松平 頼裕(まつだいら よりひろ)は、江戸時代中期の高松松平家御厄介(一門)。通称は一学、主計。

 
松平 頼裕
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦3年12月7日1753年12月31日
死没 寛政13年1月5日1801年2月17日
改名 勇之助(幼名)→大久保頼裕→松平頼裕
別名 通称:一学、主計
主君 松平頼儀
讃岐高松藩
氏族 高松松平家大久保主計家→高松松平家
父母 父:松平頼恭、母:鈴木氏
兄弟 頼真頼起頼昌頼周頼裕、嘉代、元、戸沢正産正室、小笠原長堯正室、
松平武寛正室、能、長姫ら
頼格大久保頼郁
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略歴

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5代藩主・松平頼恭の七男。母は鈴木氏。幼名勇之助。

大老大久保主計家に養子入りしていた異母兄頼起が、兄で6代藩主・頼真の跡を継いだため、代わって大久保家を継ぎ大久保一学と名乗る。藩主頼起の実弟として権勢を振るった。甥頼儀が8代藩主となった際、藩主の叔父として松平に復姓、松平主計と名乗る。大久保家は子・頼郁が相続した。寛政13年(1801年)1月5日没。享年49。