松居 久次郎(まつい きゅうじろう、元和5年(1619年) - 貞享元年8月7日1684年9月16日))は、江戸時代前期の近江商人松居久右衛門家の初代。 [1]

生涯編集

松居久次郎は近江国神崎郡位田村(現滋賀県東近江市五個荘竜田町)の農家久助の長男として誕生した。長じて松居久右衛門と称した[2]

久次郎には行商を行うに於いて、以下の逸話が伝えられている[2]

久次郎は一生懸命に農耕に従事してきたが、収入少なく一家の将来に不安を覚えていた。そこで妻を実家に預け、江戸の商店に奉公に出、商家としての立身することを決意した。明日出発しようとした夜、夢に村の氏神が現れ『お前は江戸での奉公を考えているようだが、甚だ不謹慎である。江戸へ行って働こうとの決心があれば、その心をもってこの地で農耕に励み、その余暇に土地の産物を商へ。』と告げられた。翌朝村の氏神様へいったところ、開くはずがない神殿の扉が少し開いていることに驚き、夢は当に氏神様の御宣託と理解して、江戸への奉公を取り止めた[2]
そこで久次郎は家に戻り、寛文4年9月16日1664年11月3日)家で採れた籾1俵を銭一に替え、その金で編み笠を求めて播州方面へ行商に出た。鏡山守山宿の間、野洲郡小堤村(現野洲市小堤)を通りかかった路上で73両の大金が入った財布を拾い、前後にそれらしき人がいなかったので、天秤棒に財布をぶらさげ道を進んだところ、前方から慌てふためいて戻って来る僧侶に出会った[2][1]
僧は播州赤穂神宮寺の俊恵と言う僧で、多賀神社に参詣した帰り財布を落としたとのことであった。久次郎が財布を示したところ『これぞ仏の加護なり』と三拝九拝し、財布の中から10両をお礼として久次郎に差し出した。久次郎は拾ったものを落とし主に帰すのは当然のことで、お礼はいらないと固辞し、一切受け取らなった。これが商い始めの第一日目であったが、この話は人づてに広まり、久次郎は『正直な近江の商人』としての信頼を得た。その後も正直・勤勉・質素・倹約を旨として精励した事から、資産を得、商売の基礎を固めると共に松居家の中興の祖となった[2][1]

晩年は慶心と号して家督を嫡子に譲り、度々高野山に参籠し、貞享元年8月7日(1684年9月16日)死去した[2][1]

脚注編集

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  1. ^ a b c d 「帝国実業家 立志編」 P198「松居久次郎」の項(梅原忠蔵編 図書出版会社 1891年)
  2. ^ a b c d e f 「近江商人列伝」 P190「星久 松居久左衛門」の項(江南良三著 サンライズ印刷出版部 1989年)