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松本 啓二朗(まつもと けいじろう、1986年6月24日 - )は、千葉県大網白里市出身の元プロ野球選手外野手)。日本製鉄かずさマジック所属。

松本 啓二朗
日本製鉄かずさマジック #24
20130407 Keijiro Matsumoto, outfielder of the of the Yokohama DeNA BayStars,at Meiji Jingu Stadium.JPG
DeNA時代の2013年4月7日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県大網白里市
岩手県盛岡市生まれ)
生年月日 (1986-06-24) 1986年6月24日(33歳)
身長
体重
182 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2008年 ドラフト1位
初出場 2009年4月3日
最終出場 2017年9月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

小学4年時からリトルリーグの大宮ライオンズに所属すると、後に全国大会へ出場。中学1年時に所属した大宮シニアでも全国大会に出場した。

千葉経大付高校への進学後は、当時監督だった実父・吉啓の下で、3年時の夏に「4番・投手」として選手権全国大会へ出場。ダルビッシュ有擁する東北高校との3回戦に延長戦で勝利するなどの快進撃で、準決勝にまで進出した。高校の同級生に井上雄介がいる。

早稲田大学への進学後に、当時の監督・應武篤良の勧めで外野手に転向すると、1年時の東京六大学野球秋季リーグ戦から正右翼手に定着した。在学中には、リーグ戦通算で96試合に出場するとともに、打率.315(333打数105安打)、2本塁打、44打点、38盗塁を記録。ベストナインに5回選ばれたほか、リーグ史上27人目の通算100安打も達成した。早稲田大学での同期生に上本博紀細山田武史須田幸太などがいる。

その一方で、大学4年時の2008年には、第4回世界大学野球選手権日本代表に選出。この時の代表チームでは、應武がコーチを務めたほか、早稲田大学の選手から上本、細山田、2年後輩の斎藤佑樹も選ばれた。主に3番打者に起用された松本は、予選リーグ6試合で2本塁打を放つなどの活躍で、チームの決勝トーナメント進出に貢献。アメリカ代表との決勝戦では、延長12回表1死1・2塁の右翼守備で安打を処理すると、本塁へのダイレクト返球で補殺を成立させた。しかし、このプレーの直後に1点を入れられたため、チームは0-1というスコアで準優勝に終わった。

2008年のNPBドラフト会議1巡目で、阪神タイガース横浜ベイスターズから指名[1]。重複指名による抽選で横浜が独占交渉権を獲得した結果、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団した。横浜球団はこの会議で細山田を4巡目で指名。後に入団したため、松本と再びチームメイトになった。

横浜・DeNA時代編集

 
松本啓二朗の打撃フォーム(横浜の二軍・湘南シーレックス時代)
 
DeNA時代の2012年3月18日 横浜スタジアムにて
2009年

同じ新人の細山田、山崎憲晴と共に開幕から一軍登録され、ナゴヤドームで迎えた4月3日の開幕試合ではスタメン1番センターで起用されたが、打撃が振るわず4月中に一軍登録を抹消された。二軍でも主に1番センターを任されシーズンを終えた。

2010年

開幕一軍を逃し、二軍で打率.310(イースタン・リーグ4位)を残した後、シーズン終盤の8月19日に一軍昇格。9月25日に初本塁打を記録するなど、9月下旬からはスタメンで多く起用された。

2011年

序盤は守備固め代走を中心に起用されたが一軍には定着できず、二軍で打率.283(イースタン・リーグ6位)を残した後、シーズン終盤に一軍再昇格。9月以降はスタメンでの起用が続いた。

2012年

登録名を啓二朗にした。開幕を一軍で迎え、4月8日広島戦でタイムリーヒットを放ったが、この年はこの1安打に終わり、自己最少となる18試合の出場にとどまった。12月27日大田阿斗里嶋村一輝とともに登録名を本名に戻すことが発表された。

2013年

2年連続で開幕一軍入りを果たし、シーズン序盤は新外国人ナイジャー・モーガンの不振、荒波翔の故障離脱もありスタメン起用がみられた。しかし5月以降は月間打率1割台と不振に陥り、他外野手陣の復帰や好調もあって出場機会が減少。それでも最終的には、自己最多の72試合に出場した。

2014年

開幕一軍入りを果たすが数日で二軍に降格し、以降は一軍との行き来が続いた。代打率.357と左の代打要員として活躍した。チーム事情でプロ入り後初めて一塁手での出場もした。12月4日、来シーズンから背番号が6から61へ変更となることが発表された。

2015年

前年同様、開幕一軍入りするも二軍との行き来が続いた。7月は打撃好調で、同月13日には本塁打を含む4安打を放つなど活躍したが次第に不調となった。代打率.194と左の代打としても活躍できず、結局二軍でシーズンを終えた。

2016年

前年同様、開幕一軍入りするも約2週間後に二軍降格。6月20日に再昇格するも再び約2週間で降格となり、以降一軍昇格は無かった。二軍では打率.244、5本塁打(打数201)の成績だった。

2017年

5月と8月に一軍へ昇格したが、いずれも短期間で降格。一軍公式戦には13試合の出場で、主に代打へ起用された。チームはレギュラーシーズン3位からクライマックスシリーズの突破を経て19年振りに日本シリーズへ進出したが、松本自身は日本シリーズの出場資格を得られず[2]、シリーズ終了後の11月5日に球団から戦力外通告を受けた。

DeNA退団後編集

NPB他球団での現役続行を希望していたため、2017年11月15日には、マツダスタジアム12球団合同トライアウトに参加。シートバッティング形式で4人の投手と対戦したところ、2三振を喫しながら、最後の打席で内野安打を放った[3]。NPB他球団からは獲得のオファーを受けられなかったものの、新日鐵住金かずさマジックが松本を受け入れる姿勢を示したため、2018年からチームに加入することとなった[4](所属は新昭和)。

同年は第89回都市対抗野球大会の南関東2次予選、第3代表決定戦で決勝の得点を挙げ[5]、1回戦の西部ガス戦では3安打を放ち、チームの初戦突破に貢献した。[6]

人物・エピソード編集

実父の吉啓は、桜美林高校の3年生だった1976年夏の選手権全国大会の優勝投手。明治大学への進学後も、野球部で投手として日米大学野球選手権大会に出場し、その後は明治生命でプレーした後、高校野球の指導者に転じた。

3歳下の実弟・歩己も啓二朗に続いて千葉経大付高校へ進学すると、2007年の第79回選抜高等学校野球大会に出場。当時のチームメイトに丸佳浩がいた。卒業後は啓二朗と同じく早稲田大学を経て日本通運に所属し、2017年までプレーした。

横浜球団では、松本と細山田を2008年のドラフト会議で指名するまで、40年間にわたって早稲田大学所属選手の指名を見送ってきた。大洋ホエールズ時代の1969年のNPBドラフト会議荒川尭を1位で指名したにもかかわらず、アトムズ(現在の東京ヤクルトスワローズ)への入団を希望していた荒川が入団を拒否したことから、1970年10月7日付でヤクルトアトムズへの移籍を前提に荒川と契約したことによる。荒川は同年12月26日に金銭トレードでヤクルトへ移籍したが、大洋側が提示した前述の契約が当時の野球協約に抵触したため、NPBでは新人選手による初年度の移籍を原則として禁止すべく協約を改定した(荒川事件に詳述)。

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
2009 横浜
DeNA
22 47 44 4 6 0 0 0 6 1 1 1 0 1 2 0 0 10 1 .136 .170 .136 .307
2010 34 54 44 8 13 1 0 2 20 6 1 2 3 0 7 0 0 10 0 .295 .392 .455 .847
2011 47 116 104 9 22 4 1 0 28 11 2 2 6 2 4 0 0 15 2 .212 .236 .269 .506
2012 18 10 8 3 1 0 0 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 1 0 .125 .125 .125 .250
2013 72 166 154 14 38 3 1 4 55 14 0 1 8 0 4 0 0 34 2 .247 .266 .357 .623
2014 34 58 54 8 14 5 0 0 19 5 1 0 2 0 1 0 1 10 1 .259 .286 .352 .638
2015 51 85 73 10 20 5 0 1 28 7 0 1 3 2 7 0 0 19 2 .274 .329 .384 .713
2016 11 14 13 1 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 .154 .214 .154 .368
2017 13 14 12 1 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 2 2 0 .250 .357 .250 .607
NPB:9年 302 564 506 58 119 18 2 7 162 45 5 7 24 5 25 0 4 101 8 .235 .274 .320 .594
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績編集



一塁 外野
























2009 横浜
DeNA
- 11 7 0 0 0 1.000
2010 - 27 33 0 2 0 .943
2011 -   138 4 1 0 .993
2012 - 10 5 0 1 0 .833
2013 - 50 67 5 1 1 .986
2014 1 1 0 1 0 .500 22 27 0 0 0 1.000
2015 - 19 26 1 1 0 .964
2016 - 5 4 0 0 0 1.000
2017 - 3 1 0 0 0 1.000
通算:9年 1 1 0 1 0 .500   308 10 6 1 .981

記録編集

背番号編集

  • 6 (2009年 - 2014年)
  • 61 (2015年 - 2017年)

登録名編集

  • 松本 啓二朗 (まつもと けいじろう、2009年 - 2011年、2013年 - 2017年)
  • 啓二朗 (けいじろう、2012年)

登場曲編集

脚注編集

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  1. ^ 2008年に阪神の監督を退任する予定ではなかった岡田彰布が、江夏豊との対談で松本指名に至った経緯を説明している。『なぜ阪神は勝てないのか? ~タイガース再建への提言』(岡田と江夏の共著)角川ONEテーマ21 (角川書店、2009年)p27
  2. ^ 2017年日本シリーズ出場資格者名簿(横浜DeNAベイスターズ)
  3. ^ 12球団合同トライアウト詳細”. 日刊スポーツ (2017年11月15日). 2017年12月16日閲覧。
  4. ^ 【DeNA】松本、新日鉄住金かずさマジックへ”. スポーツ報知 (2017年12月16日). 2017年12月16日閲覧。
  5. ^ 第89回都市対抗野球 南関東大会 かずさマジック本大会へ JFE東を降し第3代表/埼玉毎日新聞埼玉版 2018年6月8日 2018年12月26日閲覧
  6. ^ 第89回都市対抗野球大会 1回戦 西部ガス対新日鐵住金かずさマジック戦結果日本野球連盟 2018年12月26日閲覧

関連項目編集

外部リンク編集