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東京大学総合図書館(とうきょうだいがくそうごうとしょかん)は、30の部局図書館・室からなる東京大学附属図書館の一つであり、東京大学本郷キャンパスで中心的な役割を果たすとされる。蔵書数や事務・業務において東京大学附属図書館の中では最大の規模である。

Japanese Map symbol (Library) w.svg 東京大学総合図書館
General Library, The University of Tokyo
General Library, University of Tokyo, 2012-12.jpg
前庭の木は2012年にキャンパス内の別の場所に移植された。
施設情報
前身 東京大学図書館 (- 1886)
帝国大学図書館 (- 1897)
東京帝国大学附属図書館本館 (- 1945)
東京大学附属図書館本館 (-1963)
事業主体 東京大学
管理運営 東京大学
開館 1877年
所在地 113-0033
東京都文京区本郷7-3-1
位置 北緯35度42分41秒 東経139度45分39秒 / 北緯35.71139度 東経139.76083度 / 35.71139; 139.76083
ISIL JP-1003306
統計・組織情報
蔵書数 1,306,964冊[1](2017年度時点)
貸出数 114,924冊[1](2017年度)
館長 熊野純彦
職員数 53人(常勤:37人、非常勤:16人)[1]
公式サイト 東京大学総合図書館
プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館
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建物は、1928年(昭和3年)に竣工した、内田祥三工学部教授設計の本館と、2017年5月末竣工した[2]、正面玄関前の地下の別館および学習スペース「ライブラリープラザ」(新図書館)[3]からなる。

2019年4月1日現在、改修工事のためメディアプラザは記念室に仮住まい中である[4]。2020年にはアジア研究に関する資料を集中化し、各国の研究者が集う世界最高水準のアジア研究図書館を館内に開設する予定である[3]

東京大学が保有する学術資産のデジタルアーカイブズ構築事業を進めている。また、東京大学で創出される研究成果を国内外に広く発信し、社会に還元するために、学術機関リポジトリ「UTokyo Repository」の構築、拡充にも力を入れている[3]

交通機関編集

最寄駅

都営バス

  • 東大赤門前または東大正門前(茶51・東43系統)下車 徒歩3分
  • 東大病院前(学01・学07系統)下車 徒歩5分

本館編集

本棚に並んだ図書をイメージさせる外観で、外壁のレリーフは彫刻家の新海竹蔵(しんかいたけぞう)によって1930年に制作された。左からそれぞれ「力・序・義・眞・生・和・慈・玄」を表象している[5]。淡褐色のスクラッチ・タイルを貼った外壁と、ゴシック風の細部とアーチをもつ入口を用いた外観のデザインは、内田祥三工学部教授の設計で、東京大学本郷キャンパスの他の建築物と調和が図られている。

現在の総合図書館本館は関東大震災で旧図書館が焼失したのちの1928年(昭和3年)に建てられた。震災の教訓を生かし、鉄骨鉄筋コンクリート造りで頑強な構造を備え、地下1階・地上3階(中央部のみ5階)、内側には7層の書庫が設けられた。中央入り口前の噴水も防火用水槽の役割も果たすものとして作られた[5]。別館建設にあたって一時的に撤去されたが、別館が完成した際に、再び元の場所に戻った。なお、関東大震災で焼失した旧図書館のレンガ製基礎が発掘された位置に、基礎をかたどったベンチが設置されている。基礎の実物は、別館入口(文学部3号館側)近くにある。

メディアプラザ編集

本館1階に所在する。ECCS(= 東京大学情報基盤センター・教育用計算機システム、Educational Campuswide Computing System)のパソコンが使える[4]

「東京大学新図書館計画」編集

東京大学は、2010年より、総合図書館本館の耐震改修工事に加え、総合図書館前広場の地下に別館を建設し、今後の学習・教育・研究の交流のための新たな拠点を形成していくという計画「東京大学新図書館計画」「アカデミック・コモンズ」を推進している。

2017年5月末に竣工した別館(新図書館)は地下4層からなり、地下2階から地下4階には約300万冊の蔵書を保存できる自動書庫が導入されている。地下1階はアクティブラーニングスペース「ライブラリープラザ」で、2017年7月にオープンした。自動書庫の最深部は地下46メートル、ビル12階ほどの深さがある[5]。伝統ある本館は外観を保存したまま内部を全面改修している。

2017年のオープン以降は本館改修工事の影響で、学生が静かに学習するためのスペースとして開館してきたが、2018年秋には本来の能動的な学習の場としてサービスを開始した。また、2018年5月には中央部分の工事が完了し、約5年ぶりに利用者用出入り口が正面玄関に戻った。

新図書館建設の間の2014年3月から3年間は、東京大学の入学試験の合格発表が取り止められていた。

利用編集

開館日程・時間編集

※ 休館日は不定期

8, 3月以外

月〜金 8:30-22:30 土・日・祝日 9:00-19:00

8, 3月

月〜金 8:30-21:00 土・日・祝日 9:00-17:00

学外の利用編集

国立大学に所属する教員・学生は開館時間中の利用が可能、それ以外は平日9:00 - 17:00 のみ可能。

蔵書編集

現在では、オンラインやCDROMなどによる電子出版に対応するため、ネットワークを介した学内への情報提供サービスも行っている。学外に向けては、ホームページからさまざまな情報を発信している。また、展示会を開催するなど、総合図書館の豊かなコンテンツを一般に公開している。

紀州徳川家より寄贈された「南葵文庫」をはじめ、「青洲文庫」、「鷗外文庫」、「田中文庫」、「亀井文庫」等多くのコレクションがある。これらのうち、江戸時代の文学書のコレクション「霞亭(かてい)文庫」や、明治大正期の文豪・森鷗外の旧蔵書のうち鷗外自筆写本、書入本などを掲載した「鷗外文庫書入本画像データベース」は電子化してホームページ上に公開している。

歴史編集

関東大震災以前編集

1877年(明治10年)の東京大学の創設と同時に東京大学図書館が設置される。東京大学の前身の東京開成学校東京医学校や旧幕時代の各学校時代にも図書館に類する部署があったことが分かっており、その淵源はなお古くさかのぼるという説もある。このときは、図書館という組織はあるものの、図書館として独立した建物はなく、図書室が法・理・文の三学部と医学部に散在している状態であった。

1892年(明治25年)に旧図書館棟完成。煉瓦造りで、白い石材による先頭アーチが、入り口、窓に配された中期ゴシック様式に基づく木造桟瓦葺の建物である。こうした特徴は、法文科大学などのこの時期の学内の建築物に共通していた。

著しく増加する図書の保存スペース狭隘化に対処するため、1907年(明治40年)には書庫の増設が行われた。

関東大震災から戦中編集

1923年(大正12年)9月1日関東大震災によって、東京帝国大学図書館は甚大な被害を被った。図書館棟が全焼となり、旧幕時代から築き上げられた所蔵図書76万冊のうち70万冊の蔵書を焼失した。『マックス・ミューラー文庫』や『古今図書集成』などが失われ、「焼け残り本」として『法華経集験記』、『天目中峯和尚広録』、『欽定熱河志』などがある。

東京帝国大学は、震災後直ちに、図書復興委員会を組織し、図書の復興運動を開始した。幸いにも、国内から「南葵文庫」や「青州文庫」(一部)をはじめ多数の貴重な図書の寄贈の申し出があり、さらに、震災直後より各国大使館から援助の申し出が多く寄せられた。国際連盟においても図書復興援助の決議が採択され、海外30数カ国から数多くの図書の寄贈を受けた。また、東京帝国大学自身も多額の予算を費やし、内外の貴重な資料を購入した。その甲斐あって、所蔵図書冊数は1927年(昭和2年)に55万冊にまで回復している。

図書復興と並行して、1924年(大正13年)、図書館再建と図書の復興のためにとロックフェラー財団より400万円の寄付の申し出が寄せられた。これを財源に新図書館の建設を決定し、直ちに図書館建築委員会を組織、欧米に設計・設備について調査を行った。また、キャンパス構想全体も手がけていた内田祥三(当時営繕課長兼図書館建築部長で後に工学部教授、さらに東大総長となる)の下、建設計画が進められた。1925年(大正14年)末には、早くも設計が決定している。

1928年(昭和3年)に完成。同年12月1日に竣工式を迎えている(以後同日を開館記念日としている)。

1944年(昭和19年)、今度は太平洋戦争による空襲が避けられない情勢となり、貴重な資料を守るため、山梨県市川大門の青洲文庫があった空き家へ、職員総出で貴重書疎開を行った。このときの疎開図書は、インキュナビュラをはじめ、木内文庫のカント著作および関係古版本、キリシタン関係貴重書、16〜18世紀の貴重書など約2千冊であった。これをタバコの空き箱3百個に詰めて、秋葉原駅から現地に送ったとのことである。日ごとに物不足、交通事情の悪化が深刻となっていた頃で、たいへんな作業であったと伝えられている。

空襲の被害で本郷界隈をはじめ東京一帯が焼け野原となる中で、図書館棟は幸運にも延焼することはなかった。一説には、東京大学周辺に植えられた樹木が防火林の働きを果たしたといわれている。

戦後編集

戦後、1960年(昭和35年)に就任した岸本英夫館長を中心に、さまざまな改善計画が立案、実施されていく。まず、東京大学の図書館全体の抜本的な機構改革が施された。「本館」から「総合図書館」への改称もこの時行われ、総合図書館だけを附属図書館と位置づけていたのを改め、東京大学の全図書館(室)を総称して附属図書館とすることとなった。学内図書の効果的な利用の一環として、全学の図書の総合目録(カード目録)が作成された。これにより、目録を東京大学全体にわたって尋ね歩く方法から大きく改善された。また、諸施設の全面的な改修が行われた。

1985年(昭和60年)前後には総合図書館の大規模改修が行われ、開架図書の拡充、地下書庫の増強等が行われた[6]

脚注編集

外部リンク編集