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東浦 庄治(ひがしうら しょうじ、1898年4月8日 - 1949年9月2日)は、日本の農業指導者、政治家三重県度会郡城田村中須(現伊勢市)出身。

人物編集

1923年東京帝国大学経済学部を卒業。

当時ようやく本格的な農政運動を開始していた帝国農会(帝農)に入り、農政調査を行いながら農政論の提唱をする。

1936年、帝国農会に幹事として復帰。1943年の農業団体統合直前までは帝農を全国機関とする系統農会の事実上の指導者として活躍する。

終戦後は全国農業会副会長となる。政界に進出し、参議院議員に当選。農業協同組合発足に伴う農業会解体によって農業団体の主流から外れる。

1949年9月2日午前1時頃、自殺。自宅2階の居室にて鴨居兵児帯を掛け、縊死しているのを午前7時頃に妻が発見した。1か月ほど前から神経衰弱気味で、睡眠時にはカルモチンを服用していたという。[1]

脚注編集

  1. ^ 「東浦庄治(参院議員)自殺」、1949年9月4日付朝日新聞。

関連項目編集