東岡遊廓

大和郡山市にあった遊廓

東岡遊廓[1](ひがしおかゆうかく)は奈良県生駒郡郡山町字東岡(現・大和郡山市東岡町)にかつて存在した遊廓

概要 編集

1930年昭和5年)に出版された『全国遊廓案内』によると、遊廓は奈良県生駒郡郡山町字東岡(現・大和郡山市東岡町)にあって、関西線郡山駅の東南約7の地点に当っていて、乗合自動車の便もあり郡山停留場から南へ約3丁であるという[1]

その当時、揚屋(貸座敷)は21軒あって娼妓は190人おり、すべて大阪式で置屋から娼妓を揚屋へ呼んで遊ぶことができた[1]。従って廻しは一切取らずに全部時間制、または仕切制になっていた[1]。午前8時から正午までは5円、正午から日没までは7円、日没から12時までは7円、12時から翌朝7時までが6円だった[1]

この辺では一帯に娼妓のことを「おやま」、「子供衆」と呼んでいた[1]。妓楼は旭楼、今村、竹島、藤近、千歳、大阪楼、都楼、笹の屋楼、壽楼、岡吉楼、ヨカロー、揚喜楼、御多福楼、河卯楼、寶山楼、駒川楼、恵美須、第三清月、錦水楼、清月楼等がある[1]

その他 編集

戦前、奈良県内にあった遊廓は奈良市の「木辻」、大和郡山市の「洞泉寺」、同市の「東岡」の3箇所だけである[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 『全国遊廓案内』353 - 354頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年6月2日閲覧。
  2. ^ 旧川本邸源九郎稲荷神社公式サイト。2020年6月2日閲覧。

参考文献 編集

  • 『全国遊廓案内』日本遊覧社、1930年。