松平光親

能見松平家初代。松平信光の八男。子に親友(重友、次郎左衛門、図書助、於三州西野合戦討死)

松平 光親(まつだいら みつちか、生年不詳 - 天文5年4月15日1536年5月5日))は、室町時代後期の武将松平信光の8男。能見松平家の祖。通称 次郎右衛門[1]。子に松平重親がいる。

略歴 編集

松平信光親忠の治世にしばしば軍功があり、三河国額田郡能見阿知和を領した。天文5年(1536年)4月15日に死去。法名は浄賢。墓所は能見観音寺[要曖昧さ回避] [2]

参考文献 編集

  • 『寛政重修諸家譜-1輯』(国民図書、1922年、172p)

脚注 編集

  1. ^ 20世紀日本人名事典. “松平光親とは”. コトバンク. 2022年9月14日閲覧。
  2. ^ 国民図書 1922, p. 172.

外部リンク 編集