東恩納寛惇
日本の歴史学者
東恩納 寛惇(ひがしおんな かんじゅん、1882年10月14日 - 1963年1月24日)は、沖縄の歴史学者・郷土史家・沖縄史家。東京帝国大学卒業。旧制府立高等学校、法政大学、拓殖大学各教授、拓殖大学図書館長、拓殖大学第一高等学校四代校長。沖縄県那覇出身。
人物情報 | |
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生誕 |
1882年10月14日 日本・沖縄県那覇市東町 |
死没 | 1963年1月24日 (80歳没) |
出身校 | 東京帝国大学文科大学史学科 |
学問 | |
研究分野 | 歴史学 |
研究機関 | 法政大学、拓殖大学 |
経歴
編集1882年10月14日、父東恩納寛裕母真呉勢の四男として沖縄県那覇東町に生まれる[1][2]。沖縄県中学校(現・沖縄県立首里高等学校)、第五高等学校文科(現・熊本大学)を経て、1908年に東京帝国大学文科大学史学科卒業[1][2]。東京府立一中教諭、高千穂高等商業学校(現高千穂大学)教員、府立高等学校や法政大学、拓殖大学等の教授を務めた[1][2][3]。死後、琉球新報社によって「東恩納寛惇賞」が創設された[2][4]。
主に『歴代宝案』を研究し、多くの著書を残した。その多くは沖縄県立図書館に寄贈され、「東恩納寛惇文庫」として保存されている[1]。沖縄戦で沖縄史関係資料が焼失散逸したため、1951年頃から寛惇が集めた蔵書が研究史上、注目されるようになった[5]。
年譜
編集逸話
編集主な著書
編集単書
編集- 『尚泰侯実録』櫛引成太、1924年 。
- 『尚泰侯実録』原書房〈明治百年史叢書〉、1971年。
- 『琉球人名考』郷土研究社〈炉辺叢書 26〉、1925年 。
- 『琉球人名考』名著出版〈炉辺叢書 26〉、1977年 。
- 『維新前後の琉球』弘道閣〈維新史研究会講演集 第1輯〉、1926年 。
- 『庶民教科書としての六諭衍義』国民教育社、1932年 。
- 『黎明期の海外交通史』帝国教育会出版部、1941年 。
- 『泰ビルマ印度』講談社、1941年 。
- 『南島論攷』実業之日本社、1941年 。
- 『南島風土記 : 沖繩・奄美大島地名辞典』沖繩文化協会、1950年 。
- 『南島風土記 : 沖繩・奄美大島地名辞典』(再版)沖縄郷土文化研究会、1964年 。
- 『南島風土記 : 沖繩・奄美大島地名辞典』(三版)沖縄郷土文化研究会、南島文化資料研究室、1974年 。
- 『南島通貨志』。
- 『羽地仕置 : 校註』興南社、1952年。
- 『琉球の歴史』至文堂〈日本歴史新書〉、1957年。
- 『沖縄渉外史』南方同胞援護会、1957年。
- 『概説沖縄史』南方同胞援護会、1957年。
- 『概説沖縄史』(新版)南方同胞援護会、1967年。
- 『泡盛雑考』。
全集
編集共著・校閲
編集- 山入端つる 著、東恩納寛惇 校閲『三味線放浪記』ニライ社、1996年。ISBN 9784931314245。
- 山入端つる 著、東恩納寛惇 校閲『三味線放浪記』ボーダーインク、2021年。ISBN 9784899824114。
- 『琉球史料叢書』(伊波普猷と横山重との共著)
脚注
編集- ^ a b c d e “東恩納寛惇生家跡(ヒガオンナカンジュンセイカアト) : 那覇市歴史博物館”. www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp. 2021年9月16日閲覧。
- ^ a b c d “東恩納寛惇生家跡 | 那覇市観光資源データベース”. 那覇市観光情報 (2018年6月26日). 2021年9月16日閲覧。
- ^ 東恩納寛惇 琉球新報
- ^ “東恩納寛惇賞 歴代受賞者”. 琉球新報デジタル. 2021年9月16日閲覧。
- ^ “東恩納寛惇文庫 - 沖縄県立図書館 貴重資料デジタル書庫”. www.library.pref.okinawa.jp. 2021年9月16日閲覧。