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北緯35度43分6.8秒
東経139度46分11.9秒

東京都立上野高等学校
Tokyo Metropolitan Ueno High School.JPG
過去の名称 第二東京市立中学校
東京都立上野中学校
東京都立上野新制高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 東京都の旗 東京都
校訓 自主協調
叡智健康
設立年月日 1924年
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
高校コード 13117C
所在地 110-8717
東京都台東区上野公園10-14
北緯35度43分6.8秒 東経139度46分11.9秒 / 北緯35.718556度 東経139.769972度 / 35.718556; 139.769972座標: 北緯35度43分6.8秒 東経139度46分11.9秒 / 北緯35.718556度 東経139.769972度 / 35.718556; 139.769972
外部リンク 東京都立上野高等学校
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東京都立上野高等学校(とうきょうとりつうえのこうとうがっこう)は、東京都台東区上野公園に所在する都立高等学校上高の通称で呼ばれている。

概要編集

1924年関東大震災後の学校不足解消のために、旧東京市第二東京市立中学校として開校 [1]

本校は上野公園の端、東京芸術大学上野動物園に接しており、東京大学本郷キャンパスからも徒歩圏の文教地区内に位置する。立地の良さを生かし、それら近隣の文化施設への訪問を授業や課外活動や進路指導に取り入れている。

全日制の卒業生数は2019年時点で2万2千人、定時制の卒業生数は閉課程前の2002年時点で7800人を超え [2]、各界に著名人を輩出している。

上野には旧国鉄(現JR)の常磐線東北本線高崎線、また京成本線の始発駅があり、東京の北の玄関口として長い間機能していた。そのため千葉県埼玉県茨城県からの越境通学者が多かった[要出典]

旧制中学(第二東京市立中学校)時代は第一高等学校の合格者数でほぼ連年全国TOP20位入り、TOP10位入りを続ける進学校だった[要出典]新制高等学校(東京都立上野高等学校)になってからも1960年代までは東京大学合格者を30名-40名前後輩出(浪人を含む)しTOP20位以内に入っていた。 しかしその後、学校群制度(1967年から1981年)を嫌った学力の高い生徒が私立中高へ流出したことや、学生運動後の本校の自由な校風が進学に不向きとして敬遠されるようになり、都立高校受検でほぼ全入が続き入学者の学力低下を招いた。その結果学校群制度が廃止された後も、同じ学校群を組んでいた白鴎高校(厳しい生活指導と現役大学合格を目指す進学指導で知られていた)に比べ進学実績が低迷した。しかし低迷期にあっても芸術系大学に強いという特徴は維持した[3]

2003年平成15年)、文部科学省により学力向上フロンティア・ハイスクールに指定された [4][5] 。続く2004年平成16年)には東京都教育委員会から重点支援校に指定(2011年平成23年)再指定)され [6][7] 、一時限45分・7時間授業の導入や土曜授業の復活、教員公募制の実施や夏休みの勉強合宿が開かれている。2005年平成17年)度入学生から特別進学クラスが2クラス設置された。 また、「東部地域の進学校の充実、かつての名門校の復活」を目的に、2014年平成26年)4月、進学アドバンス校に指定(2019年(令和元年)5月同じ目的により再指定) [8]、さらに2016年平成28年)4月、英語教育推進校指定校となる。これらの施策の結果、徐々に国公立大学合格者数をはじめとする進学実績が向上して来ている。

1969年に発生した学生運動以来の私服校であったが、2006年度から標準服が導入された。2016年度入学の71期生から制服が導入された。一般入試においては都の共通問題を使用している。 学生運動以来生徒会はなく、行事毎に有志が集い運営するのが伝統となっている。生徒会のように継続的な運営母体がないため、有志が集まらないと行事も行われない。

交通編集

 
 

東日本旅客鉄道(JR東日本)・地下鉄日比谷線銀座線上野駅京成上野駅から、上野公園を横断して徒歩13分。地下鉄千代田線根津駅からは徒歩7分に位置する。

赤羽池袋方面から来る生徒は、日暮里駅から谷中霊園を通って通学する生徒も多い。 かつて京成電鉄博物館動物園駅が本校から徒歩約5分前後の最寄駅であったが、1997年同駅が利用停止(2004年に廃止)されたため利用できなくなった。

施設編集

  • 現在の校舎は1987年に改築されたものである。以前は埼玉県新座市平林寺より土地を借り、体育用のグラウンドとして使用していたこともあった。しかし寺との戦前の借地約束の有効性のトラブルから裁判となり、1975年ごろ、それに敗訴し使用権を失った。その他長野県東御市ログハウス様の山荘財団法人の上高会が管理しており、本校関係者が利用することができる。
  • 旧(前)校舎時の1974年昭和49年)4月、本校通信課程託児所開設。学校の中の託児所は全国の公立高校で初めて。同校は東京で唯一の公立通信教育課程を持つ高校だった(1974年の日本の女性史より)。
  • 2009年まで地下1階に定時制生徒が利用する食堂があった。定時制閉課後、全日制生徒向けに180人まで収容可能の自習室に改修された。19時まで利用できる。

校訓・教育目標編集

本校の校訓は、初代校長高藤太一郎が大正デモクラシーの精神を汲んで定めた簡潔な標語であり、全日制・定時制・通信制に共通である。この校訓を土台にして、課程や時代に応じてそれぞれ具体的な教育目標が定められた。

校訓編集

  • 自主協調

 「己を持するや自主、他と共にするや協調」の根本に立ち、個性の伸長に努め、 自主的に行動するとともに、人格と人権を尊重して互いに協力し合う態度を身に付けさせる。 さらに自律的な態度を伸長するとともに、 規範意識を高め、社会の一員として社会に貢献できる人間の育成を目指す。

  • 叡智健康

 高い知性と豊かな情操を養い、自ら学び考え行動する創造力を身に付けさせるとともに、 体力を向上させ、社会の発展に貢献し得る心身共に健康な人間の育成を目指す。[9]

教育目標(進学アドバンス校指定後)編集

  • 校訓「自主協調」「叡智健康」のもと、「学力」「進学実績」「人間性」の三つの向上を目指す。
  • 更に、東京都立上野高等学校は、「地域・東京を代表する進学校」「名門校の復活」を目指す。
  • 「名門校の復活」とは、社会を牽引するリーダーを育成することを意味する。

沿革編集

[15]

主な年間行事編集

  • 4月 入学式
  • 4月 対面式
  • 4月 校外学習
  • 5月 運動会
  • 6月 芸術鑑賞教室
  • 9月 東叡祭(全日制文化祭)
  • 11月 修学旅行(2年生)
  • (11月 銀杏祭(定時制文化祭)定時制閉課により終了)
  • 12月 不忍駅伝
  • 3月 球技大会
  • 3月 卒業式

主な部活動編集

全日制編集

  • 男子バレーボールの強豪校。関東大会に7回出場(2019年時点)[16]。本校の推薦入試においてバレーボールで実績のある男子生徒を対象にスポーツ推薦枠3名が設けられている。
  • 東叡祭(文化祭)では男子水泳部員によるラインダンスが伝統の催し物となっている。

定時制(2008年度末で終了)編集

関連団体編集

著名な出身者編集

政治
行政
経済
法曹
学術
文化
芸能
その他
東京都立上野高等学校教諭・関係者

校歌編集

この校歌は大正13年(1924年)に第二東京市立中学校として開校した当時に制定された。元は三番まであり現在の二番が三番だったが、旧二番の内容が軍国主義的であったとされ戦後になってから三番は無くなり、旧三番が二番となり現在に至る。

また、作家の森まゆみが地域雑誌『谷根千』90号の表紙裏に同校歌について以下のように書いた[21]

「驚いた。“負けた側”を讃える校歌があるなんて。徳川の世に殉じて新時代の到来に命を捧げた至誠ゆかりの地。どんなに学びの道が険しかろうと、人生波乱万丈であろうと、仁愛正義」の赤白旗を揚げた彰義隊のように、「人を頼まぬ雄々しい心」で行こう。」

作曲:田村虎蔵東京高等師範学校助教授・童謡作家/当時本校の音楽教諭)

作詞:藤村作東京帝国大学名誉教授)

特徴編集

  • 本校は都民に広く学問を学ぶ機会を与えるために、全日制に加えて1924年12月(当初は私設の夜間中学)から2009年3月まで定時制併設、また1948年2月から2006年3月までは通信制も併設されていた。3つの課程が併設されていた高校は当時都内で本校だけであった(1991年4月に新宿山吹高校が開校するまで本校が都立で唯一の通信制)。その後、都立高校統廃合により、定時制は2008年度末に閉課程(台東区の定時制は旧台東商業高校の校舎に新設された浅草高校に統合)し、通信制は2006年度をもって一橋高校に移転された。通信制の移転は新学年から順次行われ、移転中の本校通信制は一橋高校の(上野の)分校という意味で一橋分校と呼ばれた。
  • 本校定時制は、本校初代校長の高藤太一郎が関東大震災で被災した生徒を救うために第二東京市立中学校内に1924年12月に私設した「上野二中夜間中学」に起源を発する。当時の他の夜間中学夜学)と同様、設立当初は正式な中学校とは認められなかったが、次第にその公益性が認められ、1935年3月に東京市に移管され東京市立上野中学校として正式認定された[22]。このような経緯により、同じ校舎内に昼間部が第二東京市立中学校、夜間部が東京市立上野中学校という名称で併設されており、学校名に「上野」が付いたのは実は定時制のほうが先であった。本校にとっては認定や公立移管の有無に関わらず既に夜学の運営実績を持っていたことをもって、全日制と定時制は同じ1924年の創立としている。
  • 本校通信制は都内で最も学費の安い高校であった。例えば2004年度の通信制の学費は都立全日制の3分の1以下で、内訳は入学考査料950円、入学料500円、受講料1年生9科目で7290円、生徒会費770円、日本スポーツ振興掛金140円、本校指定体育館シューズ2000円、教科書・学習書2~3万円で、合計年間4~5万円程度であった。また、子育て中の生徒の支援のため乳幼児用の託児室もあり、月2~3回のスクーリング(登校日)時の託児室利用料はわずか年間600円であった。2003年度には20名の生徒が託児室の利用登録していた。
  • 本校通信制は卒業までの在籍年数の上限を設けていなかった。そのため、毎年受講料を納め続けて卒業せずに10年も20年も在籍している生徒がいた。本校通信制を一橋高校に移転する際に上限が6年と定められ、現在はそのような長期在籍生徒はいなくなっている[23]
  • 東京都立上野高等学校は2つ校庭を持っている。一つは校舎の隣にある第一グラウンド。もう一つは道路(公道)を挟んで向かい側にある第二グラウンド。校舎から第2グラウンドへは道路上に架けられた歩道橋を使って行くことができる。その道路上に町丁目境界が敷かれているため、校舎側の第一グラウンドの「台東区上野公園10丁目」の住所に対して、第二グラウンドは「台東区池之端4丁目」の住所を持つ。
  • 東京都立上野高等学校の現校舎の通用門は、旧(前)校舎時の正門であった。旧校舎存在時、正門を入ると、大銀杏が左側に、旧校舎は右側に位置していた。

脚注編集

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  1. ^ 東京都立上野高等学校
  2. ^ http://save-teiji.a.la9.jp/ueno-yousei.htm
  3. ^ 例として、本校の一般入試でほぼ全入だった世代が卒業した2007年から2009年に、3年連続で東京芸術大学合格者が順に2名、1名、1名出ている(浪人を含む)。近年では2016年から2018年にやはり3年連続で1名、3名、1名の同大学合格者が出ている(過去の本校HP進路実績から)
  4. ^ 文部科学省「学力向上フロンティアハイスクール事業」について(平成15年度新規事業)東京都立上野高等学校
  5. ^ 文部科学省 平成15年度より「学力向上アクションプラン」
  6. ^ 東京都立上野高等学校重点支援校指定・再指定、東京都教育委員会
  7. ^ 都立上野高等学校学校案内 平成31年度版
  8. ^ 東京都立上野高等学校を進学アドバンス校に再指定
  9. ^ 東京都立上野高等学校・学校紹介・教育目標
  10. ^ 台東区立上野中学校沿革
  11. ^ 有志制度
  12. ^ 文部科学省「学力向上フロンティアハイスクール事業」について(平成15年度新規事業)東京都立上野高等学校
  13. ^ 文部科学省 平成15年度より「学力向上アクションプラン」
  14. ^ 東京都立上野高等学校重点支援校指定・再指定、東京都教育委員会
  15. ^ 東京都立上野高等学校沿革
  16. ^ 上野高等学校|東京都教育委員会
  17. ^ 東叡会
  18. ^ 公益財団法人 上高会
  19. ^ 週刊文春』2019年6月13日号 p.23
  20. ^ 週刊新潮』2019年6月13日号 p.22
  21. ^ 地域雑誌『谷根千』90号の表紙裏
  22. ^ 昭和戦前期 「夜間中学」史試論
  23. ^ 文部科学省高等学校教育部会(第19回)議事録

関連項目編集

外部リンク編集