東昌府(とうしょうふ)は、中国にかつて存在した明代から民国初年にかけて、現在の山東省聊城市一帯に設置された。

山東省の東昌府の位置(1820年)

概要 編集

1368年洪武元年)、明により東昌路が東昌府と改められた。東昌府は山東省に属し、直属の聊城堂邑博平茌平清平の7県と臨清州に属する館陶の2県と高唐州に属する夏津武城の3県と濮州に属する観城朝城の3県、合わせて3州15県を管轄した[1]

のとき、東昌府は山東省に属し、聊城・堂邑・博平・茌平・清平・莘・冠・館陶・恩・高唐州の1州9県を管轄した[2]

1913年中華民国により東昌府は廃止された。

脚注 編集

  1. ^ 明史』地理志二
  2. ^ 清史稿』地理志八