松代藩

日本の江戸時代に信濃国に所在した藩

松代藩(まつしろはん)は、江戸時代信濃国埴科郡松代町(現在の長野県長野市松代町松代)の松代城居城とした藩。信濃国北部の川中島4郡と呼ばれる地域を領した。

松代城
旧松代藩藩邸。昭和初期に神奈川県藤沢市龍口寺へ移築された(現在の龍口寺大書院)

川中島4郡を治めた藩については、川中島藩(かわなかじまはん)と呼称されることもある。江戸時代初期には酒井家(左衛門尉)福井松平家などが入った。1622年、松代を城地として真田家が就封し、10代約250年にわたって存続して廃藩置県を迎えた。このため一般に「松代藩」は真田氏の藩(真田松代藩)を指すことが多い[1]。真田家時代の石高はおおむね10万石で、信濃国内の藩では最高の石高を有した。

名称

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「川中島四郡」

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「川中島」はもともと、善光寺平のうち千曲川犀川とに挟まれた扇状地一帯を指す呼称であったが、のちにこの地域を含む信濃国北部(奥信濃)一帯を指す広義でも使われるようになった[2]

川中島四郡とは高井郡水内郡更級郡埴科郡の四郡を指す[2][1]。現在の行政区画では

にあたり、おおむね現代の北信地方に相当する。

「川中島藩」と「松代藩」の区分

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書籍によって、「川中島藩」と「松代藩」は別の藩と扱われたり、同一の藩の別名として扱われたりする。『藩と城下町の事典』によれば、松平忠昌の頃までは「川中島領」と「松代領」に明確な区別はなかったという[1]。本項では「川中島藩」と「松代藩」を一体のものとして扱う。

『角川新版日本史辞典』巻末の「近世大名配置表」では藩名「松代」として森・松平忠輝・松平忠昌・酒井・真田の各氏を記している。同様に、『日本史広辞典』巻末の表「大名配置」では「松代藩」として田丸・森・松平忠輝・松平忠昌・酒井・真田の各氏の変遷を記す[3]

『角川日本地名大辞典』は「松代藩」の項目において豊臣政権期からの領主を記しているが、松平忠昌までは「海津藩」または「川中島藩」、酒井忠勝以後を「松代藩」と呼ぶのがふさわしいとしている[4]。『藩と城下町の事典』は、「川中島藩」(田丸・森・松平忠輝・松平忠昌・岩城)[5]と「松代藩」[1]を分けて掲載しており、「便宜的に忠昌までを川中島藩とし、酒井忠勝以後を松代藩とする」[1]としている。

上記のように、江戸時代初期までに川中島領に入封した大名のいずれを「川中島藩主」と扱うかについても、書籍によって差異がある。関ケ原の合戦によって改易された豊臣大名である田丸直昌は「藩」の定義によっては除外され、岩城貞隆は「信濃中村藩」として、福島正則は「高井野藩[注釈 1]として扱われることがある。

『藩と城下町の事典』は、「一般に松代藩というときは酒井氏転出後の真田松代藩を指すことが多い」[1]とも述べている。

「松代」の表記

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松代城は、戦国期の海津城を原型とする城で、古くは「待城」や「松城」と呼ばれた[6]。正徳3年(1713年)[7]、真田家3代藩主・真田幸道のときに[6]幕命によって「松代城」と改められた[6]。このため、城名・藩名・地名として「海津(藩)」[4]「待城(藩)」や「松城(藩)」が用いられることもあるが、本項では便宜上「松代」に統一する。

沿革

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川中島藩時代

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川中島四郡は信濃国北部の高井郡(現上高井郡下高井郡及び中野市須坂市)、水内郡(現上水内郡下水内郡及び飯山市長野市)、更級郡埴科郡千曲市を含む)の四郡を指す。戦国時代川中島の戦い武田氏上杉氏の係争地となったところであり、現在の北信地方に該当する。しかし北信地域支配の中心は、武田信玄上杉謙信との戦に備え、山本勘助に命じて築城させた海津城(松代城)に置かれた。

近世大名領の成立は関ヶ原の戦い後の森忠政が13万7千石で川中島に入封したことに始まる。忠政は川中島領の領国化に勤め、「右近検地」と呼ばれる徹底的な検地により全領一揆が発生したがこれを徹底的に殲滅した。1603年慶長8年)美作国一国(津山藩)に加増転封となった。海津城は忠政の統治時に「待城」と改名されたとされる。

その後徳川家康の六男松平忠輝越後国高田藩へ移る1610年(慶長15年)までの7年間、14万石を領有し、高田へ加増転封となった後も新領土に旧領が含まれており、1616年(元和2年)改易されるまでの間領知した。この2家の領有期間は、一般に川中島藩と呼ばれる。忠輝領有期間には家老花井吉成が城代として統治して領内の整備に尽力し、そのため花井神社が建立され業績を称えられている。

その他、幕府によって広島藩を改易された福島正則の新領地となった高山村高井野藩)や大坂の陣で加増を得た岩城氏の飛地領となった木島平村信濃中村藩)も川中島藩と呼ばれる場合がある。

福井松平家・酒井氏統治時代

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1616年元和2年)に結城秀康の子松平忠昌が12万石にて松代城に入封して以降この地は松代(松城)藩領と呼ばれる。忠昌は1619年(元和5年)に越後国高田藩へ転封。

代わって酒井忠勝が10万石で入封するが、1622年(元和8年)には出羽国庄内藩に移る。この間、同地には岩城家(1616年-1623年信濃中村藩:後出羽国亀田藩に転封)と福島正則(1619年-1624年:安芸国広島藩改易後の堪忍領。後に改易)の領地(高井野藩)も存在し、これらも川中島藩と称されることがある。

真田氏統治時代

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真田邸
 
文武学校

1622年(元和8年)に信濃国上田藩より真田信之が13万石で入封した後、明暦4年(1658年)に3代幸道の相続時に分地の沼田領3万石が独立( - 1680年改易)し、以後10万石として幕末までこの地は真田家の所領として続く。

真田家はその出自から外様大名とされることが多いが、幕府における席次は帝鑑間詰(譜代大名待遇)であった。理由として、8代藩主真田幸貫が8代将軍徳川吉宗の孫である松平定信の実子であること、信之の妻小松姫が徳川家康の養女(本多忠勝の実娘、一説によると徳川秀忠の養女)であること等の理由による。なお、支藩(分地)としては沼田藩以外に埴科藩もあったが、後年断絶している。

信之は上田藩時代より蓄財した20万両という大金をもって入封した。このため当初は裕福であったが、3代幸道の時代、幕府による度重なる手伝普請などの賦役により信之の遺産を使い果たした。また、1717年享保2年)松代城下は大火に見舞われ復興に幕府より1万両を借り受け、逆に借財を抱えるようになった。

4代信弘は質素倹約を旨とし財政は持ち直した。また領内支配を従前の山中郷、上郷、下郷から山中、里方の2つに再編し、さらに山中の5通(田野口通、新町通、有旅通、茂菅通、吉窪通)と里方の4通(川南通、川東通、川北通、川中島通)に細分化した。5代信安の時代の1742年寛保2年)松代城下を襲う水害に見舞われた(戌の満水)。この際、再び幕府より1万両を借財し千曲川の河川改修が行われた。これにより松代城下は水害に見舞われなくなった。しかし、再び財政は悪化した。信安は河川改修の中心となった原八郎五郎家老に抜擢し、家臣給与の半知借上、年貢の前倒し徴収を行うなどの財政再建に努めた。しかしこれが家臣の反発を招き、1744年延享元年)足軽によるストライキという全国的にも極めて稀な事態となった。1751年宝暦元年)には不正を行った原八郎五郎を罷免し、代わって赤穂藩浪人と称する田村半右衛門(浅野家の家老であった大野知房の子・大野群右衛門と同一人物ともいわれる)を勝手方として召し抱え財政再建に当たらせた。しかし、性急な改革は農民の反発を招き、同年には「田村騒動」と呼ばれる藩内初の一揆が起こった。田村もまた汚職を行ったとして、同年に江戸に逃亡したところを捕らえられた。

信安の後、藩主となった幸弘は、1757年(宝暦7年)家老の恩田木工を勝手方に据え財政再建に当たらせた。木工の5年間の在任中、めざましい成果は得られなかった。しかし、藩士・領民の財政再建に対する意識を改革したということでは、ある程度の功績を得られたといえる。幸弘は1758年(宝暦8年)藩校「文学館」を開いている。

幕末期には8代幸貫老中として幕政に関与している。幸貫は寛政の改革を主導した松平定信の子(第8代将軍徳川吉宗の曾孫に当たる)であり、幸貫以降真田家は国主以外で自分の領地の国主名を名乗れるという特権を得ている。また、幕末の奇才佐久間象山を登用した。1847年弘化4年)善光寺地震が起こり復旧資金の借り入れにより、藩債は10万両に達した。

9代幸教は、ペリーの浦賀来航時に横浜の応接場の警備を命じられ、その後も江戸湾の第六台場等の警備などを務めたことで、藩財政は破綻寸前となった。先代幸貫が計画した新たな藩校「文武学校」を1855年安政2年)に開校した。1864年元治元年)、朝廷から京都南門の警衛を命じられ藩兵を率いて上洛し、禁門の変が起こると参内して朝廷の守りについた。

明治維新の際、松代藩は比較的早くから倒幕で藩論が一致し、朝廷から信濃全藩の触れ頭役を命じられた。戊辰戦争には新政府軍に参加して多大な軍功を挙げたが、膨大な戦費により財政が悪化し、1870年明治3年)には松代騒動が勃発した。1871年明治4年)廃藩置県により松代県となり、その後、長野県に編入された。

1884年(明治17年)華族令施行に伴い、藩主家は子爵を授けられた。(のちに伯爵に陞爵)

城地

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歴代藩主

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各藩主に記載された年号は在任期間

川中島藩

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森家

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外様 13万7500石 

  1. 忠政(ただまさ)〔従四位下、右近大夫・侍従〕 1600年(慶長5年:美濃国金山より)-1603年(慶長8年:美作国津山藩へ)

長沢松平家

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親藩 14万石

  1. 忠輝(ただてる)〔従四位下、左近衛少将〕 1603年(慶長8年:下総国佐倉藩より)-1610年(慶長15年:越後国高田藩へ)

松代藩

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福井松平家

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親藩 12万石

  1. 忠昌(ただまさ)〔従五位下、伊予守〕 1616年(元和2年:常陸国下妻藩より)-1619年(元和5年:越後国高田藩へ)

酒井家

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譜代 10万石

  1. 忠勝(ただかつ)〔従四位下、宮内大輔〕 1619年(元和5年:越後国高田藩より)-1622年(元和8年:出羽国庄内藩へ)

真田家

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真田信之

外様(譜代格) 10万石

  1. 信之(のぶゆき)〔従五位下、伊豆守〕 1622年(元和8年:信濃国上田藩より)-1656年(明暦2年)
  2. 信政(のぶまさ)〔従五位下、内記〕 1656年(明暦2年)-1658年(万治1年)
  3. 幸道(ゆきみち)〔従四位下、伊豆守〕 1658年(万治1年)-1727年(享保12年)
  4. 信弘(のぶひろ)〔従五位下、伊豆守〕 1727年(享保12年)-1736年(元文1年)
  5. 信安(のぶやす)〔従五位下、伊豆守〕 1737年(元文2年)-1752年(宝暦2年)
  6. 幸弘(ゆきひろ)〔従四位下、右京大夫〕 1752年(宝暦2年)-1798年(寛政10年)
  7. 幸専(ゆきたか)〔従四位下、弾正大弼〕 1798年(寛政10年)-1823年(文政6年)
  8. 幸貫(ゆきつら)〔従四位下、右京大夫〕 1823年(文政6年)-1852年(嘉永5年) 老中(1841年(天保12年)-1844年(弘化1年))
  9. 幸教(ゆきのり)〔従四位下、右京大夫〕 1852年(嘉永5年)-1866年(慶応2年)
  10. 幸民(ゆきもと)〔従二位、信濃守〕 1866年(慶応2年)-1869年(明治2年:版籍奉還)

重臣

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真田家家臣

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  • 矢沢家(筆頭家老、2000石) - 真田一門。真田頼昌の三男・頼綱が養子として矢沢家に入ったため、真田氏の血族である。
    • 矢沢頼綱頼康=頼邦(頼康の弟)-頼貞-頼永=頼次(頼永の弟)-頼豊(自害断絶)=誠定(誠重、矢沢家再興・頼永の弟頼誠の子)-頼誠-頼寛-頼家-頼堯-頼春-頼孝=頼直(頼寛の孫恩田民正次男)=頼道(実兄恩田民知長男)-頼忠
  • 小山田家(次席家老、1000石) - 真田一門。藩祖・真田信之の姉・村松殿の系統で、真田姓を許されていた。
  • 出浦家(家老、1000石) - 藩祖の父・真田昌幸の代から仕えている譜代衆。
  • 恩田木工家(家老、中老など、1200石) - 真田幸道に初めて家老に任じられた恩田頼母民重を中興初代とする。
    • 恩田頼定-定俊=時民(定俊弟・木工)-時義(木工)-万吉=民重(時義弟)=民清(民重婿養子・木工)-民親(木工)-宣民(木工)-貫誠-民矩(貫実)-民伸(寛)

著名な藩士

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  • 恩田民親(恩田木工) - 6代幸弘に仕えた勝手方家老。松代藩の財政再建に尽力する。
  • 佐久間象山 - 信濃守幸貫が抜擢した蘭学者。急進的な開国論者であったため京の三条木屋町で暗殺される。

幕末の領地

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金井村 62石362999・森村 1409石472046・雨宮村 2068石798096・屋代村 1816石298584・千本柳村 559石015991・清野村 1094石878052・岩野村 853石278992・平林村 284石494995・倉科村 862石799988・桑根井村 159石753006・牧内村 175石412994・土口村 292石866302・内川村 437石630005・粟佐村 763石320007・柴村 347石824310・田中村 471石082489・生萱村 432石484985・西条村 1816石635010・加賀井村 142石860001・鼠宿村 1066石483032・欠村 96石781998・関屋村 423石864990・東寺尾村 845石854980・松代町 171石139999・東条村 1103石302979・上徳間村 283石320007

上五明村 657石932983・上平村 596石969971・新山村 528石854980・山田村 858石026184・力石村 638石335022・須坂村 253石119995・若宮村 591石085815・網掛村 469石479004・羽尾村 824石544983・向八幡村 341石987610・御幣川村 651石398010・会村 737石945984・原村 851石965027・小松原村 993石323975・二ツ柳村 1034石359985・丹波島村 731石017029・小網山内新田村 66石797997・小舩山村 218石687805・大豆島村 1167石282959・牧島村 277石398987・杵淵村 724石013000・真島村 1696石968994・小森村 608石421997・横田村 630石960327・藤牧村 365石497009・広田村 845石156006・上布施村 242石117996・下氷鉋村 692石531982・田ノ口村 651石106995・牛島村 863石057007・山平林村 518石828003・氷熊村 216石563995・竹房村 336石084015・高野村 220石524002・吉原村 240石647995・大原村 277石421997・日名村 342石657013・鹿谷村 485石480011・下市場村 156石391998・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

40 	信濃国	更級郡	牧ノ島村	まきのしま	松代藩領分	松代県	199.322006	199.322	20581	
41 	信濃国	更級郡	吐唄村	とっとう	松代藩領分	松代県	15.208500	15.2085	20581	
42 	信濃国	更級郡	和田村	わだ	松代藩領分	松代県	34.308998	34.309	20581	
43 	信濃国	更級郡	四ツ屋村	よつや	松代藩領分	松代県	868.635986	868.636	20201	
44 	信濃国	更級郡	河合村	かわい	松代藩領分	松代県	1351.915039	1351.915	20201	
45 	信濃国	更級郡	河合新田村	かわいしんでん	松代藩領分	松代県	383.139008	383.139	20201	
46 	信濃国	更級郡	山布施村	やまぶせ	松代藩領分	松代県	556.656982	556.657	20201	
47 	信濃国	更級郡	有旅村	うたび	松代藩領分	松代県	778.133972	778.134	20201	
48 	信濃国	更級郡	灰原村	はいばら	松代藩領分	松代県	69.459000	69.459	20201	
49 	信濃国	更級郡	小田原村	こだわら	松代藩領分	松代県	46.821999	46.822	20201	
50 	信濃国	更級郡	南牧村	みなみまき	松代藩領分	松代県	346.005005	346.005	20581	
51 	信濃国	更級郡	桑原村	くわばら	松代藩領分	松代県	876.814026	876.814	20216	
52 	信濃国	更級郡	石川村	いしかわ	松代藩領分	松代県	525.809021	525.809	20201	
53 	信濃国	更級郡	綱島村	つなしま	松代藩領分	松代県	1141.369995	1141.370	20201	
54 	信濃国	更級郡	小島田村	おしまだ	松代藩領分	松代県	1794.682007	1794.682	20201	
55 	信濃国	更級郡	中牧村	なかまき	松代藩領分	松代県	736.893982	736.894	20502	20581
56 	信濃国	更級郡	西寺尾村	にしてらお	松代藩領分	松代県	1272.571045	1272.571	20201	
57 	信濃国	更級郡	東福寺村	とうふくじ	松代藩領分	松代県	2006.734009	2006.734	20201	
58 	信濃国	更級郡	赤田村	あかだ	松代藩領分	松代県	475.390015	475.390	20201	
59 	信濃国	更級郡	牧田中村	まきだなか	松代藩領分	松代県	325.519012	325.519	20581	
60 	信濃国	更級郡	大塚村	おおつか	松代藩領分	松代県	986.572021	986.572	20201	
61 	信濃国	更級郡	宮平村	みやだいら	松代藩領分	松代県	143.921997	143.922	20502	
62 	信濃国	更級郡	安庭村	やすにわ	松代藩領分	松代県	326.716003	326.716	20201	
63 	信濃国	更級郡	三水村	さみず	松代藩領分	松代県	134.328995	134.329	20201	
64 	信濃国	更級郡	布施高田村	ふせたかだ	松代藩領分	松代県	836.270996	836.271	20201	
65 	信濃国	更級郡	中沢村	なかざわ	松代藩領分	松代県	358.028992	358.029	20201	
66 	信濃国	更級郡	志川村	しがわ	松代藩領分	松代県	993.995972	993.996	20216	
67 	信濃国	更級郡	村山村	むらやま	松代藩領分	松代県	417.821014	417.821	20201	
68 	信濃国	更級郡	松岡新田	まつおかしんでん	松代藩領分	松代県	288.778992	288.779	20201	
69 	信濃国	更級郡	青池村	あおいけ	松代藩領分	松代県	175.466995	175.467	20201	
70 	信濃国	更級郡	今泉村	いまいずみ	松代藩領分	松代県	137.701004	137.701	20201	
71 	信濃国	更級郡	中山新田村	なかやましんでん	松代藩領分	松代県	376.558014	376.558	20201	
72 	信濃国	更級郡	八幡村	やわた	松代藩領分	松代県	986.661011	986.661	20216	
73 	信濃国	更級郡	柳沢新田村	やなぎさわしんでん	松代藩領分	松代県	109.379501	109.3795	20201	
74 	信濃国	更級郡	梶平村	かじだいら	松代藩領分	松代県	27.855000	27.855	20502	
75 	信濃国	更級郡	町田村	まちだ	松代藩領分	松代県	39.137001	39.137	20502	
76 	信濃国	更級郡	下大岡村	しもおおおか	松代藩領分	松代県	50.735001	50.735	20502	
77 	信濃国	更級郡	平村	たいら	松代藩領分	松代県	59.841999	59.842	20502	
78 	信濃国	更級郡	桐沢村	きりさわ	松代藩領分	松代県	35.966000	35.966	20502	
79 	信濃国	更級郡	長瀬村	ながせ	松代藩領分	松代県	27.919001	27.919	20502	
80 	信濃国	更級郡	川口村	かわぐち	松代藩領分	松代県	320.506714	320.5067	20502	
81 	信濃国	更級郡	小聖新田	こひじりしんでん	松代藩領分	松代県	49.639000	49.639	20502	20581
82 	信濃国	更級郡	軽井沢村	かるいざわ	松代藩領分	松代県	61.581001	61.581	20201	
83 	信濃国	更級郡	栗尾村	くりお	松代藩領分	松代県	158.973999	158.974	20502	
84 	信濃国	更級郡	根越村	ねごし	松代藩領分	松代県	147.102997	147.103	20502	
85 	信濃国	更級郡	笹久村	ささきゅう	松代藩領分	松代県	122.148003	122.148	20502	
86 	信濃国	更級郡	石津村	いしづ	松代藩領分	松代県	79.930000	79.930	20502	
87 	信濃国	更級郡	泥平村	どろだいら	松代藩領分	松代県	38.637001	38.637	20502	
88 	信濃国	更級郡	覆盆沢村	いちござわ	松代藩領分	松代県	23.457001	23.457	20502	
89 	信濃国	更級郡	中挾村	なかばさみ	松代藩領分	松代県	92.720001	92.720	20502	
90 	信濃国	更級郡	門増村	もんぞう	松代藩領分	松代県	28.552000	28.552	20502	
91 	信濃国	更級郡	代村	だい	松代藩領分	松代県	127.146004	127.146	20502	
92 	信濃国	更級郡	南小松尾村	みなみこまつお	松代藩領分	松代県	35.436001	35.436	20502	
93 	信濃国	更級郡	越中川村	えっちゅうがわ	松代藩領分	松代県	30.813000	30.813	20502	
94 	信濃国	更級郡	佃見村	つくだみ	松代藩領分	松代県	56.627998	56.628	20502	
95 	信濃国	更級郡	白井沢村	しらいざわ	松代藩領分	松代県	29.740000	29.740	20502	
96 	信濃国	更級郡	和平村	わだいら	松代藩領分	松代県	73.239998	73.240	20502	
97 	信濃国	更級郡	〓木村 *〔木荒〕	くぬぎ	松代藩領分	松代県	30.618999	30.619	20502	
98 	信濃国	更級郡	萱苅場村	かやかりば	松代藩領分	松代県	11.837000	11.837	20502	
99 	信濃国	更級郡	仏風村	ぶっかぜ	松代藩領分	松代県	36.258999	36.259	20502	

100 信濃国 更級郡 女蔵里村 おなぞうり 松代藩領分 松代県 36.195999 36.196 20502 101 信濃国 更級郡 大田和村 おおだわ 松代藩領分 松代県 105.221001 105.221 20502 102 信濃国 更級郡 境新田村 さかいしんでん 松代藩領分 松代県 153.701996 153.702 20201 103 信濃国 更級郡 聖沢村 ひじりさわ 松代藩領分 松代県 50.257000 50.257 20502 20581 104 信濃国 更級郡 雨池村 あまいけ 松代藩領分 松代県 23.466999 23.467 20502 105 信濃国 更級郡 慶師村 けいし 松代藩領分 松代県 80.208000 80.208 20502 106 信濃国 更級郡 花見村 けみ 松代藩領分 松代県 127.185997 127.186 20502 107 信濃国 更級郡 荻窪村 おぎのくぼ 松代藩領分 松代県 32.594002 32.594 20502 108 信濃国 更級郡 宮脇村 みやのわき 松代藩領分 松代県 23.861000 23.861 20502 109 信濃国 更級郡 八重堀村 やえぼり 松代藩領分 松代県 50.494999 50.495 20502 110 信濃国 更級郡 樺内村 かばうち 松代藩領分 松代県 86.031998 86.032 20502 111 信濃国 更級郡 芦ノ尾村 あしのじり 松代藩領分 松代県 232.699997 232.700 20502 112 信濃国 更級郡 北小松尾 きたこまつお 松代藩領分 松代県 101.194000 101.194 20502 113 信濃国 更級郡 高市場村 たかいちば 松代藩領分 松代県 23.288000 23.288 20502 114 信濃国 更級郡 大田原村 おおたわら 松代藩領分 松代県 159.750000 159.750 20216 115 信濃国 更級郡 青木島村 あおきじま 松代藩領分 松代県 553.955017 553.955 20201 116 信濃国 更級郡 五明村 ごみょう 松代藩領分 松代県 1036.219971 1036.220 20201 117 信濃国 更級郡 郡村 こおり 松代藩領分 松代県 530.867004

幕末の預地

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江戸幕府から水内郡のうち42村、高井郡のうち12村の幕府領を預かったが、廃藩置県後は水内郡の上ヶ谷村と下祖山村は松代県に、残部は長野県に編入された。

  • 信濃国
    • 水内郡のうち - 42村

・・・・・・・・・・・・・

中島村 443石894989・大島村 903石517029・幸高村 203石429001・村山村 386石971008・相之島村 796石578979・飯田村 464石776001・山王島村 493石127014・福原村 104石528999・小布施村 765石575012・中条村 81石249001・桜沢村 496石696991・小沼村 128石695007

脚注

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注釈

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  1. ^ 『藩と城下町の事典』は「川中島藩」の項目で、福島正則を川中島藩主とすることは適切ではないとする[5]

出典

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  1. ^ a b c d e f 『藩と城下町の事典』, p. 272.
  2. ^ a b 川中島(1)”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月25日閲覧。
  3. ^ 『日本史広辞典』, p. 巻末86.
  4. ^ a b 松代藩”. 角川日本地名大辞典. 2023年1月25日閲覧。
  5. ^ a b 『藩と城下町の事典』, p. 284.
  6. ^ a b c 松代城の歴史”. 長野市. 2023年1月25日閲覧。
  7. ^ 『藩と城下町の事典』, p. 275.

参考文献

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  • 児玉幸多北島正元監修『藩史総覧』新人物往来社1977年
  • 『別冊歴史読本24 江戸三百藩 藩主総覧 歴代藩主でたどる藩政史』新人物往来社、1977年
  • 『角川新版日本史辞典』角川学芸出版、1996年。 
  • 『日本史広辞典』山川出版社、1997年。 
  • 中嶋繁雄『大名の日本地図』文春新書2003年
  • 二木謙一監修、工藤寛正編『藩と城下町の事典』東京堂出版、2004年。 

関連項目

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関連リンク

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先代
信濃国
行政区の変遷
1616年 - 1871年 (松代藩→松代県)
次代
長野県