東周公(とうしゅうこう)は、戦国時代に現れたの諸侯。

紀元前368年成侯とともに周を攻撃した。紀元前367年、趙と韓は西周威公の末子の公子班(恵公)を立ててに封じさせた。これが東周である。さきに西周(王城)が成立しており、周王の領土(成周)も含めて周は3分されることとなって、周の弱体化はますます進んだ。紀元前249年東周君が諸侯と図ってを陥れようとしたことから、呂不韋によって東周君は殺害され、その領土は秦に併呑された。

歴代君主 編集

参考文献 編集