東瀬 耕太郎(あずせ こうたろう、1967年5月6日 - )は、熊本県熊本市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

東瀬 耕太郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県熊本市
生年月日 (1967-05-06) 1967年5月6日(51歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト2位
初出場 1990年8月8日
最終出場 2000年8月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

来歴・人物編集

帯山中学校2年生の時に全国中学軟式野球大会で優勝[1]。当時の3年生に松崎秀昭(元南海)と御船英之(元ダイエー広島近鉄)がいる。九州学院高校では1年生の秋から主戦で登板、1983年秋季九州大会県予選決勝で鎮西高に進学していた松崎と投げ合うが敗退。翌1984年、2年春のRKK旗大会では3試合連続完封で優勝に導く。同年夏の甲子園県予選準々決勝では、強豪済々黌高を相手に9回2死までノーヒットノーラン。しかし準決勝で熊本工二宮正己に抑えられ敗れる。1985年の3年時は肘の故障で投げられず、主に四番打者・一塁手として出場した。夏の県予選では熊本西高に決勝で敗れ甲子園出場を逸する[1]。尚、学校では部活をしている生徒に珍しく、特進クラスの英語コースに3年間所属していた。

卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは1986年秋季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなかった。3年生の1988年春季リーグから投手として起用され、4年生の1989年春季リーグで大きく飛躍、148km/hを超すストレートでプロの注目を浴びる[1]。リーグ通算7勝4敗、防御率3.62。卒業後は野球部のない一般企業、安田信託銀行への就職が内定していたが、これは父親が京都大学法学部卒業でもあり、厳格な家庭で育った為、野球は大学までと決めていたから。

しかし1989年のドラフト会議にて横浜大洋ホエールズが2位で指名。同じく横浜大洋ホエールズに4位で今久留主成幸日本ハムファイターズに4位で舟山恭史が指名を受け、同大学から3人がプロから指名を受けた。当然交渉は難航したが、翌1990年の1月にようやく入団が発表された[1]

その際の契約では将来はビジネスに携わりたいとの希望で、野球引退後に親会社勤務(マルハ)の契約を結んでいた。契約内容は大洋漁業本社(マルハ)に就職で、その子会社、横浜大洋球団に出向というものであった。本人が当時の球団社長と交渉し、その旨の「覚書」を作成した。尚、この時の経験が現在のビジネスに大きな影響を与えている。(但し広島移籍時に、当時の横浜球団の社長と会談。広島に行く場合は、上記契約を解除すると言われ、契約を破棄する)。[要出典]

入団後、1年目中盤から一軍に登板。先発を主にしていたが3年目からリリーフに転向。1992年シーズン序盤の登板過多により肩を故障、それから思うように投げることが出来ずに苦しんだ。1993年シーズン開幕2日前に永野吉成とのトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍。1996年オフに自由契約となる。

その後、同年秋に広島東洋カープと契約。1997年の6月後半から自己最多の37試合に登板し7年ぶりの勝利を挙げるなど活躍をする。しかし翌1998年自由契約となり、同年秋に大学の先輩である星野仙一監督の中日ドラゴンズにテスト入団。

1999年オフ、小池秀郎佐野重樹善村一仁とのトレードで門倉健古池拓一とともに5球団目となる大阪近鉄バファローズへ移籍。2000年限りで現役引退。現役11年間で5球団も移籍し、当時では珍しい日本型「ジャーニーマン」である。

引退時に、メジャー球団よりスプリングキャンプ招待の話があったが固辞。マイナー契約であったが肘の手術込みで2年の複数年契約の内容だった。[要出典]

引退後、政治家関連の仕事を経て、東京都内の商社勤務等。その後独立。現在はスポーツマネジメント業務を主に行う。分野は野球がメインで、日本のプロ野球の選手、コーチ、そしてメジャーリーグ(マイナー)の選手をクライアントに持つ。(2013年度にクライアントが帰国し、現在メジャー選手はいない)これまでに数多くの契約交渉や、FA移籍案件のコンサルティングを行ってきている。[要出典]

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1990 大洋 10 5 0 0 0 1 3 0 -- .250 149 35.0 25 3 22 2 1 34 1 1 19 16 4.11 1.34
1991 8 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 71 16.0 17 1 11 1 0 15 0 1 7 6 3.38 1.75
1992 24 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 121 26.1 20 6 24 1 2 19 1 0 18 18 6.15 1.67
1993 ロッテ 10 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 54 11.0 15 0 8 0 1 6 0 0 6 6 4.91 2.09
1994 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 6 2.0 1 0 0 0 0 2 1 0 0 0 0.00 0.50
1996 4 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 19 3.1 7 2 3 0 0 1 0 0 4 4 10.80 3.00
1997 広島 37 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 113 25.2 21 2 11 0 6 17 1 1 17 15 5.26 1.25
1998 13 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 29 6.0 7 0 2 0 2 5 1 0 5 4 6.00 1.50
1999 中日 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 4 0.2 1 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0.00 3.00
2000 近鉄 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 36 6.0 4 0 12 0 2 6 3 0 4 4 6.00 2.67
通算:10年 116 11 0 0 0 2 7 0 -- .222 602 132.0 118 14 94 4 14 105 8 3 80 73 4.98 1.61

記録編集

背番号編集

  • 12 (1990年 - 1992年)
  • 47 (1993年 - 1996年)
  • 39 (1997年 - 1998年)
  • 52 (1999年)
  • 62 (2000年)

脚注編集

  1. ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、12ページ

関連項目編集

外部リンク編集