東市来町美山

鹿児島県日置市の大字
日本 > 鹿児島県 > 日置市 > 東市来町美山

東市来町美山(ひがしいちきちょうみやま)は、鹿児島県日置市大字[1]。旧薩摩国日置郡伊集院郷苗代川村日置郡下伊集院村大字苗代川日置郡東市来町大字美山郵便番号は899-2431[2]。人口は541人、世帯数は223世帯(2015年10月1日現在)[3]

東市来町美山
美山中心部(県道24号)
美山中心部(県道24号)
東市来町美山の位置(鹿児島県内)
東市来町美山
東市来町美山
東市来町美山の位置(日本内)
東市来町美山
東市来町美山
北緯31度38分30.5秒 東経130度21分45.4秒 / 北緯31.641806度 東経130.362611度 / 31.641806; 130.362611
日本の旗 日本
都道府県 鹿児島県の旗 鹿児島県
市町村 Flag of Hioki, Kagoshima.svg 日置市
地域 東市来地域
人口
(2015年10月1日現在)
 • 合計 541人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
899-2431
市外局番 099
ナンバープレート 鹿児島

安土桃山時代島津氏によって連行された朝鮮人陶工らが江戸時代になり、薩摩藩の各地からこの地に移され、苗代川村が成立した[4]。現在でも多くの窯元で薩摩焼が生産されており、この地で作られた薩摩焼は「苗代川焼」とも呼ばれる[5]。1956年の下伊集院村の分割合併の際、大字名を藩政時代の苗代川から「美山」に改称している[6]

地理編集

日置市の西部に位置している。字域の北方には日置市東市来町長里、南方には日置市東市来町美山元寺脇東市来町宮田東市来町寺脇、東方には日置市伊集院町寺脇伊集院町野田、西方には日置市東市来町伊作田がそれぞれ接している。

字域の中央部には鹿児島県道24号鹿児島東市来線が東西に通っており、東部を日置広域農道が南北に通っている。北部を国道3号が東西に通っており、中央部に鹿児島本線が通っている。南部には南九州西回り自動車道が南北に通っている。

慶長の役島津軍によって朝鮮半島より連行された朝鮮人陶工達の集落が置かれた場所で、現在も薩摩焼の工房が存在している。

歴史編集

 
旧下伊集院村における旧・苗代川(水色)の位置

苗代川村の成立編集

苗代川という地名は江戸期より見え、薩摩国日置郡伊集院郷(外城)のうちであった。「伊集院郷土史」及び「東市来町郷土史」によると古くは市来郷養母村(現在の日置市東市来町養母)に属していたとされる。

慶長2年(1597年)、豊臣秀吉朝鮮出兵で行われた南原の戦いの際に島津義弘の軍勢の捕虜となった陶工・朴平意ら朝鮮人男女43名が翌年薩摩国日置郡に留め置かれた。慶長3年に島津義弘朝鮮より連れ帰った陶工を同8年に串木野郷下名村島平や鹿児島郡鹿児島城下高麗町(現在の鹿児島市高麗町)から当地に移した際に養母村(現在の東市来町養母)より分村し苗代川村として成立した[4]

苗代川焼の隆盛と藩の統治編集

慶長8年(1603年)頃、薩摩藩江戸幕府に所領安堵を許されるとようやく情勢が落ち着き、彼らはこの地に移されて朴平意を庄屋に任じて陶磁器製造を許された。続いて藩内他所に居住していた他の朝鮮人も徐々にこの地への集住が命じられた。朴平意らは新しい村の北西に檀君を祀る玉山宮(現在の玉山神社)を創建した。

延宝3年(1675年)、当時の藩主島津光久によって参勤交代の御仮屋(本陣の役割を果たす薩摩藩主の別邸)がこの地に移されて以後、保護と統制の表裏一体の政策が進められるようになる。翌年には他の土地の女子が苗代川に嫁いでくる事を例外として一切の外部との通婚を禁じる命令が出され、続いて日本名を名乗る事や日本の衣服を身に着けることが禁じられた。

更に陶磁器製造を藩庁の厳重な監視下に置いた。これは日本人社会から完全に隔離して薩摩藩御用焼の生産維持と朝鮮風俗の保持を強制するためのものであった。更に藩主の参勤交代の際には陶工たちが演じる朝鮮式の神舞・歌謡を見物し、村から選抜した小姓に朝鮮衣装を身に付けさせて江戸に上らせた。その代償として日本人による苗代川住民への犯罪行為は厳罰に処せられ、村の指導層は郷士、その他一般住民もこれに準じる身分待遇を受ける慣例が保障されていた。

この地域は地下水位が低かったため深い井戸を利用する技術が発達しており、宝永元年(1704年)には約160名の住民が当時不毛の地であった笠野原へ移住している[7]

弘化2年(1845年)、薩摩藩の実権を握った調所広郷が窯の新造を支援するとともに専売制度を改革して住民の生活改善と生産増加を図った。

その後、苗代川の朝鮮人は日韓併合を受け、住民は自ずと日本人姓に改姓した。

寛文5年に伊集院郷のうちとなり、同9年に伊集院郷より独立し地頭が置かれた。宝永4年に伊集院郷に復帰するが、焼物に関しては薩摩藩の管理下に置かれた。村高は「伊集院郷土史」では257石余、「旧高旧領取調帳」では253石余であった[4]

町村制施行以後編集

1889年(明治22年)4月1日町村制が施行されたのに伴い、伊集院郷の北部にあたる苗代川村・野田村・神之川村・宮田村・寺脇村・上神殿村・下神殿村・嶽村・桑畑村・麦生田村・有屋田村の区域より日置郡下伊集院村が成立した[8]。苗代川村は下伊集院村の大字「苗代川」となった[4]。また、下伊集院村役場が苗代川に設置された[9]1947年(昭和22年)に下伊集院村役場が、下伊集院村の中央部に移転することとなり、下神殿(現在の伊集院町下神殿)1500番地に移転した[10]

1956年(昭和31年)9月30日には同日に官報に掲載された「  町村の廃置分合」(総理府告示)により下伊集院村が解体分割されることとなり、大字有屋田・大字嶽が日置郡郡山町、大字苗代川・大字宮田・大字神之川(一部)が日置郡東市来町、大字神之川(一部)が日置郡日吉町にそれぞれ編入され、その他の下伊集院村の区域及び及び伊集院町の全域を廃し新たに伊集院町が設置された[11][8]。大字苗代川は東市来町へ編入されることとなり、同時に「  大字の名称変更についての処理」(鹿児島県告示)により大字名を苗代川から「美山」(みやま)に改称した[6][4]

2004年平成16年)10月29日に美山の一部より分割され、大字美山元寺脇が設置された[12]

2005年(平成17年)5月1日東市来町日置郡伊集院町吹上町日吉町と合併し日置市が成立した[13]。この合併に先立って設置された法定合併協議会である「日置中央合併協議会」において大字名については「字の区域は、現行どおりとし、現行の字の名称の前に当該字の属する合併前の町の名称を付し、字の名称を変更する。」と協定された[14]。合併日の2005年(平成17年)5月1日に鹿児島県の告示である「  字の名称の変更」が鹿児島県公報に掲載された[1]。この告示の規定に基づき即日大字の名称変更が行われ、大字名が「美山」から日置市の大字「東市来町美山」に改称された[15]

字域の変遷編集

実施後 実施年月日 実施前
大字 小字
美山元寺脇(全域) 2004年10月29日 美山 大坊迫、大坊平、大坊、鷹ノ巣、分石、大穴、加治ヲン、井手口、下西の谷、上西の谷、控松、打水、小谷口、加治ヲン平、留包、小鹿倉

人口編集

以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。

統計年 人口
1995年(平成7年) [16] 549
2000年(平成12年) [17] 606
2005年(平成17年) [18] 582
2010年(平成22年) [19] 537
2015年(平成27年) [3] 541

施設編集

 
日置市立美山小学校
 
元外相東郷茂徳記念館

外交編集

教育編集

郵便局編集

  • 下伊集院郵便局[21]

寺社編集

その他編集

  • 元外相東郷茂徳記念館

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる

大字 番地 小学校 中学校
東市来町美山 全域 日置市立美山小学校 日置市立東市来中学校

交通編集

道路編集

一般国道
主要地方道
広域農道

美山に関連する作品編集

  • 『故郷忘じがたく候』 - 司馬遼太郎の小説。第14代沈壽官を主人公とした小説である。
  • 街道をゆく 3』 - 司馬遼太郎の紀行集。紀行の中で沈壽官を訪問する[22]

著名な出身人物編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 字の名称の変更(平成17年鹿児島県告示第691号、  原文
  2. ^ 鹿児島県日置市東市来町美山の郵便番号”. 日本郵便. 2021年6月12日閲覧。
  3. ^ a b 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  4. ^ a b c d e 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 614.
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 1064.
  6. ^ a b 大字の名称変更についての処理(昭和31年10月10日付鹿児島県公報第4066号所収、  原文
  7. ^ 橋口兼古、五代秀堯、橋口兼柄 『三国名勝図会 巻之8』 1843年
  8. ^ a b 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 338.
  9. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 461-462.
  10. ^ 『伊集院町誌』 p.320 - 伊集院町誌編纂委員会 2002年
  11. ^ 町村の廃置分合(昭和31年総理府告示第803号、昭和31年9月30日付官報第803号所収、  原文
  12. ^ 平成16年鹿児島県告示第1800号(同年10月29日発行「鹿児島県公報」第2031号所収。  原文)。
  13. ^ 市町の廃置分合(平成17年総務省告示第377号、  原文
  14. ^ 日置中央合併協議会の調整内容(字の区域及び名称の扱い)”. 日置中央合併協議会(国立国会図書館アーカイブ). 2020年9月12日閲覧。
  15. ^ 日置市の住所表示”. 日置市. 2012年4月9日閲覧。
  16. ^ 国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  17. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  18. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  19. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年6月12日閲覧。
  20. ^ 駐日外国公館リスト(アジア)”. 外務省. 2021年2月23日閲覧。
  21. ^ 下伊集院郵便局(鹿児島県)”. 日本郵便. 2021年6月12日閲覧。
  22. ^ 司馬遼太郎街道をゆく3陸奥のみち、肥薩のみち ほか - 朝日新聞出版、2018年6月21日閲覧。

参考文献編集

  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609
  • 萩原延壽『東郷茂徳;伝記と解説』。ISBN 4562025689
  • 司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』。ISBN 4167663147
  • 久留島浩須田努趙景達(編) 『薩摩・朝鮮陶工村の四百年』 岩波書店2014年 ISBN 9784000230568

関連項目編集

座標: 北緯31度38分30.5秒 東経130度21分45.4秒 / 北緯31.641806度 東経130.362611度 / 31.641806; 130.362611