東圓寺 (中津川市)

岐阜県中津川市にある寺院

東圓寺(とうえんじ)は岐阜県中津川市東宮町にある曹洞宗の寺院。山号は寿福山。

東圓寺
所在地 岐阜県中津川市東宮町8-12
位置 北緯35度29分47.2秒 東経137度30分40.9秒 / 北緯35.496444度 東経137.511361度 / 35.496444; 137.511361座標: 北緯35度29分47.2秒 東経137度30分40.9秒 / 北緯35.496444度 東経137.511361度 / 35.496444; 137.511361
山号 寿福山
宗派 曹洞宗
本尊 薬師如来
創建年 寛文5年(1665年)
開山 宗泉寺三世 揚外秀幡
開基 春翁祖陽
別称 後向薬師
札所等 中部四十九薬師霊場第二十五番
文化財 木造薬師如来坐像(国の重要文化財)
誕生釈迦如来立像(市指定重要文化財)
法人番号 8200005009050 ウィキデータを編集
東圓寺 (中津川市)の位置(岐阜県内)
東圓寺 (中津川市)
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本尊の薬師如来の別称から後ろ向き薬師とも呼ばれる。中部四十九薬師霊場第二十五番。

歴史 編集

元和(1622年)、春翁祖陽が、中津川市淀川町の字・直海島という現在ショッピングセンターの敷地内に開基した小庵が始まりとされる。

過去帳の最初は寛永5年(1628年)で、寛永11年(1634年)の過去帳には「当山開基春翁祖陽和尚示寂」という記録がある。

春翁祖陽が、伽藍を持つ寺院を建立するために中津川村を支配していた尾張藩木曾代官山村氏から貰い受けていた現在の地に、

寛文5年(1665年)、中津川宗泉寺三世の揚外秀幡曹洞宗の寺院として開山した。

寛文以降の過去帳が整っていることから、この頃に同寺の基礎が固まったと思われる。

梵鐘は「水野家歳代記」によって、享和2年(1802年)に鋳造されたことがわかる。

現在の梵鐘は昭和53年(1978年)に新鋳されたものである。

前本堂は文化7年(1810年)六世の應山禅諾時代の建立である。 

重要文化財(国指定) 編集

木造薬師如来坐像 編集

伝説によれば弘仁5年(814年)、東山道神坂峠を越える旅人の守りとして伝教大師(最澄)が彫刻したと伝わる。伝説の真偽は別として、薬師如来像は平安時代の作である。

貞享元年(1684年)に神坂峠にあった薬師堂(広済院)で祀られていた薬師如来を東円寺に移した。

この薬師如来は乗馬して仏前を通ると必ず落馬するという謂れがあり、それを避けるために後ろ向きで堂に安置されていたため後ろ向き薬師の異名を持っていた。また、出世の願いを叶える霊験を持つとされ、出世如来とも呼ばれる。

大正14年(1925年)、当時の古社寺保存法に基づく旧国宝(文化財保護法施行後は国の重要文化財)に指定された。

昭和29年(1954年)、文部省から補助金を得て防災庫を設置して安置した。

この薬師如来は、古くより出世薬師とも呼ばれ、祭礼は毎年4月8日に行われており、多くの参詣者が訪れる。

特に頭部の病(耳だれ・頭痛)などの平癒祈願、安産、母乳の御授けの祈願に霊験あらたかで、錐や綿で作った乳首などの奉納が多かった。

寺宝 編集

本尊以外の宝物では、室町時代の金銅誕生釈迦牟尼仏などが所蔵されている。この誕生仏は像高84cmにも及び誕生仏としては最大の作品で、昭和46年(1971年)10月28日に中津川市の文化財に指定された。

文政7年(1824年)作の准堤観音もある。

境内 編集

秋葉神社が祀られている。言い伝えによると、享保年間(1716~1735年)に、勝野某と菅井某が上州へ繭を買い付けに行った折、入間川を渡ろうとした際に勝野某は流されたが、菅井某は秋葉権現の分身である白髪の老人に助けられた。為に菅井家の一統は長船の名刀を納めて秋葉権現を勧請してきた。毎年2月16日に祭礼が執行される。

関連寺院 編集

関連リンク 編集

参考文献 編集

  • 『中津川市史 中巻Ⅱ』 第五編 近世(二) 第八章 寺社 第二節 寺院 ニ 近世の寺院 東圓寺 p1619~p1620 1988年
  • 『恵那郡史』 第八篇 現代 第四十一章 人文の発展(一) 【各宗寺院】 p612~p619 恵那郡教育会 1926年
  • 『岐阜県百寺』 東円寺 p190~p191 郷土出版社 1987年

脚注 編集