東区 (大阪市)

大阪市にあった区

東区(ひがしく)は、1989年平成元年)まで大阪府大阪市にあった。現在の大阪市中央区北部・東部に相当する。

ひがしく
東区
東区役所跡地に建つ大阪産業創造館
東区役所跡地に建つ大阪産業創造館
廃止日 1989年2月13日
廃止理由 新設合併
東区南区中央区
現在の行政区 中央区
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27105-5
面積 5.93km2
総人口 27,585
(国勢調査、1985年)
隣接自治体
隣接行政区
大阪市北区都島区西区天王寺区南区東成区城東区
東区役所
所在地 541
大阪府大阪市東区本町1丁目25番地
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概要編集

 
平野町にある生駒時計店の本社生駒ビルヂング
 
道修町にある旧小西家住宅史料館(小西儀助商店〈現・コニシ〉旧社屋)

東を大阪環状線、南をおおむね長堀通安堂寺橋通・順慶町通、西を西横堀川阪神高速1号環状線北行き)、北を土佐堀川大川寝屋川に囲まれた、ほぼ長方形の区域であった。郵便番号は東部が540、西部が541。

大阪のシンボルである大坂城江戸時代から大阪経済の中心地であった船場の大半を管轄していたため、歓楽街のイメージがある南区に対して、ステータス(社会的地位)としての「東区」にこだわる者が年配者を中心に多かった。東区役所の跡地には大阪産業創造館が建っている。

歴史編集

1879年明治12年)の郡区町村編制法施行により大阪府東区が発足。1889年市制施行により、そのままの区域と名称で大阪市の下部組織へ移行したが、決して東区が吸収されたわけではなかった。現在のような行政区ではなく、東京市京都市の区と共に法人格を有し(明治44(1911年)9月市政改正勅令)、選挙で議員を選ぶ独自の「区会(区議会)」を持ち、明治23年(1890年)学事通達により学校設置区(当初は高等小学校、後に実業学校を設置)でもあり、中等教育と財産区を併せ持った性格の法人区であった。

しかし、1940年昭和15年)4月の地方税法改正により区の独自課税権(徴収権)を奪われ、区立の実業学校「高等東女学校」(現・大阪市立東高等学校)の維持管理ができなくなり、1943年9月「大東亜戦太平洋戦争)時下、時局の重大性に鑑み、大阪市政の運営とこれの発展向上に寄与するため」「区有財産の大阪市への寄付に関する議案」区会が可決[1]、更には同年11月には、区議会が解散を決議、法人区としての53年の歴史を終えた[2][3]

1989年平成元年)2月13日、南区と統合されて中央区となり、110年に及ぶ歴史の幕を閉じた。

年表編集

人口編集

  • 1920年 206,121
  • 1925年 172,411
  • 1930年 166,241
  • 1935年 171,263
  • 1940年 148,580
  • 1945年  9,875
  • 1947年  20,322
  • 1950年  37,976
  • 1955年  56,523
  • 1960年  59,704
  • 1965年  50,728
  • 1970年  38,564
  • 1975年  28,953
  • 1980年  27,109
  • 1985年  27,585

区長編集

著名な出身者編集

脚注編集

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関連項目編集