東郷荘下地中分絵図

河村郡東郷荘(現在の湯梨浜町およびその周辺)について下地中分を行い作成された絵図

「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図」(ほうきのくにかわむらごおりとうごうのしょうしたじちゅうぶんえず)は、当時の領家と地頭が土地争いをしていた河村郡東郷荘(現在の湯梨浜町およびその周辺)について下地中分を行い、和解したことを示すために作成された絵図である[1]正嘉2年(1258年)11月成立。

概要 編集

争いの地となった東郷荘の支配は、「伯州河村東郡司」として入国した原田種頼の子孫である東郷信平[注釈 1]が、その所領を京都の松尾神社(現在の松尾大社)へ寄進したことで成立した。これにより、信平は現地を管理する下司職などに任命されたと考えられている。鎌倉幕府成立とともに下司職が地頭職へと変わると、幕府の後ろ盾を得た地頭は次第に領家の権益を侵し、ついには両者の対立が起こる。この争いは幕府に持ち込まれたものの、東郷荘を折半する形で和解が成立し、それぞれの支配地を明示するために本絵図が作成された[2]

縦127cm、横98cmほどの大きさで、絵図上に朱色の線で境界が示され[1]、当時の執権である北条長時と、連署である北条政村花押を据えており、東郷池を中心に分け合う形を基本としつつ、田畑・山林・集落も等しく分けようとしたことが伺える。また、裏書には「道路有るは道をもって堺とし」 (下記の引用下線部) といった具体的な記載がある。

なお室町時代に入ると、この一帯は守護山名氏の領国となり、実効を失ったものと思われる。地頭の東郷氏についても、鎌倉幕府滅亡により後ろ盾を失い勢力を衰退させ、さらに守護の山名氏の下で勢力を伸ばしつつあった南条氏の入部により、この地を追われた。嫡流は途絶えたとされるが、庶流が吉川氏に仕えたことが分かっており、子孫を名乗る家が現在も残っている。

裏書 編集

出だしは「伯耆国河村郡東郷庄」[注釈 2]で始まる。

伯耆国河村郡東郷庄絵図也

領家地頭和与中分之間自是有道路之所々者以

其道為堺無堺之所々者際目仁引朱畢朱之跡者

両方寄合令堀通畢如比東西両方仁中分既

畢伹田畠等分之間伯井田者雖為両方以此田

内天猶所割合千東方也 是故仁馬野井橋津及伯

井田等者東西仁所相交也 至小垣者北條河東

西共以東分也 乃至絵図仁東分西分登各所書其

銘也 御當予南方之堺置福寺木谷寺此両寺能

中間仁引朱天堀通畢而件堀之末依為深山有

峯有谷之間不能堀通然者其際目朱当利三朝

郷之堺仁至方夫尺朱能通於端直仁見通夫東西

能分領於可令存知之状如件


正嘉貮年十一月 日

              沙弥寂

              散位政久 (花押)

正嘉貮年仁東西南中分之絵図也

正嘉貮年カラ貞和貮年迄八拾八年歟

右正嘉ノ年号ヨリ元和六年マデ三百六三年歟

歴史史料 編集

この絵図は代々、松尾神社の神官の一家である東家に伝えられてきた。原本は今も個人蔵となっており、模写本がいくつか存在しているが、東京大学史料編纂所が所有する明治後期に作成された模本[4]は、虫害による損傷と折り目も現品そっくりに写し取ったとされ[2]、歴史教科書などにも鎌倉時代の資料として多く用いられてきた。

湯梨浜町では「東郷荘絵図徹底解説ガイド」[3][5]を発行して750年余り前の郷里の歴史を考える資料とした[6]。表面[3]の図にはたとえば左の山の下に一宮(倭文神社)が見え[注釈 3]、裏面[5]に載せた発行時期の航空写真で位置の目安になり、また橋津川(17世紀)と北条川の河川改修が現在の地形に反映する様子がわかる[9]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 種頼から数えて5代目の家平が「東郷氏」を名乗ったものと考えられる[1]
  2. ^ 裏書には「東郷庄」と記載されているが、湯梨浜町の「東郷荘絵図徹底解説ガイド」[3]をはじめ、各種資料には「東郷荘」と書かれることが多い。
  3. ^ 倭文神社からは国宝に指定された堀河天皇の時代(1100年代初頭)の埋蔵経が出土した[7][8]

出典 編集

  1. ^ a b c 東郷荘絵図”. 湯梨浜町. 2019年7月19日閲覧。
  2. ^ a b 西田友広「「伯耆国河村郡東郷荘下地中分絵図」に関する調査について」」『荘園絵図の史料学とデジタル画像解析の発展的研究』〈科研報告書〉2008年。 
  3. ^ a b c 徹底解説ガイド(表面)」、湯梨浜町、2009年。 東京大学史料編纂所(協力)
  4. ^ 8 伯耆国東郷荘下地中分絵図 (模写本)」(pdf)、東京大学史料編纂所、2019年7月19日閲覧 松尾神社主典・東房経旧蔵。
  5. ^ a b 徹底解説ガイド(裏面)」、湯梨浜町、2009年。 東京大学史料編纂所(協力)
  6. ^ “『東郷荘絵図』を「徹底ガイド」 : 湯梨浜町作成”. 日本海新聞. (2009年5月13日) 
  7. ^ 『名品綜覧 : 東洋芸術. 第1集 第3編』美術資料刊行会、大正9-12、30頁 (コマ番号3)頁。doi:10.11501/970511 
  8. ^ 『島根・出雲大社 ; 日御碕神社 ; 神魂神社 ; 鳥取・三仏寺 ; 豊乗寺 ; 倭文神社』30 (通巻1136号)、朝日新聞社〈週刊朝日百科・日本の国宝〉、1997年9月。 
  9. ^ “『東郷荘絵図』丸ごとガイド ー 湯梨浜町”. 朝日新聞. (2009年5月20日) 

関連文献 編集

  • 東郷町(鳥取県)『東郷町誌』、1987年。NCID BN02479355
  • 林譲、黒田日出男、西田友広、山口英男 et al. 『荘園絵図の史料学とデジタル画像解析の発展的研究』、2008年。〈科学研究費補助金(基盤研究A)研究成果報告書〉2004(平成16)年度 - 2007(平成19)年度。NCID BA86822459
    • 東京大学史料編纂所ホームページ内「東郷荘下地中分絵図」(PDF)
  • 「〈東郷荘総合情報閲覧システム〉の公開と有用性検証の試みについて」『画像史料解析センター通信』第40号、2008年2月、24頁。東京大学史料編纂所荘園絵図プロジェクト
  • 『湯梨浜町歴史講演会講演要旨集 : 伯耆国東郷荘下地中分絵図760年記念』湯梨浜町教育委員会 (編)、2018年10月。

外部リンク 編集