松平康俊

戦国武将・大名。徳川家康の異父弟

松平 康俊(まつだいら やすとし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士徳川家康の異父弟。

 
松平康俊
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文21年(1552年
死没 天正14年4月2日1586年5月20日
別名 勝俊
戒名 澄清
墓所 静岡県浜松市広沢2-10-1の西来院
主君 徳川家康
氏族 久松氏久松松平家
父母 父:久松俊勝、母:於大の方
兄弟 異母兄弟:久松信俊一色詮勝
異父兄:徳川家康
同母兄弟:康元康俊多劫姫定勝、松姫、天桂院、女子
松平勝政正室
養子:勝政
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略歴編集

 
静岡県浜松市中区西来院の墓所

久松俊勝の三男として誕生。母は水野忠政の娘・於大の方

永禄6年(1563年)、家康の命により今川氏真の人質として駿河国に赴く。永禄11年(1569年武田信玄の侵攻を受けて甲斐国に送られた。元亀元年(1570年)冬、家康の手配で甲斐から逃れたが、逃避行の際に両足の指を凍傷で失ってしまったという。

天正11年(1583年)に駿河国の久能城を与えられたが、天正14年(1586年)に死去した。享年35。墓所は静岡県浜松市広沢2-10-1の西来院。法名は澄清と伝えられている(『新訂寛政重修諸家譜』1巻285項)。

その死後、娘婿として水野忠分の子・松平勝政が迎えられている。勝政は駿府城番で8000石、子の勝義下総国多古8000石を与えられた。子孫は多古藩主および旗本となっている。