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松本市の歴史(まつもとしのれきし)は、長野県松本市歴史および年表と、現在の松本市に至るまでの行政区画の変遷について述べる。

歴史

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略史

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現在の松本市中心部は、信濃国筑摩郡の一部であった。奈良時代の終わりに、上田から信濃国国府が遷移し、鎌倉時代には信濃国守護館が置かれた。室町時代に入ると国府の機能は形骸化し廃止されるが、江戸時代には小藩の乱立に加えて天領が細かく入り組む信州に於いて、最大の商業都市であった。明治時代のはじめには筑摩県(長野県の南半分が該当)と旧長野県(長野県の北半分が該当)が統合され旧信濃国が一つの県になった。これにより松本は一県の県庁所在地としての地位は失ったが、大正末期から昭和初期までは長野県の商業の中心地であった。

先史・古代

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市内の台地、城山、岡田、山辺などには3000年以上前の遺跡があり、その当時から人類が居住していた。弥生時代になると稲作が普及し、田川流域などの低地に渡来人の開拓による集落が広がった。古墳時代の松本は本州東部でも早くから栄えていたことがうかがえ、中山にある弘法山古墳は4世紀のもので東日本最古級とされている。内部からは四獣鏡、鉄剣などが発見された。また、全国で数少ない黒曜石の産出場の1つである和田峠に近かったことも、その繁栄にとって有利に働いたものと思われる。

奈良時代の終わりから平安時代の初期に国府上田から移転した。国衙の比定地については諸説あるが、いずれも市東部で、惣社説(そうざ)、大村説、山辺説などがあり、中でも惣社が最有力視されている。また奈良時代には朝廷と太いパイプを持つ人物により、束間の湯[注釈 1]に行宮(天皇の別荘)を作る計画が持ち上がり、高田新家らが派遣されたが、崩御によって頓挫した。

市内の古刹兎川寺放光寺牛伏寺はいずれも飛鳥時代から奈良時代の草創伝承を有する寺院である。兎川寺は聖徳太子、放光寺は行基を伝承上の開基とする。牛伏寺は善光寺へ奉納するための大般若経を運んでいた牛が、この寺の麓で伏せ倒れたことからこの寺号がついたとされ、坂上田村麻呂が再興したという伝承が残っている。

奈良時代には信濃国に16の勅旨牧が置かれ、市内の埴原牧もそのひとつであり、信濃国の牧監庁も併設された。その後は左馬寮の荘園となる。平安時代には特産の梓弓が朝廷へ献上されていた記録がある。初期の荘園としては大野庄や草茂庄が見える。草茂庄は市南部の神林にあり、8世紀に県犬養堅魚麻呂が国司の権限で取得し、後に藤原冬緒が所有することとなった。院政時代になると、寄進地系荘園が乱立し、国衙領は減少することとなった。市中心部は八条院領の捧庄(ささげのしょう)に含まれた。捧庄は捧中村庄、捧北条庄に分立し、鎌倉開幕後、大内惟義が地頭となったが、牧氏事件に連座し、以後は守護領となり、戦国時代には隣の深志郷と共に小笠原氏の所領となった。また新村、和田、島立など奈良井川の西岸が新田開発された。平安時代後期から室町時代にかけて在庁官人制が確立すると、地頭として国衙領の下平田郷を知行した御家人山内首藤時通職(国司の介とは異なる)を惣領の通綱に継承した。鎌倉時代の守護北条氏の被官に犬甘郷の深志介知光があり、南北朝時代になると南朝方について反乱を起し、室町時代には小笠原氏家臣の坂西氏が深志介の地位を奪った。その他、判官代高向弘信、波多判官代源盛国、白河判官代の名が見える。

中世

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井川城跡

鎌倉時代初期には埴原城が建設された。市南部の神林からは高僧「心地覚心」が誕生した。市北部の島内は犬甘氏が支配しており、犬甘島と呼ばれ盛んに開発された。犬甘氏は犬甘城を現在の城山[注釈 2]に建てたが、後述する小笠原氏の家臣となったため犬甘城は小笠原氏の支城となった。建武の新政を巡り、中先代の乱が勃発すると、戦乱によって国衙が焼失した。

南北朝期になると甲斐源氏の一族である小笠原貞宗が国司兼守護職を拝命して松本に入った。小笠原氏は井川に城館を築き、後に井川城と呼ばれるようになった。当時は市東部の山々に山城が多く作られ広沢寺などの寺社も多く建立された。また、市のシンボルである松本城の前身「深志城」は小笠原氏の家臣である島立(しまだて)氏によって築城された。御伽草子のなかに登場するものぐさ太郎はこのころ新村で誕生したとされる。

 
松本城

戦国時代には林城を居城とした小笠原氏が信濃守護となるが、天文年間には甲斐国の武田信玄信濃侵攻を開始し、小笠原長時は信濃を追放され、市域を含めた信濃一帯は武田氏の領国となる。

天正10年(1582年)、武田氏滅亡後は遺領を巡る天正壬午の乱において小笠原氏が旧領を回復し、同年6月には越後上杉氏の後援を受けた長時の弟・洞雪斎が深志城を奪還した。洞雪斎は上杉氏の傀儡であったと言われ、深志城は徳川家康の後援を受けた長時の子・貞慶により奪還された。この時に深志城が松本城に改名された。

近世

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江戸時代の様子を今に伝える縄手通り(復元)
 
蔵の町並み(中町)

1591年(天正19年)に松本藩の藩祖となる石川数正が松本に移封されると、松本城天守閣の建設や城下町の整備に着手した。城下町の整備では親町3町(本町、中町、東町)を中心に整備され、現在の大門沢川付近を流れていたとされる女鳥羽川の流路が大幅に変更された。松本藩は小藩ながら松平家などの徳川将軍家の縁戚が藩主に就いたり、全国に8ヵ所あった銭座のひとつが存在した。江戸時代後期の松本城下の人口は町人が12,000人だったが、武家人口をあわせると2万弱で、当時としては信州最大の商業都市であった。

松本藩の歴代の藩主の家は石川家、小笠原家、戸田家(松平家)、松平家(越前)、堀田家、水野家、戸田家(松平家)であり、前期には藩主の家が次々に変わり、後期には水野氏、戸田氏の長い支配があったことが特徴である。8万石で入部した小笠原家の後、戸田家が7万石で入部すると、1万石の差分が高島藩と高遠藩に5000石ずつ分与され、松本領内に領内に飛び地が発生した。

1642年(寛永19年)以降は水野氏による6代84年の長期政権となる。3代水野忠直の治世下で貞享騒動が発生し、刑死者28名をはじめ、藩民に多数の犠牲者が出た。6代水野忠恒が江戸城内で刃傷沙汰を起こし、改易となる。この出来事は松本町人の間でも関心が高く「水野様御大変」などと呼ばれていた。水野家の家名は叔父の水野忠穀に7000石が与えられたため存続している。

水野氏に変わって、1726年享保11年)に戸田家(松平家)が再度入封すると、前任者を越える9代144年間の長期政権となった。石高は6万石だが、天領塩尻代官所廃止後には、それに代わって天領の一部を預地として委任され、その実力は10万石相当であったとも言われる。翌年、松本城本丸が火事により焼失。以降、本丸は再建されることはなかった。

近代

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旧開智学校
 
旧松本市庁舎(復元)

1869年明治2年)、版籍奉還により松本藩主は松本藩知事に就任。この藩知事戸田光則は、水戸学平田派国学を信奉していたことと、新政府への阿りから、激しい廃仏毀釈を行った。この結果、藩内180か寺の内140か寺が破壊された。このうち天台宗真言宗寺院はほぼ全てであったのに対し、浄土真宗は23か寺中僅か3か寺が破壊されたのみであった。これは、正行寺住職を中心とした反対運動によるものである。

1871年8月29日(明治4年7月14日)、廃藩置県により松本藩は松本県になった。その後、12月31日11月20日)に伊那県高遠県高島県飯田県名古屋県の信濃国分、高山県飛騨国)と合併して、松本を県庁所在地とする筑摩県が成立。鹿児島から権令永山盛輝が入り、教育を奨励したため、学校の数が人口の割に多かったとされる[注釈 3]。しかし、1876年(明治9年)には、筑摩県庁の焼失により、長野県に編入された。

全国の城が新時代到来により破却されていく中で、松本城でも競売の話が持ち上がったが、市川量造ら地元有力者により買い戻された。資金の調達のために松本城内で博覧会が開かれたこともあった。このころ松本町は女鳥羽川をはさんで北深志町と南深志町に分立した。また開智学校の開闢もこのころである。明治中期から末期には自由民権運動普通選挙期成運動が高揚した。特に松本は普通選挙期成同盟会が組織され普選運動の嚆矢となったことが特筆される。

1889年(明治22年)、町村制施行により松本町が発足。1897年(明治30年)、内務省へ市制施行を申し出ようとしたが県議会が否決。松本騒擾事件も内務省に市制施行申請を却下される原因となり、市制施行は10年後の1907年(明治40年)に持ち越された。1902年(明治35年)には官設鉄道松本駅が開業した。大正時代には自由教育運動が高揚し、それに対する弾圧として川井訓導事件が発生した。

長野県編入後、県庁所在地の長野市にないものを誘致した結果、1914年(大正3年)に日本銀行松本支店が開業。金融、証券関係の企業が集まるようになる。1919年(大正8年)に松本高等学校が開校。1928年(昭和3年)、松本商業学校(現・松商学園野球部甲子園で優勝。第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)ごろから、大手企業の工場が疎開し始める。南松本に疎開した宮田製作所(現・モリタ宮田工業)は、その中でも大きなもので3000人以上の従業員を雇用していた。中山や里山辺には地下軍事工場が作られ、朝鮮人労働者中国工農紅軍捕虜が動員された。しかし大規模な戦災は免れたため、貴重な文化財が今日も残っている。

戦後から現在

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昭和の大合併では東筑摩郡13か村を編入合併。一時は人口で長野市に迫る勢いであった。高度経済成長期にまたも分県案が長野県議会で可決されそうになったが、松本・諏訪地区を新産業都市に指定するというところで落ち着いた。新産業都市指定は今日の松本市の工業の原点となった。

長野県は1978年(昭和53年)のやまびこ国体まで一度も国体を開催したことがなかったため、県は国体を誘致することとなった。しかし、やはり開催地をめぐって長野市と争うこととなった。今回は長野市が折れ松本市での開催となった。国体に合わせ松本駅の新築ややまびこ道路(国体道路)の新設、駅前の区画整理などのインフラ整備が行われた。

1994年平成6年)にオウム真理教による松本サリン事件が発生(オウム真理教事件)。連日新聞の一面を飾り、平成の松本市で起きた出来事の中ではもっとも重大なものである。平成の大合併で東筑摩郡・南安曇郡5町村を編入合併。長野県で最も面積の大きい自治体となった。

年表

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有史以前

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奈良時代

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  • 685年(天武天皇14年) - 天武天皇が束間の湯[注釈 1]に行宮の建設を計画する(挫折)。
  • 701年大宝元年) - この年に朝廷に梓弓が献上された記録がある(以降たびたび送られた)。
  • 奈良時代後半 - 信濃国府上田から移転(平安時代の可能性も)。

平安時代

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鎌倉時代

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南北朝時代・室町時代

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戦国時代

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江戸時代

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明治時代

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大正から第二次大戦まで

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第二次大戦後

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平成時代

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令和時代

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行政区画の変遷

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市制直前の松本町域
黄:北深志町 橙:南深志町 茶:桐村 緑:蟻ケ崎村 紫:宮淵村 青:白坂村 水色:渚村 赤:筑摩村の一部
 
2005年4月現在の松本市域
1.松本町 2.松本村 3.中山村(神田) 4.島内村 5.中山村(神田を除く) 6.島立村 7.新村 8.和田村 9.上林村 10.笹賀村 11.芳川村 12.寿村 13.岡田村 14.入山辺村 15.里山辺村 16.今井村 17.片丘村(北内田) 18.片丘村(南内田のうち欠の湯) 19.本郷村 20.塩尻市(洗馬の一部、現・空港東) 赤:四賀村 青:安曇村 緑:奈川村 茶:梓川村

市制施行前

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旧町村名は「角川日本地名大辞典 20 長野県」によった。

  • 1872年明治5年)3月 - 筑摩県筑摩郡桐原分が改称して桐村となる。
  • 1872年(明治5年)9月 - 筑摩県筑摩郡松本分が桐村に合併。
  • 1875年(明治8年)1月23日 - 筑摩県筑摩郡庄内村・征矢野村・埋橋村・中林村・筑摩村・三才村・小島村・鎌田村が合併して筑摩村となる。
  • 1875年(明治8年)1月28日 - 筑摩県筑摩郡渚村・白板村・宮淵村・蟻ケ崎村・桐村が合併して深志村となる。
  • 1875年(明治8年)2月18日 - 筑摩県筑摩郡松本城下が北深志町(1番丁 - 5番丁が主に武家町、6番丁 - 11番丁が主に寺院町・町人町)と南深志町(主に町人町)に再編。
    • 北深志37町:地蔵清水町、葵馬場町、土井尻町、大名町、大柳町、小柳町(以上が1番丁)、新町、袋町、捨堀町、片端町、出居番町、上土町(以上が2番丁)、六九町、西堀町、鷹匠町、北馬場町、田町、新田町(以上が3番丁)、徒士町、旗町、西町、堂町、同心町、口張町(以上が4番丁)、萩町、天白町、中之丁、東之丁、下町、下々町(以上が5番町)、安原町(6番丁)、和泉町(7番丁)、東町(8番丁)、鍛冶町(9番丁)、下横田町(10番丁)、上横田町(11番丁)
    • 南深志7町:本町(1番丁)、博労町(2番丁)、伊勢町(3番丁)、中町(4番丁)、飯田町(5番丁)、小池町(6番丁)、宮村町(7番丁)
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 筑摩村・深志村・北深志町・南深志町が長野県の所属となる。
  • 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、筑摩村・深志村・北深志町・南深志町が東筑摩郡の所属となる。
  • 1881年(明治14年)6月24日 - 東筑摩郡深志村が分割して渚村・白板村・宮淵村・蟻ケ崎村・桐村となる。
  • 1881年(明治14年)7月5日 - 東筑摩郡北深志町・南深志町が松本を冠称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、東筑摩郡松本南深志町・松本北深志町・桐村・蟻ケ崎村・宮淵村・白板村・渚村および筑摩村の一部(庄内・埋橋・中林・筑摩・三才および小島の一部[注釈 15])の区域をもって東筑摩郡松本町が発足。
    • 筑摩村の残部(征矢野・鎌田および小島の一部[注釈 16])は松本村の一部となる。
  • 1907年(明治40年)4月30日 - 面積12.17km2、人口31,866人。

市制施行後

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市町村の掲載順は松本市の公式文書に用いられるものと同じにした。

変遷表

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自治体の変遷

現在の松本市域は筑摩郡の北部、安曇郡の南部にあたる。明治12年(1879年1月4日郡区町村編制法施行時に筑摩郡のうち奈川村は西筑摩郡(現・木曽郡)、奈川を除く大部分は東筑摩郡、安曇郡の全域は南安曇郡となった。松本市発足以降に本市に編入された自治体については各郡および各町村の項目を参照されたい。


明治以前 明治初年 - 明治6年 明治7年 - 明治11年 明治12年 - 明治22年 明治22年
4月1日
町村制施行
明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和34年 昭和35年 - 昭和39年 昭和40年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在



下波田村 下波田村 明治8年1月23日
波多村
波多村 波多村 昭和8年2月16日
改称 波田村
波田村 波田村 波田村 昭和48年4月1日
町制 波田町
平成22年3月31日
松本市に編入
松本市
三溝村 三溝村
上波田村 上波田村
小曾部村 一部[注釈 18] 小曾部村 明治8年1月23日
洗馬村
洗馬村 洗馬村 洗馬村 洗馬村 洗馬村 昭和36年6月28日
塩尻市に編入
昭和57年4月1日
松本市に編入
松本市
南内田村 一部[注釈 17] 南内田村 片丘村 片丘村 片丘村 片丘村 片丘村 昭和34年4月1日
塩尻市
昭和36年4月1日
松本市に編入
松本市
北内田村 北内田村 昭和35年4月1日
松本市に編入



青島村 青島村 明治7年10月25日
島内村
明治12年7月1日
所属変更
東筑摩郡島内村
島内村 島内村 島内村 昭和29年4月1日
松本市に編入
松本市
町村 町村
上平瀬村 上平瀬村
下平瀬村 下平瀬村
北中村 北中村
南中村 南中村
北方村 北方村
東方村 東方村
高松村 高松村
小宮村 小宮村
犬飼新田村 犬飼新田村



荒井村 荒井村 明治8年1月23日
島立村
島立村 島立村 島立村 島立村
堀米村 堀米村
小柴村 小柴村
中村 中村
島立町村 島立町村
大庭村 大庭村
北栗林村 北栗林村
南栗林村 南栗林村
永田村 永田村
三ノ宮村 三ノ宮村
埴原村 埴原村 明治7年10月23日
中山村
中山村 中山村 中山村 中山村
和泉村 和泉村
神田村 神田村 昭和18年4月1日
松本市に編入
松本市
深志町 女鳥羽川以南 深志町 明治8年2月18日
南深志町
明治14年7月5日
改称 松本南深志町
松本町 明治40年5月1日
市制 松本市
松本市
女鳥羽川以北 明治8年2月18日
北深志町
明治14年7月5日
改称 松本北深志町
渚村 渚村 明治8年1月28日
深志村
明治14年6月24日
渚村
白板村 白板村 明治14年6月24日
白板村
宮淵村 宮淵村 明治14年6月24日
宮淵村
桐原分 明治5年3月
改称 桐村
明治5年9月
桐村
明治14年6月24日
桐村
松本分 松本分
蟻ケ崎村 蟻ケ崎村 明治14年6月24日
蟻ケ崎村
庄内村 庄内村 明治8年1月23日
筑摩村
筑摩村
埋橋村 埋橋村
中林村 中林村
筑摩村 筑摩村
三才村 三才村
小島村 一部[注釈 15] 小島村
一部[注釈 16] 松本村 松本村 大正14年2月1日
松本市に編入
征矢野村 征矢野村
鎌田村 鎌田村
出川町村 出川町村 明治8年1月23日
信楽村
明治13年8月25日
出川町村
笹部村 笹部村 明治13年8月25日
笹部村
両島村 両島村 明治13年8月25日
両島村
高宮村 高宮村 明治13年8月25日
高宮村
並柳村 並柳村 明治13年8月25日
並柳村
野溝村 野溝村 明治13年8月25日
野溝村
芳川村 芳川村 芳川村 昭和29年8月1日
松本市に編入
平田村 平田村 明治13年8月25日
平田村
村井町村 村井町村 明治8年1月23日
広丘村
(一部)
明治14年6月24日
村井町村
小屋村 小屋村 明治14年6月24日
小屋村
今井村 今井村 明治8年1月23日
今井村
今井村 今井村 今井村 今井村
野口新田村 野口新田村
古池原新田村 古池原新田村
水代村 水代村 明治8年1月23日
神林村
神林村 神林村 神林村 神林村
上神林村 上神林村
下神林村 下神林村
梶海渡村 梶海渡村
境村 境村 明治8年1月23日
和田村
和田村 和田村 和田村 和田村
下和田村 下和田村
和田町村 和田町村
荒井村 明治5年3月
改称 蘇我村
衣外村 衣外村
殿村 殿村
和田中村 和田中村
南和田村 南和田村
南新村 南新村 明治8年1月23日
新村
新村 新村 新村 新村
東新村 東新村
北新村 北新村
下新村 下新村
上新村 上新村
白川村 白川村 明治8年1月23日
豊丘村
豊丘村 寿村 寿村 寿村
百瀬村 百瀬村
南百瀬村 南百瀬村
小池村 小池村 明治16年3月31日
分立 小赤村
赤木村 赤木村
竹淵村 竹淵村 明治16年3月31日
分立 白瀬淵村
上瀬黒村 上瀬黒村
下瀬黒村 下瀬黒村
白姫村 白姫村
林村 林村 明治8年1月23日
里山辺村
里山辺村 里山辺村 里山辺村 里山辺村
大嵩崎新田村 大嵩崎新田村
南小松村 南小松村
北小松村 北小松村
薄町村 薄町村
上金井村 上金井村
兎川寺村 兎川寺村
湯原村 湯原村
荒町村 荒町村
藤井村 藤井村
新井村 新井村
下金井村 下金井村
南方村 南方村 明治8年1月23日
入山辺村
入山辺村 入山辺村 入山辺村 入山辺村
北入村 北入村
橋倉村 橋倉村
中入村 中入村
桐原村 桐原村
小俣村 小俣村 明治8年1月23日
笹下村
明治12年7月1日
小俣村
笹賀村 笹賀村 笹賀村
神戸新田村 神戸新田村 明治12年7月1日
神戸新田村
神戸村 神戸村 明治12年7月1日
神戸村
二子村 二子村 明治12年7月1日
二子村
今村 今村 明治12年7月1日
今村
岡田町村 岡田町村 明治8年1月23日
岡本村
明治15年2月24日
岡田町村
岡田村 岡田村 岡田村
伊深村 伊深村 明治15年2月24日
伊深村
松岡村 松岡村 明治15年2月24日
松岡村
下岡田村 下岡田村 明治15年2月24日
下岡田村
浅間村 浅間村 明治15年2月24日
浅間村
本郷村 本郷村 本郷村 本郷村 本郷村 昭和49年5月1日
松本市に編入
大村 大村 明治15年2月24日
大村
水汲村 水汲村 明治15年2月24日
水汲村
原村 原村 明治15年2月24日
原村
洞村 洞村 明治15年2月24日
洞村
稲倉村 稲倉村 明治15年2月24日
稲倉村
三才山村 三才山村 明治15年2月24日
三才山村
横田村 横田村 明治15年2月24日
横田村
惣社村 惣社村 明治15年2月24日
惣社村
刈谷原町村 大部分[注釈 19] 刈谷原町村 明治8年1月23日
刈谷原村
明治14年5月18日
刈谷原町村
錦部村 錦部村 錦部村 昭和30年4月1日
四賀村
四賀村 四賀村 平成17年4月1日
松本市に編入
七嵐村 七嵐村 明治14年5月18日
七嵐村
赤怒田村 赤怒田村 明治14年5月18日
赤怒田村
殿野入村 殿野入村 明治14年5月18日
殿野入村
反町村 反町村 明治14年5月18日
反町村
金山町村 金山町村 明治14年5月18日
金山町村
保福寺町村 保福寺町村 明治14年5月18日
保福寺町村
取出村 取出村 明治14年5月18日
取出村
会田村 会田村 会田村
板場村 板場村 明治14年5月18日
板場村
穴沢村 穴沢村 明治14年5月18日
穴沢村
会田町村 会田町村 明治8年1月23日
会田村
会田村
宮本村 宮本村
執田光村 執田光村 五常村 五常村 五常村
井刈村 井刈村
北山村 北山村
落水村 落水村
西宮村 西宮村
小岩井村 小岩井村 明治8年1月23日
中川村
中川村 中川村 中川村 中川村
両瀬村 両瀬村
藤池村 藤池村
長越村 長越村
矢久村 矢久村
召田村 召田村
金井村 金井村
横川村 横川村
原山村 原山村
相吉新田村 大部分[注釈 20] 相吉新田村



大野川村 大野川村 明治7年9月5日
安曇村
安曇村 安曇村 安曇村 安曇村 安曇村 安曇村 安曇村
島々村 島々村
稲核村 稲核村
大野田村 大野田村
上角影村 上角影村 明治7年9月5日
梓村
梓村 梓村 梓村 昭和30年4月1日
梓川村
梓川村 梓川村 梓川村
下角影村 下角影村
小室村 小室村
大久保村 大久保村
丸田村 丸田村
北条村 北条村
杏村 杏村
立田村 立田村
焼山村 焼山村 明治7年9月5日
上野村
上野村
花見村 花見村
寺家村 寺家村
田屋村 田屋村
中村 中村
岩岡村 岩岡村 明治7年9月5日
倭村
倭村 倭村 倭村
氷室村 氷室村
横沢村 横沢村
南大妻村 南大妻村
北大妻村 北大妻村
西


奈川村 奈川村 奈川村 奈川村 奈川村 奈川村 奈川村 昭和23年6月1日
所属変更
南安曇郡奈川村
奈川村 奈川村

人口の推移

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松本市の人口の推移
[単位:人] 5年おきの人口は太字になっている(近代の人口のはじめである1898年についても同様)。

人口
江戸時代    2万弱(町人:12,000、武家人:7,000超)
1898年    30,743
1900年      37,593
1905年     34,121
1907年    31,866(市制施行)
1910年    35,225
1915年     41,233
1920年   49,607
1925年     63,427(松本村を編入)
1930年       72,165
1935年      73,353
1940年      72,793
1943年       74,010(中山村神田区を編入)
1945年        76,532
1950年      86,005
1954年            141,734(島内村他12か村を編入)
1955年            145,228
1960年              148,709(塩尻市内田、同市崖の湯を編入)
1965年            154,131
1970年            162,931
1974年             183,761(本郷村を編入)
1975年             185,577
1980年            190,056
1982年              194,204(塩尻市洗馬の一部を編入)
1985年              194,204
1990年               199,453
1995年                  205,523
2000年                208,970
2005年                228,805(梓川村他3か村を編入)
2010年                         242,541(波田町を編入)
2015年                        243,293
2020年                        241,145

歴代首長

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代(通算) 氏名[8] 就任年月 退任年月 備考
東筑摩郡松本町長
初代 菅谷(すがのや)司馬 1889年6月 1898年5月 旧・松本藩
2 牧野岸治 1898年6月 1902年7月
3 小里頼永 1902年7月 1907年4月 旧・松本藩士
松本市長
初代 小里頼永 1907年7月 1937年8月
2 百瀬興政 1937年8月 1939年4月
3 百瀬渡 1940年8月 1944年4月
4 平林盛人 1944年7月 1945年3月
5 平山泰 1945年7月 1946年3月
6 赤羽幾一 1946年6月 1946年12月 GHQにより公職追放
7 筒井直久 1947年4月 1951年4月 初の公選市長
8 松岡文七郎 1951年4月 1957年1月
9 降旗徳弥 1957年3月 1969年3月
10 深沢松美 1969年3月 1976年3月
11 和合正治 1976年3月 1992年3月
12 有賀正 1992年3月 2004年3月
13 菅谷(すげのや)昭 2004年3月 2020年3月
14 臥雲義尚 2020年3月

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 現在の浅間温泉美ヶ原温泉のどちらかと考えられる。
  2. ^ 現在の城山は松本城の城山ではなく当時建てられた犬甘城の城山である。
  3. ^ これが1970年代ころまで、教育県として知られることにつながった。
  4. ^ なお、旧制松本中学は1948年昭和23年)4月に学制改革で新制の長野県松本深志高等学校となった。
  5. ^ これにより長野村(現・長野市)との対立が激化。
  6. ^ 現行法の重要文化財に相当
  7. ^ 松本市警察1954年昭和29年)7月1日国家地方警察長野県本部および他の自治体警察と統合し長野県警察となった。
  8. ^ 1955年昭和30年)完了
  9. ^ その後、第13普通科連隊は東部方面隊第1師団隷下、第12師団隷下を経て現在は第12旅団隷下。
  10. ^ 2001年(平成13年)3月30日新産業都市建設促進法廃止により失効。
  11. ^ 2002年平成14年)4月20日に無料開放。
  12. ^ これにより中央自動車道を通じて東京まで高速道路が繋がる。
  13. ^ 2015年平成27年)4月1日に中核市の要件が緩和されたことで特例市の制度は廃止となり、特例市は松本市を含めて「施行時特例市」となった。
  14. ^ 同年4月1日に編入した安曇村の姉妹都市提携を継承。
  15. ^ a b 田川東。現在の中条・庄内の各一部。
  16. ^ a b 田川西。現在の井川城。
  17. ^ a b 欠の湯地籍。崖の湯温泉
  18. ^ a b 現在の空港東
  19. ^ 高萩を除く。高萩は1955年(昭和30年)9月25日に南安曇郡豊科町へ編入。現・安曇野市
  20. ^ 河鹿沢を除く。河鹿沢は1952年(昭和27年)4月1日に本城村に編入。現・筑北村

出典

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  1. ^ 下川耿史 『環境史年表 明治・大正編(1868-1926)』288頁 河出書房新社刊 2003年11月30日刊 全国書誌番号:20522067
  2. ^ a b 市章・市花・市木”. 松本市. 2024年7月21日閲覧。
  3. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、97頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  4. ^ a b c d 海外姉妹都市・友好都市”. 松本市. 2024年7月21日閲覧。
  5. ^ a b c 国内姉妹都市”. 松本市. 2024年7月21日閲覧。
  6. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、126頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  7. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、148頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  8. ^ 歴代市長”. 松本市. 2024年7月21日閲覧。

参考文献

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  • 『松本市史』

外部リンク

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