東和男
東 和男(あずま かずお、1955年8月17日 - )は、将棋棋士。棋士番号は128。長崎県佐世保市出身。高島一岐代九段門下。日本将棋連盟理事を3期6年務めた(2011年5月 - 2017年5月)。
東 和男 八段 | |
---|---|
![]() | |
名前 | 東 和男 |
生年月日 | 1955年8月17日(67歳) |
プロ入り年月日 | 1976年7月16日(20歳) |
引退年月日 | 2021年5月17日 |
棋士番号 | 128 |
出身地 | 長崎県佐世保市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 高島一岐代九段 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 東 和男 |
戦績 | |
通算成績 | 479勝681敗(.4129)[1] |
竜王戦最高クラス | 1組(2期) |
順位戦最高クラス | B級2組(17期)[2] |
2021年5月17日現在 |
棋歴編集
プロ入りから3年目の1979年度(第38期)順位戦C級2組で8勝2敗の成績で3位となり、C級1組に昇級。1983年度には、第42期C級1組順位戦で9勝1敗で1位となり、B級2組へ昇級。比較的順調に昇級する。
1986年度、第27期王位戦でリーグ入り。挑戦者にはなれなかったが、入りやすく落ちやすいリーグである王位リーグで、残留を果たす(大内延介、二上達也らに勝利)。翌期も残留している(大山康晴、森雞二らに勝利)。
第1期竜王戦(1988年度)の竜王ランキング戦(1987~1988年)は、順位戦で上位であったため、2組からのスタートとなった(第1期竜王戦 を参照)。この年度の2組で準優勝し、1組昇級を決めるとともに、初代竜王の座を争う本戦に進出。本戦では中村修(1987年3月に王将を2連覇)を相手に1勝を挙げ、7位となる。
1993年度、第62期棋聖戦でリーグを突破し、本戦トーナメントに進出。
順位戦は第59期(2000年)にC級1組、第62期(2003年)にC級2組へ降級。第64期(2005年)と第65期(2006年)で2期連続降級点を喫し、第66期(2007年)は1勝6敗の陥落危機を残り3局3連勝で免れるも、この期を最後にフリークラスに転出した。
フリークラス最終年・現役最終年となる2020年度は、第71期王将戦予選にて公式戦では35年ぶりとなる谷川浩司との対局を行い、東が勝利した。
2021年3月末にてフリークラス在籍期限を満了。同年5月17日、第34期竜王戦6組昇級者決定戦・古賀悠聖戦が公式戦最後の対局となり、同日付で現役引退[2][3]。
棋風編集
純粋な居飛車党である。
相居飛車(相手も居飛車)の場合は、相矢倉で盤面全体で戦う将棋が圧倒的に多い。相手が初手▲2六歩と指して相掛かりに誘導すれば、△8四歩と突いて、それに応じる。
相手が振り飛車の場合は、自玉を堅く囲わず、急戦で対抗することが多い。
2002年前後からは、相居飛車では後手番一手損角換わり、対・振り飛車では相穴熊を指すことも多くなっている。
人物編集
- 2011年、日本将棋連盟の理事選挙に出馬し、当選。常務理事として、関西本部を担当。
- 2016年に発生した将棋ソフト不正使用疑惑をめぐる混乱に対する責任を問われ、2017年2月27日に行われた臨時総会で東を含む理事5人の解任案が提出された。しかし東と佐藤秀司については過半数の賛成を得られず否決され、続投することとなった[4][5]。そしてこの臨時総会で解任された青野照市の後任の専務理事に選任され[6]、5月29日の任期満了まで務めた。2017・18年度は立候補せず、退任した。
- タイトル保持者クラスの対戦機会は少なく、羽生善治との公式戦は1991年度の第50期順位戦B級2組の1局のみであったが、東が勝利している。
昇段履歴編集
昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。
主な成績編集
- 通算成績 1160局 479勝681敗(.4129)
出典編集
- ^ “通算成績”. 日本将棋連盟. 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b “東八段と金沢五段が引退 将棋”. 朝日新聞. (2021年5月24日) 2021年6月20日閲覧。
- ^ a b “東和男八段、金沢孝史五段が引退”. 日本将棋連盟. 2021年5月18日閲覧。
- ^ “将棋連盟、ソフト不正使用疑惑の混乱で理事3人を解任”. 日本経済新聞. (2017年2月27日) 2017年2月27日閲覧。
- ^ “将棋連盟、専務理事ら3人を解任…三浦九段処分”. 読売新聞. (2017年2月27日) 2017年2月27日閲覧。
- ^ “東和男常務理事が専務理事へ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2017年3月17日). 2019年5月14日閲覧。
- ^ “2015年4月1日付昇級・昇段者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2015年4月1日). 2019年6月8日閲覧。