
  33. ^ a b 「オリンピックにかける夢のかずかず」犬丸徹三、『週刊ダイヤモンド』1964年5月18日号、p38 - 43
  34. ^ 「羽田 - 蒲田モノレール」読売新聞1961年6月11日朝刊9面
  35. ^ 「鮎川義介関係文書(MF)(寄託)目録」 (PDF) の「441.2(10):⽻⽥国際空港・蒲⽥⺠衆駅間モノレールに関する要望書」国立国会図書館憲政資料室
  36. ^ 「日立運輸東京モノレール(株)申請の蒲田、羽田空港間地方鉄道(跨座式)敷設免許申請書返付について」運輸省、1968年9月19日
  37. ^ 朝日新聞昭和39年9月17日・朝刊の10面・東京モノレールの全面広告の記載による。
  38. ^ 日立の樹オンライン
  39. ^ a b c d 日本鉄道運転協会『運転協会誌』2013年9月号特集座談会「モノレールの運転を担って」pp.30 - 40。
  40. ^ 磯子区の住宅街、東京モノレールの走行実験車庫の跡地があるって本当?”. はまれぽ.com(アイ・ティ・エー) (2016年7月10日). 2016年7月10日閲覧。
  41. ^ 「『十五年のあゆみ』世界貿易センタービルディング」1980年6月

参考文献編集

  • 佐藤信之「鉄道・軌道プロジェクトの事例研究 29 開業40周年を迎える 東京モノレール」
  • 東京モノレール株式会社社史編纂委員会 『東京モノレール50年史』東京モノレール株式会社、2014年9月。 
  • 東京モノレール株式会社監修『東京モノレールのすべて』戎光祥出版 2015年8月。

関連項目編集

外部リンク編集