東大泉

東京都練馬区の町名
東大泉町から転送)
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東大泉(ひがしおおいずみ)は、東京都練馬区町名住居表示実施済み。現行行政地名は東大泉一丁目から東大泉七丁目。面積は2.429km2[1]郵便番号は178-0063[3]

東大泉
ゆめりあホール (大泉学園駅南口側から撮影、2009年4月)
ゆめりあホール
(大泉学園駅南口側から撮影、2009年4月)
東大泉の位置(東京都区部内)
東大泉
東大泉
東大泉の位置
北緯35度44分57.66秒 東経139度35分10.13秒 / 北緯35.7493500度 東経139.5861472度 / 35.7493500; 139.5861472
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 練馬区
面積
 • 合計 2.429 km2
人口
2023年令和5年)8月1日現在)[2]
 • 合計 35,422人
 • 密度 15,000人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
178-0063[3]
市外局番 03[4]
ナンバープレート 練馬

地理 編集

練馬区の西部に位置する。北部を大泉町大泉学園町西大泉、南部を石神井台、東部を三原台石神井町、西部を南大泉と接する。西武池袋線大泉学園駅の付近を中心に工業が盛んである。かつて大泉に教育施設を誘致し学園都市・大泉学園の形成を試みたが叶わず、その名残として地名や駅名に学園がついている。また東大泉三丁目地区は、1941年 陸軍予科士官学校東京都市ヶ谷市ヶ谷台、現在の防衛省市ヶ谷地区(市ヶ谷駐屯地))から朝霞に移転した際に、職員らの住宅をこの地区に建設したことから碁盤の目状に整備され、かつてこの地区は将校住宅と呼ばれた[5]

世帯数と人口 編集

2023年令和5年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯 人口
東大泉一丁目 2,550世帯 4,871人
東大泉二丁目 3,049世帯 6,327人
東大泉三丁目 2,691世帯 4,866人
東大泉四丁目 1,704世帯 2,910人
東大泉五丁目 2,173世帯 4,091人
東大泉六丁目 3,419世帯 6,425人
東大泉七丁目 2,889世帯 5,932人
18,475世帯 35,422人

小・中学校の学区 編集

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

丁目 番地 小学校 中学校
東大泉一丁目 28~33番
35~37番
練馬区立大泉小学校 練馬区立大泉中学校
その他 練馬区立大泉東小学校
東大泉二丁目 1~12番
16~18番
33~41番
13~15番
19~27番
練馬区立泉新小学校 練馬区立三原台中学校
その他 練馬区立大泉北小学校 練馬区立大泉北中学校
東大泉三丁目 1~16番
24~27番
36番
練馬区立大泉東小学校 練馬区立大泉中学校
その他 練馬区立大泉小学校
東大泉四丁目 全域
東大泉五丁目 1~13番
23~26番
31~39番
練馬区立大泉東小学校 練馬区立大泉第二中学校
その他 練馬区立大泉南小学校
東大泉六丁目 全域
東大泉七丁目 全域

地価 編集

住宅地の地価は、2023年令和5年)1月1日公示地価によれば、東大泉3−21−11の地点で47.5万円/m2となっている[7]

歴史 編集

旧:武蔵国豊島郡土支田村上組。土支田村は大きな村だったため上組(南)と下組(北)に分けられていた。現在の東大泉の他に、三原台二・三丁目の一部、大泉町二丁目の一部は土支田村上組に属していた。

1873年明治6年)、大区小区制によって上組と下組は分離され、上組は上土支田村と呼ばれるようになった。1889年(明治22年)、上土支田村は町村制によって南の石神井村と合併し、石神井村大字上土支田となる。さらに1891年(明治24年)、隣村の埼玉県新座郡にあった榑橋村東京府に編入され大字上土支田と合併し北豊島郡大泉村が誕生した。

当時小学校は村ごとに運営されており、一つの村に必ず一校小学校を設置する必要があった。上土支田の豊西小学校(妙延寺内、現:東大泉3-16)と榑橋村の榑橋小学校(本照寺内、現:西大泉3-11)は、間隔が1km以内と近距離にあった。そこで合併すれば小学校を統合でき、大幅な経費削減が期待できることから、両村は合併した。合併後、豊西小学校と榑橋小学校は統合され、村の中央部に新たに泉小学校が設置された。後に泉小は現在の大泉小学校になる。

1932年昭和7年)、東京市編入とともに板橋区(現在の練馬区と板橋区を包含)が誕生し、大泉村は解体。大字上土支田の区域をもって板橋区東大泉町が誕生した。1947年(昭和22年)の練馬区独立後もそもまま踏襲され、1980年(昭和55年)8月1日、第18回住居表示により東大泉町の一部を土支田に編入、残りの部分に北大泉町のごく一部と旧・上石神井二丁目のごく一部を編入して境界整理し、現行の東大泉一丁目から七丁目までとなった。

2006年平成18年)9月1日に二丁目34番(東映東京撮影所)を、街区が広大であることと「ブラウドシティ大泉学園」という巨大なマンションが建設されたことにより分割して42番が新設された。

産業 編集

農業 編集

  • 販売農家数 - 21戸
  • 農業就業人口 - 58人
  • 経営耕地面積 - 1426a
    • 畑 - 1372a
    • 樹園地 - 54a
  • 主要農作物作付面積
    • キャベツ - 988a
    • ばれいしょ - 54a
    • ダイコン - 75a
    • ほうれんそう - 93a
    2000年(平成12年)2月1日現在、「練馬区統計書平成17年版 農業センサス」より(なお、ここに掲載したのは農業集落名が「東大泉町」となっている農家である。この農業集落は三原台三丁目にもまたがっているため、実際には若干これより少ない)。

経営耕地面積が1426aとなっているように区内では比較的広大な農地を抱えている(32集落中第8位、区内全体の約5%)が、大泉地区では最下位である。畑の約72%がキャベツの栽培に当てられている。

工業 編集

  • 工場数 - 27(2003年(平成15年)12月現在「練馬区統計書平成17年版 工業統計調査」より)
  • 従業者数 - 577人
    • 常用労働者 - 565人
    • 事業主・家族従業者 - 12人
  • 製造品出荷額等 - 1,768,996(万円)
  • 付加価値額 - 1,049,085(万円)

東大泉には工場数はあまり多くないが、従業者数が50人を超える工場が3か所もあり、事業主・家族従業者の割合は約2%(練馬区全体7.5%)と低いなど比較的規模の大きな工場が多い。製造品出荷額等は区内の約17%(第1位。2位は北町)、付加価値額は約19.5%(第1位)を叩き出すなど練馬区で北町、大泉町地区などと並んで工業が盛んである。特に西武池袋線大泉学園駅のすぐ北側にある一丁目と関越自動車道大泉インターチェンジのある二丁目では町内の工場の約66%、労働者の約65%が集中し、製造品出荷額は約98%を占めている。平成12年と比べると工場数は6減 (−18.1%)、事業主・家族従業者が6減 (−33.3%) と従業者数が1 - 3人の零細工場が縮小している。しかし常用労働者数は全く変わっておらず、現金給与総額は11億2233万円増 (+37.3%)、製造品出荷額は65億4905万円増 (+58.7%) となっているように全体的には景気がいい。なお常用労働者の給与一年間の総額(現金給与総額)は41億2424万円(一人当たりにすると約729万9540円)と区内ではトップクラスである。たとえば同じく工業が盛んな貫井では24億366万円(常用労働者数は627人)、北町では27億7700万円(638人)となっている。

商業 編集

  • 卸売業(2002年(平成14年)6月1日現在、「練馬区統計書平成17年版 商業統計調査」より)
    • 商店数 - 24
    • 従業者数 - 188人
    • 年間販売額 - 5488(百万円)
  • 小売業
    • 商店数 - 344
    • 従業者数 - 2546人
    • 年間販売額 - 35914(百万円)

小売店は練馬区内で最も数が多く(区内の約7%)、西武池袋線大泉学園駅より北側の一 - 四丁目に多く分布している。特に一丁目には大型店も見られ、町内の小売店の約24%が集中している。

交通 編集

鉄道 編集

バス 編集

大泉学園駅を拠点に、西武バス関東バスが発着する。また、石神井公園駅から成増駅方面への国際興業バスも域内を運行している。2013年9月末までは都営バスの路線もあった。

大泉学園駅からは、吉祥寺駅西荻窪駅荻窪駅阿佐ケ谷駅(以上中央線快速同各停。荻窪駅は丸ノ内線も)、成増駅和光市駅朝霞駅(以上東武東上線、成増・和光市は有楽町線副都心線も)、新座駅武蔵野線)、上石神井駅西武新宿線)、練馬駅(西武池袋線、一部都営地下鉄大江戸線新江古田駅)への路線が出ており、利便性が高い。また、中央線各駅への路線は西武新宿線の駅(上石神井駅のほか武蔵関駅上井草駅)も経由する。

羽田成田両空港へのリムジンバスの発着もあったが、駅前再開発に伴い中止された。

道路 編集

施設 編集

一丁目 編集

二丁目 編集

三丁目 編集

  • 妙延寺
  • 練馬区立東大泉中央地域集会所
  • 東和銀行東大泉支店
  • 大泉名水会

四丁目 編集

五丁目 編集

六丁目 編集

 
ゆめりあフェンテ

七丁目 編集

  • 練馬区立東大泉児童館
  • 練馬西税務署

参考文献 編集

  • 桑島新一「練馬の地名今むかし」『ねりま区報』練馬区、1984年(昭和59年)6月~1985年(昭和60年)8月
  • 桑島新一「練馬の地名今むかし(旧地名の部)」『ねりま区報』練馬区、1985年(昭和60年)11月~1986年(昭和61年)4月
  • 練馬区『練馬区統計書 平成17年版(2005年版)』練馬区、2006年

脚注 編集

  1. ^ a b 練馬区統計書 - 町丁別土地面積、気温、降水量の推移、住民基本台帳による世帯数と人口など”. 練馬区 (2022年10月1日). 2023年8月6日閲覧。
  2. ^ a b 町丁別の世帯数と人口”. 練馬区 (2023年8月3日). 2023年8月6日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月4日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月4日閲覧。
  5. ^ 名水会について”. oizumi-meisui.com. 2023年8月6日閲覧。
  6. ^ 区立小中学校 学区域一覧”. 練馬区 (2022年7月20日). 2023年8月6日閲覧。
  7. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査