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入寮募集期の北寮入口
会議室、通称ピンクルーム。
昭和18年12月の落書、学徒出陣式の2ヶ月後である。

東京大学 駒場寮(とうきょうだいがく こまばりょう)とは、東京大学駒場Iキャンパス東部にかつて存在した学生自治寮である。建設当初から1950年の学制改革による改組までは旧制第一高等学校の駒場寄宿寮だった[1]東大紛争などで急進派学生の拠点の一つになった[1]。駒場Iキャンパス再整備計画の一環として1991年から廃寮が進められていたが、2001年8月22日に強制執行が行われるまで大学と自治会の間で建物の明け渡しについて争われた[2]。廃寮後跡地に駒場コミュニケーション・プラザが建てられた[3]

建築編集

1935年に建設された[4]。旧制高校寄宿舎の多くが木造なのと異なり鉄筋コンクリート構造[4]。3階建て[5]。1部屋に8人から11人が入る大部屋式[6]。設計者は内田祥三[7]

駒場小劇場編集

放置されていた「寮食堂北ホール」を1976年に野田秀樹らの夢の遊眠社が改装して、使用料は無料、約300人収容可能な演劇スペースとし、「駒場小劇場」とした[8]。略称「駒小」[8]如月小春堤泰之宮城聰などがこの劇場で活動した[9]。駒場寮廃寮後は「駒場小空間」が代替となった[10]

沿革編集

旧制一高時代編集

東京大学時代編集

  • 1976年頃 寮食堂建物の北側部分が劇場として改装され、「駒場小劇場」と命名される。
  • 1991年10月 駒場寮廃寮を計画に含む三鷹国際学生宿舎構想が教養学部教授会、東京大学評議会に承認される[2]
  • 1993年6月 寮食堂で集団食中毒が発生し営業停止処分を受ける。寮食堂を運営する東大生協は、施設の老朽化・採算の悪化などを理由に営業再開を断念し、翌年正式に廃止された。
  • 1995年4月 大学側が新入生の入寮者募集を停止。学生側はこれを認めず、新入寮生募集を継続。
  • 1996年4月 大学側が「廃寮」宣告。
  • これ以降大学と、大学の言う「違法に占拠する学生」との対立が激化。大学は電力供給を停止し、数度にわたって警備員を大量動員して寮生を追い出そうとし、解体工事を強行した。
  • 1997年10月 東京大学(国)が寮内に残っている学生ら44人と寮自治会などを相手取って、明け渡しを求める訴えを東京地裁に起こした[11]
  • 2000年3月28日 大学(国)側の請求を認め、寮生らに明け渡しを命じる地裁判決。
  • 2001年8月22日 強制執行によって学生が退去させられる[12]

駒場寮が登場する主な文学・映画編集

  • 『わが一高時代の犯罪』高木彬光、1951年
  • 『僞證の時』大江健三郎、『死者の奢り』所収
  • 『ムツゴロウの青春記』ほか、畑正憲
  • 『回想の東大駒場寮』高橋健而老、文藝春秋、1994年
  • 『二十歳のころ』立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ、新潮社、1998年
立花隆(1959年入寮)、野田秀樹(1975年入学)らの寮生時代も取材されている。
※駒場寮存続運動に着想を得たドラマだが実際とは全く異なる。

脚注編集

  1. ^ a b 高橋健而老『回想の東大駒場寮』1994年 p12-17
  2. ^ a b 学内広報 No.1230 2002.2.22 駒場寮廃寮の完結と将来の駒場キャンパス (PDF)
  3. ^ 『東京大学新聞』と『帝国大学新聞』で振り返る駒場キャンパスの80年”. 東京大学新聞社 (2017年11月25日). 2018年3月4日閲覧。
  4. ^ a b 佐々木 亜須実, 藤田 勝也 旧制官立高等学校における寄宿舎の建築に関する研究 日本建築学会計画系論文集Vol. 74 (2009) No. 639 P 1165-1171
  5. ^ 五十嵐太郎 戦後日本における集合住宅の風景 2014年8月
  6. ^ 西山夘三『日本のすまい(参)』p370 371
  7. ^ 東京大学史紀要 第11号 1993(平成5)年3月 p176
  8. ^ a b 「東大・駒場小劇場、寮とともに去りぬ!?――取り壊しで伝統惜しむ声」日本経済新聞夕刊 1992年7月22日
  9. ^ 堂前雅史『ネズミと「アングラ」』 和光大学表現学部・人間関係学部紀要別冊『エスキス2002』pp.180-182.
  10. ^ History - 駒場小空間wiki
  11. ^ 『東大「駒場寮」明け渡しを 国、寮生ら44人提訴 東京地裁』 1997年10月2日 朝日新聞
  12. ^ 【KomabaTimes④】駒場寮の記憶”. 東京大学新聞社 (2017年1月15日). 2018年3月4日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集