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松原 徹(まつばら とおる、1957年5月22日[1] - 2015年9月20日)は、日本の労働運動家。日本プロ野球選手会事務局長。2004年プロ野球再編問題の際に活躍した人物として知られる。

まつばら とおる
松原 徹
生誕 (1957-05-22) 1957年5月22日
日本の旗 日本 神奈川県川崎市
死没 (2015-09-20) 2015年9月20日(58歳没)
日本の旗 日本 神奈川県川崎市
死因 膀胱癌
国籍 日本の旗 日本
出身校 神奈川大学
職業 労働運動家
活動期間 1988年 - 2015年
雇用者 日本プロ野球選手会
肩書き 日本プロ野球選手会事務局長
任期 2000年 - 2015年

経歴編集

神奈川県川崎市出身[2]神奈川大学卒業後、1982年にロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)の球団管理部に入社。一軍マネージャーなどを務める。1988年にプロ野球選手の労働組合である日本プロ野球選手会(初代会長は中畑清)が結成された当初より事務局にて勤務する。選手会の業務に携わることになったきっかけは当時、中日ドラゴンズの選手であり、プロ野球選手会副会長の任に在った落合博満に勧められてのものであったという[1][2][3]

2000年、事務局長就任[4]

2004年のプロ野球再編問題では、選手会長古田敦也などと共に日本野球機構(NPB)側と交渉を続け、大阪近鉄バファローズオリックス・ブルーウェーブとの合併の一年間凍結や、その上で新規参入球団を積極的、且つ前向きに考えることを要求、こうした動きの中でプロ野球ストライキ断行となり、その結果、新球団東北楽天ゴールデンイーグルスの創設へという道筋が出来ることにもなった。

また、2011年の東北地方太平洋沖地震発生の際にはプロ野球公式戦開幕日の延期をNPB側に要請したり、元プロ野球選手のアマチュア資格回復などにも取り組むなど野球界発展の為に尽力した[2]

2015年に入ってからは体調を崩して療養生活に入っており、2015年シーズン限りで選手会事務局長を勇退する予定であったところ[3]、9月20日に神奈川県川崎市の病院に於いて膀胱癌のため死去[1][3][2]。58歳没。同年9月26日に行われるプロ野球公式戦全6試合は全選手・審判が氏を偲び、試合前に黙祷を行い喪章を装着して試合に臨んだ[5]

関連番組編集

脚注編集