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松平 乗全(まつだいら のりやす)は、幕末の大名、老中三河西尾藩第4代藩主。大給松平家宗家14代。3代藩主松平乗寛の長男。母は阿部正倫の娘。弟に越後長岡藩に養子入りし、老中を務めた牧野忠恭がいる。同じく老中の阿部正弘は母方の従弟で、老中で日本赤十字社創設者の一人でもある松平乗謨(後の大給恒)は外孫にあたる。

 
松平乗全
Matsudaira Noriyasu.jpg
松平乗全像(盛巌寺蔵)
時代 江戸時代後期 - 末期(幕末
生誕 寛政6年12月19日1795年2月8日
死没 明治3年7月6日1870年8月2日
墓所 愛知県西尾市盛巌寺
官位 従四位下侍従和泉守
幕府 江戸幕府老中
三河西尾藩
氏族 大給松平家
父母 父:松平乗寛、母:阿部正倫の娘
兄弟 乗全牧野忠衛牧野忠恭乗秩
正室:桜井松平忠宝の娘
乗昭(長男)、乗梏(次男)、乗氏(三男)
乗懿(四男)、乗承(五男)
娘(本庄宗秀正室)、娘(松平乗利正室)
娘(松平親良正室)、娘(松平近説正室)
養子:乗秩

幕府では寺社奉行大坂城代を経て老中を務めた。同列の松平忠優(後の忠固)と歩調を合わせ、対外問題では開国・和親を、将軍継嗣問題では南紀派に与して紀州藩徳川慶福(後の家茂)を推し、海防参与の水戸藩徳川斉昭と対立したため、安政2年(1855年)、斉昭に譲歩した阿部正弘の命令で忠優と共に老中を免職され、閣外に放逐された。

しかしその後、正弘死後に幕政の実権を握った老中首座堀田正睦により、名誉回復の意味をこめて、帝鑑間席より溜詰格に栄転している。また、安政5年(1858年)には大老井伊直弼の推挙により老中に再任している。しかし直弼の暗殺(桜田門外の変)後は閣内での影が薄くなり、万延元年(1860年)に辞任、文久2年(1862年)に1万石減封の上で隠居を命じられ、末弟の乗秩が養子として家督を継いだ。幕府滅亡を経て乗秩の死後、末子の乗承が大給松平家の家督を相続している。

明治3年(1870年)に死去、享年76。墓所は愛知県西尾市盛巌寺

経歴編集