東松山橋(ひがしまつやまばし)は、埼玉県東松山市高坂と同市上押垂および下押垂の間を流れる都幾川に架かる東松山市道80号[1]の道路である。1963年昭和38年)8月[2]に開通した当時の主要地方道埼玉県道熊谷武蔵線の橋として建設されたものである[3]

東松山橋(2012年11月)

概要 編集

 
左岸上流側から(2012年9月)

都幾川の終点からおよそ3.4 kmの地点に架かる[4]橋長272 m、幅員8.25 m、最大支間長39.9 mの8径間PC単純桁橋である[2]。歩道は上流側のみに設置されている。両側の取り付け道路(アプローチ区間)は両側とも盛土で、右岸側は約600メートルとなっている[5]。橋名は東松山市の市名に因む[3]

歴史 編集

この橋の場所は明治時代まで日光脇往還の「高坂の渡し」として渡し船が運航されていたが[6]、明治時代に現在の東松山橋のやや下流の河川敷内に冠水橋[3]の高坂冠水橋[7]が建設された。この橋のあった場所は、蛇行していた都幾川の流路整備工事(直線化)によりグラウンドになり、遺構は残されていない[7]

戦後の高度成長期の頃から自動車の交通量が増大し、大型車の通行が不可能で大雨のたびに通行不能となる冠水橋は不便であった。このため、主に上流に架かる埼玉県道344号高坂上唐子線唐子橋に迂回していたが[7]、遠回りとなるためそれに変わって新しく橋を建設することになったのが現在の東松山橋である。この橋は、1961年(昭和36年)に完工された幅員6 mの[3]コンクリート橋であった。落成式(開通式)は1963年(昭和38年)8月29日午前10時より挙行され、右岸側に向けて神官を先頭に地元の三世代家族による渡り初めが行なわれた[8][注釈 1][5]2005年(平成17年)に欄干交換工事が行われ[7]、欄干だけは近代的になった。

また、歩道が併設されていなかったことから後年、上流側に密接して鋼鉄製の歩道専用橋が建設され、現行の幅員となった。

埼玉県道熊谷入間線は、1982年(昭和57年)に国道407号に指定され東松山橋は国道の橋となるが、2007年(平成19年)に国道407号東松山バイパス新東松山橋が開通すると、東松山橋は国道指定を解除され東松山市道となっている。

周辺 編集

河川敷内に旧河道の名残の河跡湖が残されている。

隣の橋 編集

(上流) - 唐子橋 - 都幾川橋梁 - 東松山橋 - 新東松山橋 - 高野橋 - (下流)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 原典は『東松山市政だより』昭和38年9月号

出典 編集

  1. ^ 東松山市橋梁長寿命化修繕計画” (PDF). 東松山市役所. p. 5 (2013年3月). 2017年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月9日閲覧。
  2. ^ a b 東松山橋1963-8 - 土木学会附属土木図書館. 2017年10月9日閲覧
  3. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 714頁。
  4. ^ 荒川上流河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】”. 国土交通省関東地方整備局 荒川上流河川事務所. p. 108. 2022年6月8日閲覧。
  5. ^ a b 懐かしの写真絵はがき”. フォト歴東松山(東松山市). 2022年6月15日閲覧。
  6. ^ 『歴史の道調査報告書第九集 入間川の水運』 45頁。
  7. ^ a b c d 『残しておきたい昭和の記憶』 3頁。
  8. ^ 建設中・建物の記憶”. フォト歴東松山(東松山市). 2022年6月13日閲覧。

参考文献 編集

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日、714頁。ISBN 4040011104 
  • 埼玉県立さきたま資料館『歴史の道調査報告書第九集 入間川の水運』埼玉県政情報資料室、1988年4月、45頁。 
  • 残しておきたい昭和の記憶(平成24年度きらめき市民大学課題研究のまとめ)” (PDF). 東松山市役所 (2014年12月2日). 2017年10月9日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯36度0分43.2秒 東経139度24分3.7秒 / 北緯36.012000度 東経139.401028度 / 36.012000; 139.401028