東郷村 (福岡県)
東郷村(とうごうむら、旧字体:東鄕村)は、福岡県企救郡にかつて存在した村。現在の北九州市門司区の一部。
とうごうむら 東郷村 | |
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廃止日 | 1929年(昭和4年)11月1日 |
廃止理由 |
編入合併 東郷村 → 門司市 |
現在の自治体 | 北九州市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
郡 | 企救郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 16.61 km2. |
隣接自治体 | 門司市、企救郡大里町、松ヶ江村 |
東郷村役場 | |
所在地 | 福岡県企救郡東郷村 |
座標 | 北緯33度55分26秒 東経130度58分47秒 / 北緯33.92383度 東経130.97967度座標: 北緯33度55分26秒 東経130度58分47秒 / 北緯33.92383度 東経130.97967度 |
ウィキプロジェクト |
沿革
編集東郷村の成立
編集東郷村は、1889年(明治22年)、町村制が施行されるとともに、企救郡大積郷の
合併前の村名 | 明治22年当時の人口[2] | 現在の地域 |
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白野江村 | 836 | 門司区白野江1-4丁目、白野江[3] |
大積村 | 362 | 門司区大積[4] |
黒川村 | 337 | 門司区黒川西1-3丁目、黒川、春日町、高砂町、丸山4丁目、丸山町[3] |
喜多久村 | 207 | 門司区喜多久[4] |
柄杓田村 | 1,231 | 門司区柄杓田町、柄杓田[4] |
地勢は山がちで、耕地では果樹栽培などが行われ、海沿いは海産物が豊かで、石灰石・珪石も産出した[5]。
交通網の整備
編集東郷村の西側(関門海峡側)では、門司町が鉄道敷設や築港を機に発展し、1899年(明治32年)に門司市となった。東郷村は、県道で門司市と結ばれていたが、途中の桜峠が険しく、往来は困難であった。1914年(大正3年)、ここに難工事の末に初代桜トンネルが開通し、東郷村民の利便性は飛躍的に向上した。1922年(大正11年)には、黒川と柄杓田の間に初代椿トンネルも開通し、門司市の桟橋通から、柄杓田へ、さらに松ヶ江村の恒見方面へ自動車や馬車で容易に通行できるようになった[6]。
門司市との合併
編集1927年(昭和2年)7月5日、東郷村会は、「市村合併ニ関スル交渉委員設置規程」を議決し、村会議員11名と各区からの代表1名ずつ、合計16名の委員を任命した。同年11月29日、門司市は、東郷村に村勢の調査を依頼し、1928年(昭和3年)10月、「門司市東郷村合併ニ関スル概要調書」をまとめ、門司市会に提出した。同年11月19日、門司市会で「東郷村合併調査委員設置規程」が制定され、任命された委員が東郷村の実地調査を行った。以後、市村長・合併委員の協議を経て、1929年(昭和4年)9月4日、合併に関する協定が結ばれた。同月9日、馬場一衛門司市長が、東郷村を門司市に編入する旨の議案を市会に提出し、満場一致で可決された。その提案理由は、次のようなものであった[7]。
東鄕村ハ地勢本市ト連󠄀亙シ人情󠄁風俗相等シク日常物資󠄁ノ需給ハ素ヨリ土木、衞生、交󠄁通󠄁等ニ頗ル密接ノ關係ヲ有󠄁スルノミナラズ市ノ地域ハ狹少ニシテ既󠄀ニ住宅地及󠄁工業地ニ乏シキ實情󠄁ニアルニ歲ト共ニ進󠄁展スル市勢ニ伴󠄁ヒテ益󠄁〻地域ノ擴大ヲ必要󠄁トスルニ依リ茲ニ適󠄁當ニシテ而カモ廣闊ナル土地ヲ擁スル同村ヲ市ノ區域ニ編󠄁入シ以テ相互ノ發展ヲ助長スルノ途󠄁ヲ講󠄁セントスルニ在リ
脚注
編集参考文献
編集- 佐々木いさお『歴女・鉄男と訪ねる門司と海峡』海鳥社、2013年。ISBN 978-4-87415-879-1。
- 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系第41巻 福岡県の地名』平凡社、2004年。ISBN 4-582-49041-7。
- 門司市編『門司市史』門司市、1933年 。
- 門司市役所発行『門司市史 第2集』1963年。
関連項目
編集外部リンク
編集- 門司の歴史(門司区役所まちづくり推進課)