松平信宝 (上山藩主)
松平 信宝(まつだいら のぶみち)は、江戸時代後期の大名。出羽国上山藩8代藩主。藤井松平家嫡流14代。官位は従五位下・山城守、中務少輔。
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
---|---|
生誕 | 文化14年5月19日(1817年7月3日) |
死没 | 明治5年3月7日(1872年4月14日) |
別名 | 通称:茂三郎、号:鶴山 |
戒名 | 浄桜院殿光誉法玉鶴山大居士 |
墓所 | 山形県上山市軽井沢の浄光寺 |
官位 | 従五位下・山城守、中務少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶→家定→家茂 |
藩 | 出羽上山藩主 |
氏族 | 藤井松平家 |
父母 | 父:松平信行、母:三橋氏 |
兄弟 |
信宝、信有、信貞、信睦、信訥、由、 五島盛成正室、松平信幹正室ら7男7女 |
妻 |
正室:戸沢正胤娘・秀 継室:松平宗発娘 側室:吉田氏、土屋氏、茂木氏 |
子 | 信庸、信安、由、江美子、典子ら |
生涯
編集文化14年(1817年)5月19日、7代藩主・松平信行の長男として誕生した。天保2年(1831年)10月9日、父の隠居により家督を継いだ。同年12月に叙任する。外桜田門番、和田倉門番、大坂加番などを務め、天保の大飢饉では飛び地領から米を輸送し領民の救済に充てた。天保11年(1840年)に天輔館に代わる新たな藩校を設置し、名を明新館とした(現在の山形県立上山明新館高校の起源)。安政6年(1859年)、領内に社倉を設置して農民に米穀の備蓄をさせた。
系譜
編集父母
- 松平信行(父)
- 三橋氏(母) - 側室
正室、継室
側室
- 吉田氏
- 茂木キク
- 土屋氏
子女