松本修 (演出家)
日本の演出家、俳優
来歴
編集北海道札幌市出身[1][2]。弘前大学独文科中退後、1979年文学座付属演劇研究所に入所。1984年座員となる。『ハムレット』『沢氏の二人娘』『ハイキング』『ウェスト・サイド・ワルツ』などに出演。文学座在籍中に石川耕士と若手グループちかまつ芝居を作り、劇団外でも公演する。また、1987年に『会社の人事』(T2スタジオ)で初演出。1988年、文学座を退座。1989年ちかまつ芝居を発展的に解散し、演劇集団MODEを創立する[1][2]。以降、演出に専念し、役者の創意と工夫を取り入れたユニークな芝居づくりで評判を集める。初期はチェーホフ作品を新解釈で現代に甦らせた『逃げ去る恋』、『ぼくの伯父さん』、ソーントン・ワイルダーの『わが町』を昭和30年代の北海道に置き換えた『わたしが子どもだったころ』、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』を翻案した『きみのともだち』などが高く評価された。
1996年〜1998年、北海道演劇財団常任演出家[1][2]。1997年〜2001年、世田谷パブリックシアターアソシエイトディレクター[1][2]。2003年、『アメリカ』(カフカ作)で読売演劇大賞優秀作品賞、同優秀演出家賞、毎日芸術賞千田是也賞を受賞した[1][2]。2005年、『城』(カフカ作)で読売演劇大賞作品賞、優秀演出家賞を受賞[1][2]。
上記以外の代表作に『魚の祭(柳美里作)』『ぼくのイソップものがたり』『孤独な惑星』『プラトーノフ』『ガリレオの生涯』『アメリカ』『城』『変身』『審判』などがある。演出活動の傍ら、近畿大学芸術学科教授として[1]、若手の指導にも当たっている。