東武佐野線
佐野線(さのせん)は、群馬県館林市の館林駅と栃木県佐野市の葛生駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングの路線記号はTI。
佐野線 | |
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葛生駅に停車中の佐野線上り列車。 | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 群馬県館林市、栃木県佐野市 |
起点 | 館林駅 |
終点 | 葛生駅 |
駅数 | 10駅 |
路線記号 | TI |
開業 |
1889年6月23日 (安蘇馬車鉄道として) 1894年3月20日 (佐野鉄道として) |
最終延伸 | 1914年8月2日 |
所有者 | 東武鉄道 |
運営者 | 東武鉄道 |
使用車両 | 使用車両の節を参照 |
路線諸元 | |
路線距離 | 22.1 km |
軌間 | 1,067 mm |
線路数 | 単線 |
電化方式 | 直流1,500 V 架空電車線方式 |
閉塞方式 | 自動閉塞式 |
保安装置 | 東武形ATS |
最高速度 | 75 km/h[1] |
停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2005年(平成17年)2月に佐野市・田沼町・葛生町が合併して佐野市となったため、群馬県内は館林市内、栃木県内は佐野市内と、それぞれ1県1市を走っている。
路線データ
編集運行形態
編集特急「リバティりょうもう」が朝の葛生発浅草行きと夜の浅草発葛生行きで設定されているほかは、すべてワンマン運転の普通列車のみの運行である。普通列車は朝の始発列車が佐野発館林行きの運行であるほかは館林駅 - 葛生駅間の運行である。
1時間に日中は1本、朝と夕方は2 - 3本程度の列車が設定されている。
使用車両
編集現在の車両
編集- 500系 - 特急「リバティりょうもう」で使用。2022年3月12日のダイヤ改正でこれまでの200系を使用した特急「りょうもう」に代わり運行開始した。
以下の2車種9編成を当線・小泉線・桐生線の3路線でそれぞれ使用。
- 8000系8500型 (南栗橋車両管区春日部支所所属・2両ワンマン編成で運行。全5編成)
- 10000系10000型(南栗橋車両管区春日部支所所属・2両ワンマン編成で運行。全4編成)
以下は運用がごくまれ。
- 800型・850型(南栗橋車両管区春日部支所所属・3両ワンマン編成で運行)
過去の車両
編集- 60000系(南栗橋車両管区七光台支所所属・臨時列車でのみ入線) - 2019年4月に臨時列車として入線した実績がある[4]。
- 3050系 - 1996年4月運用終了
- 5000系・5050系 - 2006年3月17日運用終了
- 1800系 - 通勤改造車は2006年3月17日運用終了。未改造車は急行「りょうもう」として入線していたほか、2018年4月にも臨時列車で入線[5]。
- 200型・250型(南栗橋車両管区館林出張所所属) - 特急「りょうもう」で使用されたが、2022年3月12日のダイヤ改正から500系を使用した特急「リバティりょうもう」に運用が置き換わるため、前日の同月11日を最後に定期運用終了。
歴史
編集佐野線の前身は、1888年(明治21年)に設立され、1890年(明治23年)までに葛生 - 越名間が開業した安蘇馬車鉄道である[7][8]。江戸時代から葛生で産出される石灰石を運ぶための馬車鉄道で、越名まで運ばれた石灰石や木材などは、船に積み替えられて渡良瀬川から利根川を下って東京方面に運ばれていた。しかし、石灰石の輸送は年間を通じて行っていたわけでなく、閑散期の馬の餌代が負担となっていた[9][10]。そこで社名を佐野鉄道に改めて、1894年(明治27年)に蒸気機関車による鉄道に変更した。
1912年(明治45年)に佐野鉄道は東武鉄道に吸収合併された[11]。この頃、東武鉄道では日光進出の計画を立てており、当初は館林から佐野、葛生、鹿沼を経由して日光まで結ぶ構想であった[12]。そのため、ルートの重なる佐野鉄道を合併したのである(後に日光へは栃木経由に変更)。東武鉄道は佐野鉄道が持っていた鉄道敷設免許を利用して館林 - 佐野間を建設、1914年(大正3年)に開業し、館林 - 葛生間直通運転を開始した。館林や東京浅草まで直行できる鉄道ができたことで佐野町 - 越名間の旅客・貨物輸送は著しく減少し、1915年(大正4年)には旅客営業を休止し、1917年(大正6年)に廃止された[13][14]。
葛生からの石灰石輸送は東武鉄道となってからも続けられ、葛生駅から先では東武の会沢線・大叶線、日鉄鉱業羽鶴専用鉄道といった貨物線が延び、佐野線でも貨物列車が多数運行されていたが、トラック輸送への移行が進み、1997年(平成9年)までにこれらの貨物線群や北館林荷扱所 - 葛生間での貨物列車運行は廃止され、残った久喜 - 北館林荷扱所間の石油輸送も2003年(平成15年)9月に廃止された。この佐野線の石油輸送列車が、東武鉄道で最後まで運行された貨物列車で、これにより1世紀以上に渡る同社の貨物列車の歴史に幕が降りた。
2006年(平成18年)3月より、合理化のため全線でワンマン運転を開始した[15]。
年表
編集- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年)
- 1892年(明治25年)10月19日 軽便汽鑵鉄道に変更願書提出。
- 1893年(明治26年)4月13日 安蘇馬車鉄道が佐野鉄道に社名変更。
- 1894年(明治27年)3月20日 葛生 - (旧)佐野 - 越名間の鉄道開業[19][20]。葛生 - 越名間の馬車鉄道廃止。
- 1902年(明治35年)9月1日 (旧)佐野駅を(旧)佐野町駅に改称[21]。
- 1903年(明治36年)6月17日 吉水 - 佐野町間に佐野連絡所を設け、佐野連絡所 - 佐野間が開業。日本鉄道両毛線佐野駅に連絡[22][注釈 3][注釈 4]。
- 1911年(明治44年)2月16日 軽便鉄道指定[25]。
- 1912年(明治45年)3月30日 東武鉄道が佐野鉄道を合併し佐野線とする[26][20][27]。
- 1914年(大正3年)
- 8月2日:(旧)佐野町 - 越名間に第二連絡所を開設し、佐野町(現・佐野市) - 第二連絡所間の仮設線経由により、館林 - 佐野間が開業[28][29][30]。(旧)佐野町駅を廃止。佐野連絡所を第一連絡所に改称[28][注釈 5]。
- 8月19日 (旧)佐野町駅の廃止認可。
- 9月26日 第二連絡所 - 越名間の従来線を廃止し、佐野町 - 越名間の新線に切り替え[注釈 6]。第二連絡所を廃止[33]。
- 10月16日 佐野町 - 佐野間の新線が開業。佐野町 - 第一連絡所間の仮設線と従来線を廃止。佐野 - 葛生間改築完成(第一連絡所 - 吉水間経路変更)。第一連絡所、多田 - 葛生間の山菅駅(貨物駅)廃止。館林 - 葛生間直通運転開始[34][35]。
- 1915年(大正4年)
- 1917年(大正6年)2月17日 佐野町 - 越名間を廃止[40][20]。
- 1920年(大正9年)8月23日 葛生駅に接続する会沢線が人車鉄道として開業[41]。
- 1925年(大正14年)8月23日 葛生駅に接続する会沢線が蒸気機関車化[42]。
- 1927年(昭和2年)12月16日 館林 - 葛生間が電化[43]。渡瀬駅開業[20]。
- 1943年(昭和18年)4月1日 佐野町駅を佐野市駅に改称[20]。
- 1963年(昭和38年) 浅草 - 葛生間で急行「からさわ」を運転開始。
- 1966年(昭和41年)
- 1969年(昭和44年)9月20日 伊勢崎線の急行の列車名を「りょうもう」に統一。1800系に置き換え。
- 1972年(昭和47年)5月1日 渡瀬 - 田島間に北館林荷扱所開業。
- 1991年(平成3年)11月6日 葛生発着の急行「りょうもう」を200系に置き換え[44]。
- 1997年(平成9年)10月1日 葛生駅に接続する会沢線が廃止。
- 1999年(平成11年)3月16日 急行「りょうもう」を特急に格上げ[45]。
- 2003年(平成15年)10月1日 貨物営業廃止。
- 2006年(平成18年)3月18日 普通列車でワンマン運転開始[15]。
- 2007年(平成19年)3月18日 PASMO導入。
- 2009年(平成21年)6月6日 ダイヤ改正により、佐野市発着の初電・終電の2本を佐野発着に延長。
- 2012年(平成24年)3月17日 全駅で駅ナンバリング導入。
- 2017年(平成29年)4月21日 ダイヤ改正により、佐野行きの終電を葛生行きに延長。
- 2019年(令和元年)
- 2020年(令和2年)
- 2022年(令和4年)3月12日 葛生発着の特急「りょうもう」を500系に置き換え、特急「リバティりょうもう」に変更[50]。
駅一覧
編集- 特急「リバティりょうもう」号の停車駅は当該項目を参照のこと。
- 普通列車は各駅に停車する(ワンマン運転)。
- 全駅でPASMOが利用可能だが、館林と佐野以外には自動改札がなく、簡易ICカード改札機を設置して対応している。
- 線路(全線単線) … ◇:列車交換可 |:列車交換不可 ∧:終着駅
駅番号 | 駅名 | 駅間キロ | 累計キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
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TI-10 | 館林駅 | - | 0.0 | 東武鉄道: 伊勢崎線・ 小泉線 | | | 群馬県 館林市 |
TI-31 | 渡瀬駅 | 2.7 | 2.7 | ◇ | ||
- | (北館林荷扱所) | - | - | | | ||
TI-32 | 田島駅 | 4.2 | 6.9 | ◇ | 栃木県 佐野市 | |
TI-33 | 佐野市駅 | 2.1 | 9.0 | ◇ | ||
TI-34 | 佐野駅 | 2.5 | 11.5 | 東日本旅客鉄道:■両毛線 | ◇ | |
TI-35 | 堀米駅 | 1.6 | 13.1 | ◇ | ||
TI-36 | 吉水駅 | 2.1 | 15.2 | ◇ | ||
TI-37 | 田沼駅 | 2.5 | 17.7 | ◇ | ||
TI-38 | 多田駅 | 1.6 | 19.3 | ◇ | ||
TI-39 | 葛生駅 | 2.8 | 22.1 | ∧ |
留置線のある駅
編集- 北館林荷扱所(2003年9月限りで貨物輸送が廃止されたことにより、北館林荷扱所内に設置されていた資材管理センター北館林解体所は渡瀬駅構内扱いとなっている。廃車車両が留置される)
- 葛生駅(かつて貨物列車の受け渡しを行っていた)
廃駅・廃連絡所・廃荷扱所
編集- 越名駅(旧終点。1917年2月17日廃止[33])
- 高萩駅(越名 - (旧)佐野間、1890年1月25日開業[51]、安蘇馬車鉄道時代廃止[注釈 7])
- 第二連絡所((旧)佐野町 - 越名間、1914年8月2日開設[28]、同年9月26日廃止[33])
- (旧)佐野町駅(開業時は(旧)佐野駅。1914年8月2日廃止[28])
- 第一連絡所(開設時は佐野連絡所。(旧)佐野町 - 吉水間、1903年6月17日開設[22]、1914年10月16日廃止[34])
- 朱雀駅((旧)佐野 - 吉水間、1889年開業[注釈 8]、安蘇馬車鉄道時代に廃止[注釈 7])
- 山菅駅(貨物駅、多田 - 葛生間。佐野鉄道時代開業[注釈 9]、1914年10月16日廃止[34])
- 山菅2号荷扱所(貨物駅、多田 - 山菅1号荷扱所間。1970年5月1日開設、1977年10月1日廃止)[51]
- 山菅1号荷扱所((仮)葛生駅跡。貨物駅、山菅2号荷扱所 - 葛生間。1937年営業再開、1983年廃止)[51]
廃止区間
編集- 第二連絡所 - 越名駅
- 第一連絡所 - (旧)佐野町駅 - (新)佐野町駅
- (新)佐野町駅 - 越名駅
過去の接続路線
編集- 田沼駅:戸奈良線 - 1939年4月5日廃止 (貨物線)
- 葛生駅:会沢線
脚注
編集注釈
編集- ^ 大町雅美の著書『郷愁の野州鉄道』[2]によると馬車鉄道から軽便鉄道への変更工事の際に「両毛線陸橋は改正改築するよう設計している」とあり、佐野駅西の両毛線との交差は両毛線を乗り越す立体交差であった。同書p.150には佐野市郷土博物館所蔵の両毛線横断橋の絵が掲載されている[3]。
- ^ 開業当初の本社は仮駅がある葛生町大字山菅坪に設置されたが、翌年の正駅開業に伴い正駅がある葛生町大字葛生に移転している[18]。
- ^ 『東武鉄道六十五年史』によれば「改築後現両毛線駅に移る」とあり移転扱い。そのため開業日に変更はない[20][23]。
- ^ 1906年時点の時刻表によれば、佐野町駅から吉水駅への経路は、佐野町駅 - 佐野連絡所 - 佐野駅 - 佐野連絡所 - 吉水駅であった[24]。
- ^ 佐野町駅から佐野駅への経路は、佐野町駅 - 第二連絡所 - 第一連絡所 - 佐野駅となる。
- ^ 『日本鉄道史』下編[30]の記述を要約すると、従来線の仮連絡点(第二連絡所) - 越名間に新連絡点を設け、佐野町 - 新連絡点間を新線に切り替えて従来線の仮連絡点 - 新連絡点間を廃止[31][32]。
- ^ a b 『東武鉄道百年史』[51]には1912年3月30日以前と佐野鉄道時代に廃止の旨を示しているが、佐野鉄道開業の1895年の時刻表[52]や1906年時点の時刻表[24]には高萩駅と朱雀駅が記されていないことから、安蘇馬車鉄道時代までの駅だったと推測される。
- ^ 1889年時点の時刻表[16]には朱雀駅が記されている。
- ^ 1899年の時刻表[53]には山菅駅は記されていないが、『帝国鉄道要鑑』による1902年度の駅情報[54]や1906年時点の時刻表[24]には山菅駅が記されている。
出典
編集- ^ a b 寺田裕一『データブック日本の私鉄 : 全国私鉄165社局掲載』(改訂新版)ネコ・パブリッシング〈NEKO MOOK ; 1836〉、2013年1月。ISBN 9784777013364。全国書誌番号:22207422。
- ^ 大町 2004, p. 144.
- ^ 大町 2004, p. 150.
- ^ “東武鉄道で"春の花めぐり号"運転”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2019年4月30日). 2019年5月1日閲覧。
- ^ “東武1800系「春の花めぐり号」運転”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2018年4月22日). 2019年11月1日閲覧。
- ^ “東京メトロ日比谷線03系第2編成が渡瀬へ”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2020年2月20日). 2024年6月18日閲覧。
- ^ 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 709.
- ^ 中川・吉田 1993, p. 55.
- ^ 金井忠夫 編『近代鉄道事情 那須野が原に汽笛が響く』那須塩原市那須野が原博物館、2011年10月10日、107頁。 NCID BB09984249。全国書誌番号:22068078。
- ^ 中川・吉田 1993, p. 58.
- ^ 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 58.
- ^ 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 710.
- ^ 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 57.
- ^ 中川・吉田 1993, pp. 60–62.
- ^ a b 『3月18日伊勢崎線・日光線でダイヤ改正を実施』(PDF)(プレスリリース)東武鉄道、2005年12月16日。オリジナルの2006年2月15日時点におけるアーカイブ 。
- ^ a b c 大町 2004, p. 136.
- ^ a b c d 渡邉 1996, p. 58.
- ^ 飯島光之丞 編『葛生町勢発達史』1936年、49頁。全国書誌番号:46050393。
- ^ 『鉄道局年報. 明治26年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b c d e f 東武鉄道年史編纂事務局 1964, p. 208.
- ^ 「停車場改称」『官報』第5764号、1902年08月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 「連絡線使用開始」『官報』第5992号、1903年6月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
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- ^ 「軽便鉄道停車場設置」『官報』第878号、1915年7月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軽便鉄道運輸営業休止」『官報』第881号、1915年7月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
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- ^ 池田光雅『鉄道総合年表1972-93』中央書院、1993年、198頁。ISBN 4-924420-82-4。全国書誌番号:93067663。
- ^ 『平成11年3月16日(火) 伊勢崎線・日光線でダイヤ改正を実施 急行りょうもう号がスピードアップし、特急「りょうもう号」に 特急スペーシアの一部が春日部に停車』(プレスリリース)東武鉄道、1998年12月9日。オリジナルの1999年11月11日時点におけるアーカイブ 。2024年4月1日閲覧。
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- ^ “10月24日(木)の始発より日光線全線・佐野線全線の運転を再開いたしました” (PDF). 東武鉄道 (2019年10月24日). 2019年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月25日閲覧。
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- ^ 『東武スカイツリーライン・伊勢崎線・日光線等にて2022年3月12日(土)ダイヤ改正を実施します』(PDF)(プレスリリース)東武鉄道、2021年12月10日、7頁。オリジナルの2022年2月13日時点におけるアーカイブ 。2024年3月31日閲覧。
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参考文献
編集- 大町雅美『郷愁の野州鉄道 : 栃木県鉄道秘話』随想舎、2004年9月、127-154, 238-245頁。ISBN 4887481039。全国書誌番号:20687295。
- 今尾恵介『地形図でたどる鉄道史 : 鉄道近代化の足跡を図上観察』 東日本編、JTB〈JTBキャンブックス〉、2000年3月、62-64頁。ISBN 4533034225。全国書誌番号:20044098。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』3号 関東1、新潮社〈新潮「旅」ムック〉、2008年7月、19, 29頁。ISBN 9784107900210。
- 『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年12月。ISBN 4885480655。全国書誌番号:20659021。
- 『私鉄史ハンドブック』正誤表 (PDF) (再改訂版)2009年3月作成
- 東武鉄道年史編纂事務局 編『東武鉄道六十五年史』東武鉄道、1964年。全国書誌番号:64010839。
- 渡邉恵一「企業勃興期における地方小鉄道の経営と輸送:-安蘇馬車鉄道を事例として-」『経営史学』第31巻第3号、経営史学会、1996年、47-74頁、doi:10.5029/bhsj.31.3_47、ISSN 0386-9113。
- 中川浩一、吉田真理子「佐野鉄道の成立と展開」『茨城大学教育学部紀要 (人文・社会科学・芸術)』第42巻、茨城大学教育学部、1993年、53-64頁、ISSN 0386-765X。
関連項目
編集外部リンク
編集- 東武佐野線 - 東武鉄道